「荻上チキのウクライナ取材1万字ルポ・前編」~支援の現場、戦地の跡、キーウの日常

TBS NEWS DIG Powered by JNN
2022年6月17日 (金) 13:36
「荻上チキのウクライナ取材1万字ルポ・前編」~支援の現場、戦地の跡、キーウの日常

評論家でTBSラジオ「荻上チキ・Session」のパーソナリティ、荻上チキが、5月に東欧に入り、ウクライナ、ポーランド、ハンガリーを取材しました。ポーランドでは、国境付近で支援を行っている方、ホストファミリーとして避難民を受け入れている方、そして実際にウクライナから長時間かけてポーランドまで避難してきた方のお話を取材。また、ウクライナの中でも特にロシア軍による侵攻の被害が大きかったキーウ近郊の街では、現地の方々から、被害の実態を取材しました。この記事は、荻上チキ自身がまとめた取材報告です。

■東欧へ

5月14日。ウクライナとその近隣国で取材するために、東欧に飛びました。これは、自分が携わっている団体「社会調査支援機構チキラボ」による、「惨事支援ニーズ調査」の一環でもあります。

個人的には、ロシア・ウクライナ戦争に関する報道において、「戦況」「国際情勢」への注目が目立つように感じていました。一方で、取材当時すでに600万人を超えていた難民や、ウクライナ国内の生活者の声に耳を傾けることも重要だと考えていました。

UNHCRの集計データ

そこで、難民の人々がどういう生活をしているのか、それに対していかなる支援が行われているのかを知るために、現地へと飛ぶことにしたのです。

■戦争は、世界を遠回りさせる

まず目指したのはポーランドですが、ワルシャワに向かうフライトにおいてもすでに、ロシア・ウクライナ戦争の影響を感じざるをえませんでした。

機内に表示されていた空路

戦争の影響で現在、各国の航空機はロシア上空を飛ぶことができません。そのため私が乗った成田→ワルシャワ便は、成田からそのまま北上し、アラスカの西側を掠めた後、西へと直角に曲がって北極を通り、それからスイス経由でポーランドに入るというルートを通りました。なんという遠回り。しかも現在は、燃料価格の高騰の影響もあり、オイル代がチケット代へと大きく影響していました。

■ポーランドでの難民支援

さて、日本から15時間以上かけてたどり着いたポーランドですが、取材当時は、ウクライナからの難民の数は600万人を超えていました。そのうちの330万人が、西側の隣国であるポーランドにたどり着いていたのです。

そこではどのような支援が行われているのでしょうか。まずは入口となる支援です。鉄道の駅やバスターミナルに行くと、各所に、とある看板を見ます。それは、黄色と青のウクライナカラーに、ウクライナ語が書かれた看板です。

ウクライナからの避難者に向けた案内

例えばワルシャワ西駅にあった看板には、「ウクライナ難民の方の情報センターはこちら」という看板があり、そこに書かれた矢印の方向に進めば、支援スタッフの人の案内を受けることができます。情報センターでは、難民が必要とする情報収集や書類作成などを、ウクライナの言語で対応できるようにしています。

また近くにあるヘルプセンターでは、ウクライナ語で「親子のための支援」「無料の食事」「子どもの遊び場」「衛生用品」といった案内が書かれています。今回の戦争の影響で生まれた難民のほとんど、数字で見ると9割が、女性と子どもです。これはウクライナ政府が、18歳から60歳の成人男性の出国を禁止したためです。そのため支援内容にも、女性や子どもに関わるものが多く含まれています。

ヘルプセンターのテント(左) 「ワールド・セントラル・キッチン」による炊き出し支援

ワルシャワにも、多くの避難所やヘルプセンターがあり、官民それぞれの団体が活動していました。民間団体としては、「ワールド・セントラル・キッチン」という著名なNGOがあり、そこが各所で、いわゆる炊き出しのような食事支援をおこなっています。

食事支援といえば、キーウからワルシャワに移動する列車内でも、活動が見られました。国境を越えるあたりで、ポーランドのNGO関係者が乗車。乗客たちに食料、飲料を配っていました。

キーウとワルシャワをつなぐ鉄道。国境沿いでは、車輪交換のため、1~2時間ほど停車する
避難する方々に配られていた物資。手書きの手紙には、ウクライナ語で「きっと良くなるよ」というメッセージが添えられていた

