「ああ遂に地獄の門をくぐる」“謎の部隊”大分海軍航空隊・元操縦士が遺した回顧録 戦争の実態綴り「平和の尊さ」訴える

戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。太平洋戦争中に存在した「謎の部隊」といわれる大分海軍航空隊。ここで訓練を受けた男性が当時の実態に迫る貴重な回顧録を遺していました。
飯塚市歴史資料館 樋口嘉彦 学芸員
「こちらは惣門秀男さんと言いまして、元海軍の戦闘機パイロットだった人の挿絵入りの回顧録になります」
大分海軍航空隊で訓練を積んだ惣門秀男さん。戦後、当時の生活を得意の絵と文章で詳細につづった回顧録が故郷の福岡県飯塚市の資料館に保管されています。
飯塚市歴史資料館 樋口嘉彦 学芸員
「人生の中でも一番大変だった時代を何らかの形で記録にとどめておきたいと思ったのではないか」
惣門さんが大分にいたのは、開戦からおよそ2年後の1943年11月から4か月間。当時、大分航空隊の教育は厳しいことで知られていました。
惣門秀男さんの回顧録より
「ああ、遂に地獄の門をくぐる」
郷土戦史研究家 亀田雅弘さん
「航空隊の隊門があった場所が電柱のある辺り」
郷土戦史研究家の亀田雅弘さん。惣門さんの手記には、戦況の悪化による物資不足が原因で訓練中に事故が多発していた実態を裏づける記述が見られます。
郷土戦史研究家 亀田雅弘さん
「旧式機材で何とか訓練を行っている状況と報告されている。いわゆる耐用年数超過の機体を使用していて、機体の空中分解を起こすリスクをはらみながら訓練していた」
また、野球のバットで部下に対し日常的に制裁が加えられていたことについては、指導者への本音がつづられています。
惣門秀男さんの回顧録より
「バッター好きの二人が前線の転勤になった。ああ、よかった。これでホッとしたよ」
航空隊内部を詳細に描いた配置図も。
惣門さんは大分航空隊卒業後、特攻隊として出撃することなく終戦を迎え、1961年、38歳で亡くなっています。
郷土戦史研究家 亀田雅弘さん
「大分航空隊は謎の部隊、写真も残っていない。惣門さんの資料がなかったら、わからなかったことがたくさんある。そういった意味では、とても貴重な資料」
戦後80年、戦争の実態をつづった貴重な回顧録は、平和の尊さを改めて訴えかけています。