老舗そば店は地域に何を”残す”のか――茨城・常総、66年続く食堂が抱える宿題
原材料費の上昇、人手不足、人の流れの変化――。地域の飲食店を取り巻く環境は、ここ数年で一段と厳しさを増している。とりわけ個人経営の老舗店は、味の継承、価格設定、人材確保、来店機会の維持という複数の課題を同時に抱え、廃業を選ぶ店も少なくない。
一方で、地域に長く根づく店は、単なる「食事の提供場所」を超え、地元食材の出口、住民同士の接点、災害後のにぎわいの拠点といった機能を担ってきた側面もある。茨城県常総市で創業66年を迎えた「そば処 喜良久庵」を運営する有限会社喜良久庵の代表取締役・矢口智恵氏に、店を続ける意味と、これから問われる課題を聞いた。常総市の水海道地区はかつて鬼怒川舟運の要衝として栄えた商業地で、同店の歩みは地域経済の変化とも重なる。
老舗に問われているのは「味」だけではない――個人店の経営を縛る複合課題
喜良久庵は、そば、丼物、うどんなどを提供する常総市の老舗食事処である。ぐるなび掲載情報によれば、水海道駅から徒歩圏に立地し、「常陸秋そば」「カツ丼」「カレー南蛮」が看板メニューとして並ぶ。そば専門店でありながら、地域の食事処として幅広い需要を担ってきた様子がうかがえる。
矢口氏は、毎日仕込むそばに茨城県のブランド品種「常陸秋そば」を用い、地元食材を軸に営業を続けてきたと話す。茨城県の食と農のポータルサイトによると、常陸秋そばは1985年に県の奨励品種として認定された品種で、香りや味わいの評価が高い。同店ではこうした素材の持ち味を生かしつつ、時代に合わせて味付けや提供方法を少しずつ見直してきたという。
ただし、老舗店の価値は「おいしさ」だけでは測りにくい。価格競争や効率化が進むなかで、個人店が同じ品質を維持し続けるには、仕入れや仕込み、接客を含めた日々の積み重ねが欠かせない。伝統を守ることが、そのまま経営の安定を意味するわけではない。何を残し、何を変えるのか――その判断は、これまで以上に重い意味を持つ局面に来ている。
そば粉も油も値上がりするなか、「常陸秋そば」を変えない決断
近年、飲食店にとって原材料費の高騰は避けて通れない問題になっている。そば粉、油、肉類を含めた食材の価格変動は利益に直結しやすく、より安価な材料への切り替えや内容量の調整に動く店も増えている。
そうしたなかで、矢口氏は店の中心となるそばについては常陸秋そばを使い続けると説明する。「お客様の『美味しい』という声に応え続けたい」と話し、香りや風味の面で店の価値を支える素材として位置づける。品質維持はそのままコスト増へ直結するが、仕入れや仕込みの工夫で吸収してきたという。
ただし、これは現時点での同店の方針であり、今後も同じ形で維持できるかは市場価格や来客動向に左右される。原材料高が長期化すれば、地域の老舗であっても価格設定や商品構成の見直しを迫られる可能性は残る。
この選択は、一店舗のこだわりに収まらない側面も持つ。地元産品は、使い続ける店があってこそ日常の食文化として残る。逆に言えば、地元食材を扱う店が減れば、その食材自体の流通基盤も細っていく。地域食材の活用は理念だけでは続かず、消費者が価格差をどう受け止めるかを含めて、成立条件が問われている。
仕入れ先が閉店、隣町の店から引き継ぐ――”看板メニュー”を支える地域の商流
喜良久庵の主力商品の一つであるカツ丼について、矢口氏は創業当時から地元精肉店とのつながりの中で形づくられてきた一品だと話す。特筆すべきは、その仕入れ先の精肉店が閉店した後も、引き継いだ隣町の店舗から仕入れを続け、味と品質を維持してきたという点だ。看板商品の裏には、店と店のあいだで受け渡される地域商流の連鎖がある。

また、カレー南蛮についても、創業者が東京・本所で修業した味を受け継ぐ看板メニューだと説明する。これらは事業者側の説明によるものだが、定番商品の背景に仕入れ先や修業先との関係が折り重なっているのは、個人店ならではの構造である。
外部からの見え方としては、地域情報サイト「townode」が同店を「地元で愛される蕎麦屋」「昼時は多くのお客さんで賑わう人気店」と紹介している。第三者による短い紹介文ではあるが、日常利用に根ざした店として地域に認識されていることはうかがえる。
店の個性は、派手な新規性だけで生まれるわけではない。長く続く店では、料理そのものに加え、どこで学び、誰から仕入れ、どう受け継いできたかが、商品の輪郭そのものをつくる。だが、こうした蓄積は後継者や取引先があって初めて維持できるもので、地域の商流が細れば失われる可能性もある。看板商品を守ること自体が、地域経済の変化に左右される時代に入っている。
出前と高校生コラボ――災害復興地域で問われる「食堂以上」の役割
矢口氏は、同店の強みについて、味・量・価格のバランスに加え、「お客様一人ひとりに寄り添う柔軟さ」だと話す。メニューにない要望にも可能な範囲で応じ、出前サービスは高齢の利用客との接点にもなっているという。チェーン店では担いにくい、顔の見える関係が店の役割の一部になっているという認識だ。実際、結城信用金庫の地域飲食店紹介ページでも、同店は出前可能な店として案内されている。
一方で、老舗が地域で生き残るには、既存客に支えられるだけでは足りない。同店は季節の天ぷらや「よくばり3種丼」などの新メニュー開発に加え、
地元高校生から店のキャラクターを募集する企画にも取り組んでいると矢口氏は話す。

ここで見落とせないのが地域固有の文脈だ。常総市は2015年の関東・東北豪雨で大規模な浸水被害を受けた地域であり、商店街のにぎわいや人口動態は災害後の社会環境変化の影響を受けてきた。そうしたなかで、店を地域との接点として保ちたいというのが矢口氏の考えだ。
ただし、新しい取り組みが直ちに来店増や事業継続につながるとは限らない。地域人口の動向、物価上昇、働き手不足といった構造的要因は、個店の努力だけでは吸収しきれない部分が大きい。老舗店の継承は、過去の味を守ることに加え、次の世代とどう接点をつくるかという課題でもある。喜良久庵の試みがどこまで地域に根づくかは、これからの数年で輪郭が見えてくることになりそうだ。
【取材協力】
有限会社喜良久庵/そば処 喜良久庵
代表取締役 矢口 智恵 氏
https://gjpx100.gorp.jp/