なぜ鼠径ヘルニア手術は「入院」が主流なのか――日帰り年500件超のクリニックの試み

2026-06-08 16:30

国内で手術件数の多い外科疾患の一つ「鼠径ヘルニア(脱腸)」は、いまも入院治療が主流とされる。仕事や育児、介護を抱える患者にとって、入院は身体的・精神的・社会的な負担を伴う。こうしたなか、埼玉県さいたま市大宮区の「埼玉外科クリニック」は、鼠径ヘルニアの日帰り腹腔鏡手術に特化した診療体制を敷き、2025年の年間手術件数は500件を超えている。患者負担の軽減という方向性と、日帰り適応判断・術後フォロー体制という課題について、院長の松下公治氏に話を聞いた。

患者数は多いのに専門医療機関は少ない 鼠径ヘルニア診療の「需給のずれ」

「鼠径ヘルニア」は下腹部の鼠径部が膨らむ病気で、「脱腸」とも呼ばれる。男性に多い疾患として知られ、国内でも手術件数が多い外科領域の一つだ。にもかかわらず、専門外来を前面に掲げて継続的に診療する医療機関は限られている。患者数が多いのに専門医療機関が少ない――この需給のずれを、現場の医師はどう見ているのか。

その背景について松下氏は、「多くの外科医は胃がんや大腸がんなど、生命に直結する疾患の治療を主な専門にします」と説明する。そのうえで、「鼠径ヘルニアも患者数が多く、手術の質を継続して高めるには、症例に集中的に向き合う体制が必要だと考えました」と話し、この分野に特化したクリニックを開設した経緯を語る。

同院では、低侵襲とされる腹腔鏡による日帰り手術を主軸に置き、初診では1人30分の診察枠を設けて説明と対話に時間を割いている。術前後の連絡や経過確認の仕組みも整え、患者の不安軽減を図っているという。松下氏によると、2025年の年間手術件数は500件を超えた。

ただし、専門特化型の体制は、症例の継続的な確保と術後フォローの質が前提となる。特定の医師の経験や運営体制に依存しやすい面もあり、患者利便性と医療機関としての持続性をどう両立させるかは、この分野の専門クリニックが共通して向き合う論点でもある。

通院3回・滞在4時間で完結する「日帰り腹腔鏡手術」

松下氏によると、日本では鼠径ヘルニア手術の多くが、いまも入院治療で行われている。「入院は患者さんにとって、身体的・精神的・社会的な負担になり得ます。仕事や育児、介護など、日常生活をいったん止める必要があるからです」と話す。

同氏は、入院では事前準備や検査、各種手続きなど手術前後の工程が多くなるとみる。これに対し、同院では初診で診察と検査を行い、2回目の来院で手術を実施する。滞在時間はおおむね4時間ほどで、術後1週間前後の経過観察を含め、計3回の来院で治療を完了する流れを組んでいるという。

同院が主軸とする腹腔鏡手術は、腹部に約5ミリの小さな穴を3カ所開けて行う術式だ。従来の切開手術に比べ、術後の痛みや回復期間の面で患者負担を軽減できる可能性があると松下氏は説明する。

ただし、日帰り手術はすべての患者に一律で適用できるわけではない。全身状態や合併症の有無、帰宅後の支援体制などを踏まえた適応判断が欠かせず、術後に異変が生じた際の連絡体制を含めて運用の質も問われる。利便性が高まるほど、適応の選別と安全管理の両立が現場に求められる構造でもある。日帰り手術の拡大は、こうした条件整備とセットで初めて意味を持つ。

件数より問われる「標準化」 日帰り手術は地域医療に定着するか

松下氏によると、同院の年間手術件数は500件超に達しており、急性期のDPC対象病院の公表統計と比べても多い水準だという。「件数そのものを目標にしているわけではありません。結果として症例が集まり、その中で手技や説明の改善を続けてきました」と話す。

症例の蓄積は診療の質向上につながる一方で、特定の医師の経験や運営体制に依存しやすい側面もある。一医療機関に症例と知見が集中する構造は、地域医療全体で見れば必ずしも持続可能とは言い切れない。専門特化クリニックが共通して直面する課題でもある。

松下氏が今後の方針として挙げるのは、日帰り腹腔鏡手術の標準化と普及への貢献だ。症例や知見を蓄積し、後進への技術共有や情報発信にも取り組んでいく考えを示す。「入院への不安から受診を先延ばしにする人に、こうした選択肢があることを知ってもらいたい」とも語る。

外科医療では、患者利便性の向上と安全性確保の両立が常に問われる。日帰り手術がどこまで広がるかは、症例蓄積の量だけでなく、適応判断の標準化、術後管理体制の整備、技術共有の継続性に左右される。一医療機関の取り組みが、患者の選択肢を広げる動きへつながるかは、今後数年の動向が、その行方を左右することになりそうだ。


【取材協力】
医療法人博文会 埼玉外科クリニック
理事長 松下 公治 氏
https://saitamageka.com

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