名前は“イチロー”から 最速159キロ右腕・谷井一郎、メジャー4投手の“いいとこ取り”で一躍ドラフト候補へ!

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2022年10月1日 (土) 05:09
名前は“イチロー”から 最速159キロ右腕・谷井一郎、メジャー4投手の“いいとこ取り”で一躍ドラフト候補へ!

「目標は163キロです!」真っすぐな目でそう語ったのは首都大学リーグ2部に所属する明星大学の谷井一郎(21)。最速159キロを誇るドラフト候補の右腕だ。剛速球を生み出しているのは見るものを魅了する豪快な投球フォーム。左足を目いっぱい大きく跳ね上げた後、軸足を二塁歩行へ捻り、さらに重心を低くして最大限にため込んだパワーを放出する。この特徴的な投球フォームを習得したきっかけは自身のルーツであるパラグアイにヒントを得たことだった。

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イチローがメジャー挑戦した2001年に産まれ“一郎”と命名

パラグアイ人の父、日本人の母を持つ谷井が産まれたのは、2001年。イチローさんがマリナーズでメジャーデビューを果たした年だ。父の母国・パラグアイでは親戚が命名する風習があり、10歳ほど年上の野球好きだった従兄弟から“一郎”と名付けられた。

野球を始めたのもその従兄弟がきっかけだった。野球チームに入っていた従兄弟の影響で幼稚園から野球を始めると、瞬く間にのめり込んだ。ポジションは始めた頃から投手一筋。イチローさんに憧れはあったというが、投げることが何より楽しかった。小学6年の時は3番で投手を務め、キャプテン。そんな一郎が描く未来は、幼い頃から今まで変わらず「プロ野球選手」だという。

しかし、その夢は「現実性のあるものではなかった」と谷井は振り返る。中学時代は福生シニア(東京)でプレー。ここで野球人生初の挫折を味わうことになる。同期が50人以上もいるチーム内の競争に勝てず、公式戦は1年生の大会に数試合出場しただけ。2年生からは1度も公式戦に出場できなかった。

高校は都立武蔵村山へ進学。背番号1で臨んだ高校3年時の夏の西東京大会は都立調布南に敗れ、初戦敗退だった。プロ野球選手になるという夢のは遠のいたように思われた。

メジャーリーガー4投手の“いいとこ取り”のフォーム

 それでもこの挫折が転機に。「強くなって結果を残せるようになるにはどうすればいいかを考えるようになった」と大学入学後の急激な進化につながった。まずは球速を上げるために投球フォームを研究。「骨格や筋肉のつき方がチームメイトと違う」と感じた谷井は、自身のルーツである南米、ラテン系の選手のフォームを真似しようとメジャーリーガーの投球フォームを動画で研究した。

足を大きく跳ね上げるのはメジャー最多5714奪三振を誇るノーラン・ライアン。骨盤を二塁方向に捻じるのは2020年のセーブ王、ジョシュ・ヘイダー(パドレス)。トップの位置は最速160キロの剛腕、タイラー・グラスノー(レイズ)。そして胸の使い方は人類最速男、ヤンキースのチャップマン。この4投手の投げ方を取り入れた独自の投球フォームを習得した。

さらに食事も栄養面を考え朝昼晩、3食とも自炊。ランニングやウエイトトレーニングも精力的に行い身体作りを基礎から見直した結果、高校3年時は147キロだった球速が大学3年の秋には159キロを計測するまでになった。

社会人野球の大昭和製紙やローソンなどで監督を務め、明星大学では巨人・松原聖弥らを育てた浜井澒丈監督は「バッターに対して威圧感を与えるボールを投げる。速いだけでなく芯に当たってもボールを前に飛ばさない球威や伸びもある」と評価。無名の高校生が才能を開花させ、スカウトからも注目される存在へと成長を遂げた。

幼いころからの夢は叶うのか!?プロ野球ドラフト会議は10月20日。運命の日は刻一刻と迫っている。

■谷井一郎プロフィール
2001年2月5日生まれ、東京都出身。181cm・84kg、右投げ左打ち
幼稚園の頃野球を始める。小学校は松中小ファイターズ(東京・立川市)、中学時代は福生シニアに所属し高校は都立武蔵村山へ。2年秋から背番号1を背負う。球種はストレート、2種類のカーブ、カットボール、フォーク。対戦したい打者はソフトバンクの柳田悠岐。憧れの選手はチャップマン、ジョーダン・ヒックス、マーク・クルーン。尊敬している人はラッパーのニプシー・ハッスル。好きな食べ物は母が作るパラグアイ料理のソパ(コーンケーキのようなもの)。

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