戦争体験を伝えるリアル映像の語り部にAI活用で質問が可能に~最新の対話型視聴システムとは~【調査情報デジタル】

戦後80年を迎えて戦争体験者の多くが故人となり、戦争の記憶を次世代にどうやって伝承するかが大きな課題になっている。そうした中、モニターに映し出された語り部から質疑応答を通じて戦争の体験談をより実感を持って視聴することができる最新システムが注目されている。かながわ平和祈念館に導入されたこの対話型の語り部視聴システムと、対話を実現するAI技術を取材した。
【写真を見る】戦争体験を伝えるリアル映像の語り部にAI活用で質問が可能に~最新の対話型視聴システムとは~【調査情報デジタル】
リアル映像の語り部と質疑応答が可能に
横浜市港南区にあるかながわ平和祈念館。戦争体験を風化させず、次世代に伝えていくことを目的にした施設で、神奈川県が設置している。
戦後80年の節目となる今年、全国の自治体では初めて「対話型語り部講話システム」が導入された。簡単に言えば、神奈川県内で活動している戦争体験の語り部の映像によって講話を聞くことに加えて、質疑応答を通して対話ができるものだ。
語り部は、横浜市在住の西岡洋さん。93歳の西岡さんは今年8月9日に長崎市で行われる平和祈念式典で、被爆者代表として「平和への誓い」を述べることになっている。
西岡さんが映し出されたモニターの前に座ると、何のスイッチを押すこともなく、西岡さんの映像が語り始める。
「私は西岡洋と申します。これから長崎における原爆の被爆体験をお話しようと思います」
西岡さんは13歳だった1945年8月9日、長崎市で被爆した。当時は夏休みがなく、1日おきに登校していて、この日は朝から学校にいた。なかなか授業が始まらないと思っていたら、空襲警報が鳴らないなかで爆撃機2機が上空に現れる。原爆が投下された瞬間を、自らの記憶から生々しく語った。
「ものすごい閃光が体を包んだ。(中略)次の瞬間、ドカーンとくると予想したら、ところが、まったくドカーンがないわけです。あれっ、と思って、1秒、2秒、3秒、4秒くらいですかね。何にも物音ひとつしない。おかしいなと思って体を上げた時に、すごい爆風です」
西岡さんは、被爆体験を約40分間にわたって語った。映像は鮮明で、唇の動きや手の動き、体の揺れ、まばたきなど、細かい動きまでリアルに見えた。
驚いたのは講話が終わった後だった。西岡さんの映像が、「何か質問があればお願いいたします」と質問を求めてきた。そこで、モニターの側に置かれていた、約130の質問を書いたリストから、「原爆が落ちたときに命の危険を感じたかどうか」と質問する。すると、西岡さんの映像は、頷きながら質問を聞いて、まるでこの場所にいるかのように答え始めた。
「ある意味ではすべてが怖かったというか。事実が分からないわけですから、すべてが怖いんですね……」
その後もいくつかの質問をした。質問リスト通りに聞かなくても、似たような趣旨の質問であれば、西岡さんの映像はふさわしい回答を返してきた。
戦後80年で語り部は大幅に減少
神奈川県内では西岡さんをはじめ、被爆や空襲の経験者、中国残留邦人の帰国者などが語り部活動を行っている。しかし、過去には133人の語り部がいたものの、多くの人が既に亡くなり、今年3月時点で語り部として登録している人は28人にまで減少した。
神奈川県生活援護課で語り部活動を担当する梶聡志さんは、戦争の記憶を今後どう継承していくのかが課題になっているときに、「対話型語り部講話システム」を知ったという。
「語り部活動を残していくために、いろいろな取り組みを進めてきました。平成25年度には語り部の証言をDVDに収録して、かながわ平和祈念館で見られるようにしています。ただ、映像で話を聞くだけでは記憶、印象に残りにくいのではないかと思われました」
「また、先の大戦から長い年月が経過し、語り部として活動している人数が減少しています。記憶の継承をどうすればできるのかと考えていたときに、浜松市の企業が開発した、戦争体験を語る映像と対話ができるシステムのことを知りました。そこで企業に話を聞きに行き、約200万円の予算で映像を収録していただきました」
西岡さんの映像の収録は、昨年10月に自宅近くで行われた。普段の講話で話している内容に加えて、170を超える質問に対して答えてもらう様子を4Kカメラで収録。2日間にわたり、10時間以上に及んだ。
今年3月には、かながわ平和祈念館周辺に住む子どもたちが参加して、体験会が行われた。西岡さんの等身大の映像と対話をしたほか、西岡さん本人も参加。この体験会を経て、今年6月から、かながわ平和祈念館に常設された。
AIによるマッチングにより映像との対話を実現
では、なぜ西岡さんの映像と対話ができるのか。「対話型語り部講話システム」を開発したのは、浜松市に本社があり、東京港区に東京支社を持つ「シルバコンパス」。取締役の阿部恭久さんは、AIの技術によって対話を実現していると説明する。
