「知華のいない世界で生きなければ」辺野古転覆事故から3か月 亡くなった女子高校生の家族がいまの思い語る【news23】
辺野古沖で船が転覆した事故で亡くなった高校生の母親と姉が、news23の取材に応じました。
辺野古転覆事故から3か月 母親と姉が知華さんへの思い語る
沖縄県名護市辺野古で起きた事故から3か月。現場近くの浜には朝から花が手向けられています。
2026年3月、修学旅行中の高校生を乗せた船2隻が転覆し、船長の金井創さん(当時71)と京都府の同志社国際高校2年生・武石知華さん(当時17)が亡くなりました。
事故から6月16日で3か月。武石さんの母親と姉が取材に応じました。
武石さんの母親(文書でコメント)
「この3か月、知華のいないこの世界で生きなければいけない、生きていくという意味を問い続け、また娘の死という現実に向き合い、今まで思い描いていた知華の成長、卒業式、成人式、社会人としての活躍、結婚、孫との生活、娘との旅行、孫に囲まれた老後など、一つ一つをあきらめていく、頭にあきらめさせるように努めた日々でした。同世代のお子さんを目にするのが辛くて外出も極力避け、ただ時の経過にまかせてやりすごす。そんな日々でした」
武石さんの姉
「日常の中にはあまりにも知華がいて、ふとした友達との会話の中にも、コスメとかひとつひとつのカラコンの話にも、街で見かけるものすべてにも、全部どこかに知華を思い出してしまっていて。その度にもうこの世の中に知華がいない現実を突きつけられていて、泣いてしまう日々が続いています」
「事故から3か月が経つが、今も前を向いてるといえる状態では全くなくて。ただただ、知華に起きたことっていうものを曖昧にされたくない、知華の尊厳を守りたいという思いだけで、なんとか今日ここまで立っています」
父親「抗議船に乗ることなど全く知らなかった」
この3か月で当時、武石さんを守るはずだった大人たちのずさんな対応が次々と明らかになっています。
知華さんらを乗せた船が港から海に出て行った当時、波浪注意報が発表されていました。
3月16日、修学旅行に来ていた武石さんは7つの平和学習コースから「辺野古をボートに乗り海から見るコース」を選択。
しかしこの「ボート」は一般的なボートではなく、米軍基地移設に反対する、いわゆる“抗議船”でした。
武石さんの父親(noteより)
「私は当日まで、知華が『抗議船』に乗ることなど全く知りませんでした。知華自身もこのコースの背景をほとんど理解していなかったようです。もし、私が『辺野古・ボート』という単語にもっと敏感に反応できていたとしたら。でも正直、当時の私たちが疑問を持つには、私たちが学校を信頼しすぎ、そして提供されていた情報があまりに少なすぎました」
武石さんたち18人の生徒は、2隻に分かれて乗船。
しかし引率の教員は、乗り物酔い体質であることなどを理由に船に乗っていませんでした。現場にいた教員は、当日波浪注意報が出ていたことも知らなかったといいます。
さらに、船を運航していた「ヘリ基地反対協議会」は運航可否の基準を明文化しておらず、最終的な判断を船長に一任。抗議船は武石さんたちを乗せて出航していきました。
しかし、事故当日の海を見た地元の住民は…
Q.事故当日の海の様子はどんな状況だった?