また、NGOによるペット支援センターもありました。そこでは、無料でペットの餌や水、首輪、リード、ケージをもらうことができ、シェルターや移動など、ペットに関する様々な相談をすることができます。避難の最中に離れ離れになってしまったペットを探すポスターもありました。

より国境に近い街ではどうでしょうか。ルブリン近郊のヘルプセンターでも、食料や物資の配布や医療提供、SIMカードの配布など、さまざまな支援が行われていました。どこの支援所に行っても、どんなに小さくても、「子ども用スペース」を用意しようとしているのが、とても印象的です。

ルブリンにあるヘルプセンター。各種物資が配られており、フリーSIMも入手可能

制度としては、ポーランド政府は難民に、様々な支援をおこなっています。住民ナンバーに登録すれば、公共機関の利用や医療保険が無料になります。法律相談やメンタルに関する相談窓口も設けられています。

ユニークながら重要な支援としては、スマートフォンのSIMカードを無料で提供するというものがあります。ウクライナとの通話が無料でできるようにし、家族や友人との連絡がいつでもできるようにしています。

物資ボランティア活動をしている堂野絢子さん/撮影:佐藤慧

ポーランド在住の日本語教師、堂野絢子(どうのあやこ)さん。自身も個人として、物資支援を繰り返しおこなっています。戦争が始まって間も無くは、様々な混乱もあったようです。例えば古着が大量に集まり、ボランティアが整理しきれなくて混乱したことなどです。

今では、必要とするもののリストがタイムリーにアップデートされ、SNSなどを見たボランティアが届けるという形ができています。生理用品、髭剃りのシェービングフォーム、子ども用ミルクや離乳食、遊具などが、現在でも特に必要とされがちということです。

物資の変化についても聞きました。初期の段階では、バックパックやスーツケースが求められがちだったようです。最近では、夏服や消臭剤が必要となりました。戦争が長引く中で季節も変わり、必要となるものも変わったのです。

支援センターには、女性スタッフだけでなく、中学生・高校生などの若いボランティアも多くいます。多様な目があることで、支援ニーズの変化に気づける点もあるのかもしれません。常に変わりゆくニーズを意識することの重要さは、災害支援と重なるところがあります。

支援サイトでは、ボランティア参加希望や物資援助の申し出も、最初の頃と比べると少なくなってもいます。しかし難民は増え続けると同時に、さらに長期的な支援が必要となる。関心を持続させることと、受け入れ国への財政的サポートなどが必要だと感じます。

■避難の実態は

ポーランドの首都、ワルシャワで、複数の難民の方に話を聞きました。そのうち、お一方のエピソードを紹介します。

避難の様子を話すアルテムさん(中央)/撮影:佐藤慧

17歳のアルテムさんは、3歳の弟であるプラトンくん、母親のオラさんと共に避難してきました。2月24日に戦争が始まってから10日ほど経った、3月3日のことでした。

母親のオラさんが避難を決断した最大の理由は、家族の安全のためでした。キーウ近郊で空爆が続き、シェルターに避難しなくてはいけない日々が続いたため、安全な生活が必要だと考えたのです。

移動も困難を極めました。鮨詰め状態の電車に10時間以上も立ったまま乗り、西を目指しました。空襲警報が鳴るたびに電車は止まらざるを得ず、なかなか目的地に着きません。夜になると、空襲を避けるために、電車の中は真っ暗になります。3歳のプラトン君を連れて行くのはさぞ大変だっただろうと聞くと、アルテムさんは「弟には、これはアドベンチャーなのだ、と説明し続けた」と言っていました。

アルテムさんの父親は、ロシアのモスクワで車の整備工をしています。父親もまたウクライナ人です。しかし、モスクワでのテレビ報道などに触れ続けているので、ウクライナなどの報道は「フェイクだ」と否定されます。家族が避難しなくてはいけない状態になっていると伝えても、話が通じません。なぜ家族の話より、ロシアメディアの話を信じられるのかはわからないと、アルテムさんはため息をつきます。

最近はウクライナに帰国する方も増えています。それは、一部地域などへの攻撃が落ち着いたと見られることもありますが、それだけではありません。家族などが心配で戻る方、義務感や罪悪感から戻る方もいますが、支援ニーズとマッチしなかったために戻る方もいます。