「視聴者の質問を音声認識し意味を理解する部分と、質問と西岡さんが回答する映像を高速でマッチングする部分に、AIの技術を活用しています。質問と回答の内容を学習させることで、質問の回答にふさわしい映像をAIが瞬時に見つけ出します。この技術をはじめ、多数の特許を取得しました」
開発を始めたきっかけは2018年だった。国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館の当時の館長から、「被爆者の体験談を、より記憶に残る対話体験として後世に残せないか」と相談を受けたことだった。被爆者が命がけで後世に体験を伝えている熱意に触れたことで、AIを活用した対話システムの「Talk With」の開発を始めた。
ただ、コロナ禍などによって、長崎の平和祈念館での採用は実現しなかった。それでも「Talk With」が2021年に完成したことで、全国の団体などに語り部映像の制作を呼びかける。その結果、浜松市の遺族会と戦災遺族会の協力で2022年6月に披露したのが、神奈川県が知った、浜松大空襲の経験者による対話型の語り部映像だった。
「Talk With」でこだわっているのは、語り部の映像との会話が自然に感じられることだ。会話の間の取り方に違和感がないように、語り部の話し方のテンポにあった間を作ることができる。違和感を取り除くことで没入感が高まり、記憶にも強く残ると阿部取締役は説明する。
「ただ話を聞くだけでなく、目を見て対話する体験を通して記憶に強く残すことが、このシステムに込めた重要なテーマです。映像そのものや会話のテンポに少しでも違和感があると没入しにくくなります。長年研究してきたことが、技術の進化によって実現できました」
証言収録時は感情のこもった言葉をひたすら待つ
また、事前の準備では、講話の内容を踏まえた質問を多数考えて、質問に答えてもらった映像を多数収録する。それは、語り部が実際に話した言葉を、AIが正確に質問とマッチングするためだ。
様々な視聴者から質問されると考えられる内容をAIが予測し、予測された数千問以上の質問の中から、さらに人間が吟味して、より重要な質問に絞り込む構成も設けている。
回答はAIが生成するわけではない。語り部に「好きな食べ物はなんですか」と本題と関係ないことを聞いても、「その質問にはうまく答えられません」と返ってくる。回答できるのは、戦争体験について語り部本人が話したことだけだ。映像も生成AIではなく、収録した実際の映像を見せている。
証言は決して歪められてはいけない。その思いから、収録でも演出を一切加えていない。本人の声だけを収録することに集中し、様々な角度から問いかけを繰り返して、戦争当時を振り返って感情のこもった言葉が絞り出される瞬間をひたすら待つことが、収録時には重要になる。
クラウドでも“語り部”との対話が可能に
実は「Talk With」の活用は、さまざまな分野に広がっている。エンターテインメントでは、某アイドルグループのファン向けに、メンバーの映像と、スマートフォンやPCで会話ができるサービスが有料で提供されている。
また、ヘルスケアの分野では、発話機会の創出や介護施設の負担軽減を目的に、歌手の小林幸子さんや孫世代の子どもたちと会話ができるサービスに使われているほか、病院での問診や、文京区の行政案内業務などで実証実験も行われている。この他、観光ガイドやテーマパークの案内では実際に導入され稼働している。
こうした利用も進める一方で、シルバコンパスでは「語り部継承プロジェクト」として、50人の語り部の話を対話型の語り部システムに残す活動を続けている。かながわ平和祈念館では、今年度新たに1人の語り部の話を収録し、完成次第西岡さんの映像と一緒に公開する。
さらに、システムのクラウド化も実現した。西岡さん以外にも、長崎で被爆した経験がある人の語り部講話を収録。PCなどを使ってクラウドで視聴して、対話ができる平和教育教材として、今年8月9日から期間限定で無償公開する。申し込みがあった全国の小・中学校、高校に、パスワードを提供して教室で視聴してもらうという。
阿部取締役は、国や自治体、遺族会の予算を活用しながら、持続可能な形で語り部の映像の収録を進めていきたい考えだ。
「戦争の証言ができる世代の方から話を聞くには、もう限られた時間しかないですよね。私たちはあくまで体験者が語ったことを映像で残したい。語り部をされている方の今の思いを残したいと思っています」
戦後80年は、戦争を10代で体験した人々が全員90歳を超えるなど、語り部活動の継続にとって岐路となる年と言える。このタイミングで実現した、語り部の映像と対話ができる体験は、今後戦争の記憶を次世代に伝える上で重要な手法の一つになりそうだ。
(「調査情報デジタル」編集部)
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。