「痛くなってから行く」では遅い? 予防歯科が問うこれからの歯科医院の役割
歯が痛くなった、詰め物が取れた。そうした症状が出てから歯科医院へ行く人は少なくない。
一方、むし歯や歯周病のなかには、自覚症状が乏しいまま進行するものもある。症状が出た時点では、すでに治療が必要な状態になっているケースもある。近年は、悪くなってから治療するだけでなく、定期的に口腔内の状態を確認し、むし歯や歯周病を予防する考え方も広がってきた。
岩手県の北上しらゆりデンタルクリニックでは、「学べる歯科医院」という考え方を掲げ、患者自身が口の状態を理解したうえで予防や治療を選べる診療を目指している。これからの歯科医院には何が求められるのか。院長の境英二氏に話を聞いた。
「80歳で20本」の達成者は増えている
日本では長年、「80歳になっても自分の歯を20本以上保つ」ことを目標とする8020運動が進められてきた。厚生労働省の2024年歯科疾患実態調査では、80歳で20本以上の歯を持つ人の割合は61.5%と推計されている。
以前と比べれば、自分の歯を残している高齢者は確実に増えている。
ただ、それで予防の必要性が薄れたわけではない。歯を失う主な原因であるむし歯や歯周病への対策は今も重要で、とくに歯周病は初期には痛みなどの自覚症状が乏しいまま進行することがある。
境氏は、症状が出てから受診するだけでなく、症状がない段階から口の状態を確認することが大切だと話す。
「歯医者は痛くなったときに行く場所」から、「悪くならないために行く場所」へ。予防歯科の考え方を広げるには、こうした受診行動そのものを変えていく必要がある。
もちろん、定期的に通うことは簡単ではない。仕事や育児などで忙しい世代にとって、症状がない状態で時間をつくり、歯科医院へ行くことには一定の負担がある。予防の重要性を伝えるだけでなく、継続して受診しやすい環境をどうつくるかも、歯科医院側の課題になる。
歯周病は「口の中だけ」の問題ではない

口の健康は、歯だけの問題ではないことも分かってきている。
厚生労働省の情報では、歯周病と糖尿病には双方向の関連があることが報告されている。糖尿病によって歯周病が悪化しやすくなる一方、糖尿病患者に歯周治療を行うことで血糖コントロールの改善がみられることも示されている。
また、歯周病は心疾患や慢性腎臓病、呼吸器疾患など、さまざまな全身疾患との関連も報告されている。ただし、疾患によってエビデンスの強さには違いがあるため、「歯周病を防げば全身疾患を予防できる」と単純に言い切ることはできない。
境氏も、歯だけを診るのではなく、患者自身が口腔内の状態と健康との関係を理解することを重視しているという。
むし歯や歯周病は、自覚症状が乏しい段階から進行することもある。症状だけを基準に受診するのではなく、定期的に状態を確認することには意味がある。
「説明された」で終わらせない
北上しらゆりデンタルクリニックでは、初診時のカウンセリングに時間をかけているという。
患者がどのような症状で困っているのかだけでなく、治療への不安や希望についても聞き取る。そのうえで、口腔内写真やレントゲン画像を患者と一緒に確認しながら、現在の状態や治療の選択肢を説明する。
境氏が重視しているのは、歯科医師側が治療方法を一方的に決めるのではなく、患者自身が自分の状態を理解したうえで選択することだ。
例えば、「むし歯があります」と言われるだけでは、自分の口の中で何が起きているのかを実感しにくい。実際の画像を見ながら説明を受ければ、治療の必要性や予防について考える材料になる。
同院が掲げる「学べる歯科医院」という言葉も、こうした診療方針を表したものだという。
ただし、説明に時間をかければ、それだけで患者の行動が変わるわけではない。内容を理解していても、日々の歯みがきや定期的な通院を続けることは別の問題だ。医療側ができるのは、判断材料を提供し、患者自身が選択できる環境を整えるところまででもある。
予防は歯科医院だけでは完結しない

むし歯や歯周病を防ぐためには、歯科医院でのケアだけでなく、日々のセルフケアも欠かせない。
北上しらゆりデンタルクリニックでは、患者の口腔内の状態に応じて、歯ブラシなどの清掃用具の選び方や使い方についても説明しているという。プロによる定期的なケアと、自宅で毎日行うセルフケア。その二つを組み合わせて口腔内の状態を維持していく考え方だ。
もっとも、毎日のセルフケアを長期間続けることは簡単ではない。
最初は丁寧に磨いていても、時間が経てば元の習慣に戻ることもある。その意味では、歯科医院には治療だけでなく、「なぜこのケアが必要なのか」を繰り返し伝える役割もある。
患者自身が口の状態を理解し、自分で管理できるようになるまでどのように支えるか。予防歯科では、治療技術とは別のコミュニケーションも求められる。
歯科医院は「治す場所」から変わるのか
むし歯を削り、詰める。歯周病を治療する。そうした役割が歯科医院からなくなるわけではない。
一方で、治療を繰り返すだけではなく、そもそも治療が必要な状態をできるだけつくらないという考え方も広がっている。
境氏が目指す「学べる歯科医院」も、その延長線上にある。
患者が自分の口の中で何が起きているのかを知り、必要な治療や予防について歯科医師や歯科衛生士と一緒に考える。そうした関係をつくることが、同院の考える予防歯科だという。
もちろん、一つの歯科医院の取り組みだけで地域全体の受診行動を変えることは難しいし、定期的に通えばすべての歯を生涯残せると保証できるものでもない。
それでも、「痛くなってから行く」だけではなく、自分の口腔内の状態を定期的に知るという選択肢を持つことには意味がある。
日本では80歳で20本以上の歯を残す人が増えている。その流れをさらに進めていくには、治療技術だけでなく、患者自身が口の健康について理解し、日常の行動につなげられる環境をどうつくるかが問われている。

【取材協力】
北上しらゆりデンタルクリニック
院長 境英二
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