アルテムさんたちのホストファミリーとなっていた、ワルシャワ在住の寺田頼子さんにもお話を伺いました。例えば戦争勃発当初、隣国の多くの方が「支援するぞ!」と意気込み、ホストファミリーとしてホームステイをおこなった人もたくさんいます。その温かい支援で生活を維持できている方も多いのですが、他方で何週間か経つと、「やっぱり出て行ってくれないか」と追い出されてしまう方も残念ながらいました。

寺田頼子さん(中央)、夫のピョートルさん(右)/撮影:佐藤慧

公的な支援も、私的な支援も、長期化すれば新たな課題が出てきます。難民受け入れをおこなった国だけでなく、国際的な財政支援や第三国定住支援など、長期的な「支援者支援」が必要だと分かります。

■ウクライナ、キーウへ

キーウに向かう高速バスの様子

ワルシャワから高速バスに乗り、16時間ほど移動すると、ウクライナの首都・キーウに到着します。現在、国外からウクライナに戻る人の数も増えており、キーウに帰る鉄道やバスは満席。国境沿い付近の道路では渋滞も起きていました。なお、逆側の、ポーランド側に向かう道路はガラガラでした。

キーウは、歴史的な建造物と、近代的なテナントが、ユニークに同居する街です。開戦直後、キーウからは多くの住人が国内外に避難しました。しかし取材で訪れた5月中旬となると、多くの人々がまた戻って来ています。「街中でもたくさんの女性を見るようになった」「Tinder(位置情報で出会うマッチングアプリ)でも、戻ってきた女性からいろんな話を聞けるようになった」と、複数の方が口にしていました。

丘から見たキーウの街並み

キーウは本当に緑豊かな街です。広い道路のあちこちに花や木があり、中心街から少し歩けば、大きな公園や丘へとたどり着きます。オープンなベンチがあり、あらゆる店があり、レストランも文化施設もある。壁にはアーティスティックなグラフティがあり、最近では電動キックボードが流行っています。広場とストリートが、さまざまな人々を繋いでいました。

散策すると、歴史情緒ある街並みが味わえる

ただ街を歩いていると、歴史情緒のある、賑わいのある姿を楽しむこともできます。しかし、街中には間違いなく、戦時下であるということを思い知らされる風景がいくつもあります。

例えば地下道やメトロに降りる階段には土嚢が積まれ、空爆への備えがなされています。街中の至る所に、車止めが置かれ、塹壕が造られ、戦闘車両が配置されています。キーウが侵攻された時のための備えが、街中のさまざまな場所に残っています。

街中の至る所に、戦車止めや塹壕が用意されている

主要駅に入る際には、機関銃を持ったガードに、パスポートやプレスパスのチェックを求められます。平時は問題なく歩くことのできる大統領公邸付近ですが、戦時中には近づくことにも制限があります。各所に検問があり、スパイ活動や破壊活動への警戒が行われています。

キーウ中心にある広場では、芝生に多くの小さな、ウクライナ国旗がはためいています。その近くには看板があり、「プーチンによって殺されたウクライナ人の数」「プーチンによって殺された外国人の数」という掲示があります。戦争によって誰かが死ぬたびに、カウントアップされるモニュメントです。このモニュメントは、通行人にメッセージを書いた旗を残していくことを求めていました。

死者を追悼する国旗

ムィハイール修道院の前には、ここ数年のドネツクの戦争で亡くなった方の写真などが多く掲示されています。他にも街のあちこちで、戦争で亡くなった方の写真とメッセージが掲示されています。

修道院の壁面には、頭部地域での戦死者の写真が一面に飾ってある

ウクライナでは元々、街の至る所に、彫像や歴史的モニュメントがあります。そのうちいくつかは、防護ネットや鉄筋で覆われていたり、土嚢で埋め尽くされたりしています。これは、空爆によってスタチュー(彫像)などが壊されないよう、保護しているのです。

壊されないように保護された銅像たち

戦前とは明らかに異なる、街の風景。それでも人々は、日常の営みを続けています。店を開け、通勤をし、勉強をし、食事をとる。一日数回鳴る空襲警報は、もはや多くの人が気にしていません。警報が鳴る中でも、人々は犬の散歩を、買い物を、デートを、ジョギングを続けています。ただし、深夜のサイレンによって叩き起こされるのだけは困ったものだと、キーウ在住の人々はこぼしていました。

<執筆:荻上チキ 後編へつづく>