大江健三郎さん 逝く― ノーベル賞作家・大江健三郎さんの根底にある「不戦の誓い」とは?【風をよむ】サンデーモーニング

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2023年3月19日 (日) 13:43
大江健三郎さん 逝く― ノーベル賞作家・大江健三郎さんの根底にある「不戦の誓い」とは?【風をよむ】サンデーモーニング

戦後日本を代表する作家、大江健三郎さんが亡くなりました。多くの作品などを通じて訴えたこととは、何だったのでしょうか?

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ノーベル賞作家・大江健三郎さん死去

1994年、日本人で2人目となるノーベル文学賞を受賞した、作家・大江健三郎さん。

大江健三郎さん(1994年)
「とてもありがたいと思っています。自分の格好を鏡に映してみましたら、まじめなんだけど、どっかコミカルで…」

その大江さんが、3月3日、老衰のため亡くなりました。88歳でした。

東京大学在学中に小説家として頭角を現し、小説「飼育」で23歳で芥川賞を受賞。当時、作家と学業との両立について…

大江健三郎さん(1958年)
「僕の場合は文学部のフランス文学科の学生でしょ。だから、問題としては時間の割り振りをどうするかってことなんです」

その後、安保闘争や連合赤軍、オウム真理教の事件など、同時代の出来事に触発されながら、日本社会の様々な問題や、人間の再生といったテーマを掘り下げた大江さん。

根底にあったのは、「社会的弱者との共生」だといわれます。

長男・光さんの誕生

きっかけとされるのが、障害のある長男・光(ひかり)さんの誕生です。
心の葛藤を抱えた大江さんが、6歳の光さんと林の中を歩いていると、美しい鳥の声が…  

すると、それまで人の言葉に無反応だった光さんが、その鳥の名を口にしたのです。その後、光さんは音楽の才能を見いだされ、作曲家に。

こうした体験を通じて、大江さんは、人間の可能性への暖かなまなざしや、鋭い人間洞察を作品に投影しました。

「あいまいな日本の私」と題されたノーベル賞受賞の記念講演では、大江文学の根底にあるものを、こう語っています。

「日本は、再出発のための憲法の核心に、不戦の誓いをおく必要があったのです―」

戦争と平和の問題を作品に―

10歳で終戦を迎えた大江さんは、新憲法の理念に強い感銘を受け、戦争と平和の問題について、作品を通し声を上げ続けました。

本土復帰前の沖縄取材を基にした「沖縄ノート」では、米軍統治下の実態を記し、広島で被爆者や治療にあたる医師を取材し、ルポルタージュ「ヒロシマ・ノート」をまとめます。

大江健三郎さん(1994年)
「日本人としては原爆の問題を将来の問題として、人間の文明の問題、文化の問題として捉え直していくということが常に必要だと」

作家活動を超えて―

さらに、大江さんの活動は、作品を超えて広がりを見せます―

大江健三郎さん(2011年)
「私らには、この民主主義の集会。市民のデモしかない」

2003年、自衛隊のイラク派遣が行われ、憲法改正議論が高まる中、大江さんは、劇作家の井上ひさしさんらと共に、「九条の会」を発足。

そして2014年に、集団的自衛権の行使容認が閣議決定されると、大江さんは、抗議集会に参加し……

大江健三郎さん(2015年)
「『積極的平和主義』などという戦争への自己弁護を認めているのではないか。それを大きい声で言いたい」

政治の劣化への懸念―

作家としての創作活動にとどまらず、政治に対しても積極的に声を上げ続けた大江さん。

晩年、懸念を抱いたのは、そうした社会を作る「政治の劣化」でした。

大江健三郎さん(2008年)
「いま僕は、日本の政治指導者に、10年経って、『この人はこういう人だった、こういう個人的な深さ・広さ・魅力をもった人だった、そして、こういう業績を残した』と、1人の評伝として伝記を書くことのできる政治家はいないと思うんですよ…」

そして、弱者を顧みない政治の姿勢を、改めてこう指摘しました。

「僕は、あらゆる職業の人間が、基本的な人間として畏れをもたなければならないと思っています。ところが、このところ政治家が、自分の仕事にそうでない。妙に大きいことを言う。畏れを感じない人たちが言い始めるのが、伝統とか文化とか、歴史とかについての『美しい言葉』です。言ったことが実現しなくても責任は問われない。その間、細かな現実で苦しむ弱い者は、何もしてもらえない…」

(サンデーモーニング 2023年3月19日 放送より)

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