落ち着いていて物事に動じないことを「泰然自若(たいぜんじじゃく)」と言います。
これらは何事が起こっても落ち着いて動じないことを言います。
しかし、なぜそれを「泰然自若」と表現するのでしょうか。
今回はそれら「泰然自若」という言葉について解説します。
ここでは特にその意味はもちろん類義語や対義語も説明します。
「泰然自若」とは
まずは「泰然自若」の意味について見ていきましょう。
「泰然自若」の意味
「泰然自若」とは落ち着いていて物事に動じない様子のことです。
何事が起こっても落ち着き払って少しも動じないことを言います。
これらはもともと「泰然」「自若」という個別の言葉として使用されていた歴史があるそうです。
それらが現在のように「泰然自若」と繋げて使用するようになったのは近代以降とされています。
「泰然自若」の由来
ここからはそれら「泰然自若」の中でも「泰然」と「自若」それぞれがどのような言葉なのかについて見ていきましょう。
「泰然」とは
「泰然」はとても古い言葉の1つです。
これらは落ち着いて物事に動じない様子のことを言います。
特に出来事に左右されないことの表現として使用されます。
もともと「泰」は「泰平」「安泰」など危険がなく安全なことを言う表現だったとされているそうです。
それでいて「然」は「平然」など「○○の様子」を表現する言葉とされているのだとか。
そこから「泰然」は堂々としていて平穏な様子を言うようになったと考えられています。
「自若」とは
「自若」もとても古い言葉の1つです。
これらは何事にも慌てず驚かず落ち着いている様子を言います。
中でも平常心でいることの表現として使用されることが多いです。
本来「自」は「自明」のようにありのままという意味を持つ言葉として使用されています。
それでいて「若」は「然」と同じく「○○の様子」を指すとされているのだとか。
そこから「自若」は最初のままの様子を言うようになったと考えられています。
「泰然自若」の類義語
ここからは「泰然自若」の類義語を見ていきましょう。
意気自如
「意気自如」とは物事に驚き恐れたりせず普段と変わらず平静な様子のことです。
「意気」は本人が持っている気持ちや心持ちのことを意味します。
「自如」は平気で落ち着いていることを意味します。
つまり、驚いたり恐れたりせずに普段通りのことを言うのです。
それらの点が「泰然自若」と通ずるものがあるのではないでしょうか。
明鏡止水
「明鏡止水」は邪念がなく澄み切って落ち着いた心境を言います。
「明鏡」は一点の曇りもない鏡を意味する言葉です。
「止水」は静かに止まっている水を意味する言葉となります。
つまり、何も雑念がないクリアな状態のことを言う表現なのです。
それらの点が「泰然自若」と重なるものがあるかもしれません。
鷹揚自若
「鷹揚自若」とは落ち着いていて何事にも動揺しない様子です。
「鷹揚」は余裕があって大らかなことを言います。
「自若」は落ち着いていて慌てることがないことを言います。
つまり、物事に動揺せず平然としていることを言う表現です。
それらの点が「泰然自若」と似ていますね。
「泰然自若」の対義語
最後に「泰然自若」の対義語についても見ておきましょう。
周章狼狽
「周章狼狽」とは大いに慌ててうろたえることを言います。
「周章」も「狼狽」も非常に慌てるような意味を持ちます。
これらは「周章」に「狼狽」を添えて意味を強調した表現です。
ちなみに「狼」「狽」はともに伝説上の獣とされています。
「狼」は前足が長くて後足が極端に短い獣です。
「狽」は前足が極端に短くて後足が長い獣です。
それら「狽」が「狼」の後ろに乗るようにして二頭は常に一緒に行動するとされ、離れると動けず倒れてしまうのだとか。
それらの逸話からこの言葉が生まれたとされています
転じて、慌てふためく意味で使用するようになったとか。
また、うまくいかないことの例えとしても使用されます。
それらの点が「泰然自若」と真逆の意味と言えるでしょう。
右往左往
「右往左往」とは大勢の人が秩序もなくあちこちを行ったり来たりすることを言います。
これらは大勢の人々が混乱してパニックになっているような様子を言う表現です。
ここでの「往」という表現は行くという意味を持ちます。
つまり、右へ左へ落ち着かない様子を言う言葉なのです。
それらの点が「泰然自若」と真逆となっています。
まとめ
「泰然自若」は何事にも動じず、落ち着いていることを言います。
これらはどのような事柄にも動揺しないような様子を意味します。
ちなみに、これらの言葉はもともと「泰然」と「自若」で分けて使用されていたそうです。
それらを組み合わせて生まれたのが「泰然自若」です。
近年では日常生活であまり耳にすることもありませんが、そこはぜひ意味だけでも覚えておきましょう。