地元住民
「(当時は)波が高くて、海に出るような状態ではなかった。突風がぶわって吹いて…」
午前9時48分、事故の直前。海上保安官が「波が高いので十分気を付けてください」と2隻の船に呼びかけます。
しかし22分後、前を航行していた「不屈」が転覆。武石さんが乗った「平和丸」も2分後に転覆。
海上保安官が救助に向かうと、生徒など21人は全員荒れた海に投げ出されていました。
このうち20人は事故から40分以内に救出されました。しかし、その中に武石さんはいませんでした。
母親「起きて 生きて戻って来て」
武石さんは転覆した船の一部に自らのライフジャケットが引っかかっていました。
武石さんが海から救出されたのは転覆から約1時間後。搬送先の病院で死亡が確認されました。
武石さんが病院に運ばれたと知らされた母親は…
武石さんの母親(文書でコメント)
「私は何が起こったのかよく理解できず、とりあえず学校へ向かうことにしました。校長は携帯を操作し、おそらく病院名か死亡時刻を探していた様⼦で、淡々と携帯の画面を見ながら『知華さんですが、さきほどえーと…12時…29分に、えーと、どこの病院だっけな、えーと北部地区医師会病院にて死亡が確認されました』と告げました」
「17年間⼤切に⼤切に育ててきた娘の訃報はこんなにも端的に、簡単に告げられるものなのかと絶句でした。よく覚えていませんが、『いやです…なんでですか?なんで知華が…いやです…なんで…なんで…』と⾔い続けた記憶があります」
「⾃宅に戻りすぐ、何とかして知華を起こせないかと思い、知華のベッドを何度もたたきました。起きて、生きて戻ってきてって⾔いながら何度も何度も…」
「実際に対面した時は、現実なのだと、なんで、なんで死んでいるのって、傷も私たちの想像以上でした」
武石さんの姉
「修学旅行に⾏っていただけの妹が、どうしてこんな姿で帰って来なければならなかったのか、今もまだ受け止められていなくて…。たった一人の姉だったのに、知華が⼀番怖かった時にそばにいてあげられなかった悔しさ。1時間も一人で冷たい海の中にいたというのが悔しくて、その無⼒感と後悔は今もずっと残っています」
「知華と沖縄で対⾯した時には、『遅くなってごめんね』『一人にしてごめんね』という、本当になんでもない言葉しか、かけることしか出来なくて、悔しかったです」
事故の2日後、母親は武石さんが乗っていた船に向かい、娘の名前を呼びました。
武石さんの母親(3月18日)
「ともちゃん…ママ来たよ。どこに引っかかっちゃってたん?怖かったね、ともちゃん…」
“校長” 始業式で「直接的な原因は私たちにあるわけではない…」
この事故をめぐって高校側は、事前に下見をせず、事故発生時の対策を講じず、生徒たちにライフジャケットの着用方法の指導をしていなかったなどとして、文科省と京都府は「安全確保・安全管理が著しく不適切だった」と結論付けています。
しかし、校長は4月の始業式で生徒たちに対し…
校長の音声
「事故が起こった直接的な原因は私たちにあるわけではないのですが、それを未然に防ぐための、避けるための、回避するためのことは出来たのだろうと思います」
この発言について高校側に尋ねると…
同志社国際高校
「船が転覆した直接的な原因は、転覆前の波の状況や操舵の状況にあることを念頭に置いた発言であり、本校の安全管理上の責任を否定したものではございません」
母親 “事故から目を逸らさないで”
国交省は、死亡した「不屈」の金井船長が学校から依頼を受けて過去6回にわたり謝礼を受け取っていたことを確認。しかし、事業登録を金井船長が行っていなかったため、海上運送法違反の疑いで刑事告発しました。
一方、武石さんが乗った「平和丸」の船長は、救出後も聞き取りに一切応じない意向を示していると言います。
国の聞き取りに応じていない船長に話を聞くため、自宅を複数回訪ねましたが不在。関係者に話を聞くと、電話は繋がらず、どこに住んでいるかもわからないといいます。
船を運航していたヘリ基地反対協議会は16日…
Q.出航を止められなかった点については?
ヘリ基地反対協議会
「当時の海況がどうだったか全く知らないので、それはお答えすることが難しい」
Q.3か月経って把握した部分もあると思う。協議会の中で出航をやめる基準の取り決めは?
ヘリ基地反対協議会
「出航判断がどうだったか、まだはっきりわからないので、それが分からないと判断や基準を作ることは難しい」
第11管区海上保安本部は業務上過失致死傷などの疑いで捜査を進めています。
武石さんの家族は、武石さんを安全管理が不十分な船に乗せたこと、そして武石さんの命を守れなかったことから目を逸らさないで欲しいと訴えています。
武石さんの母親(文書でコメント)
「特定の思想、信念、政党は横に置き、今回の事故で改善すべき問題点をひとつひとつ解決してくことで、今後このような形で命を落とすことがない、有意義な研修旅行、修学旅行が遂⾏されるように、知華の死が無駄にならないようにすることで娘への供養としていきたいと考えております」
遺された家族がいま伝えたいこと
藤森祥平キャスター:
ご家族の皆さんは私たちの質問に一つ一つ本当に丁寧に答えてくださいました。
命が失われてしまったこともそうですし、そのご家族の思いや言葉をしっかり受け止められるように尽くしていきたいなと改めて思いました。
小川彩佳キャスター:
私もご家族とお話をすることができました。武石さんは泳ぎが得意なお子さんだったそうです。誰かの助けがあったら助かったかもしれないと無念さをにじませていらっしゃいました。
ありがとう、ごめんねがもう伝えられない。命は取り返しのつかないものだと、そうした現実に向き合った過酷な3か月だったと。
一方でご家族は、報道やSNSの情報が広がっていく中で、武石さんが活動家などと事実に基づかない言葉で語られて、人物像が一人歩きしていく苦しさにも向き合ってこられたそうです。
右とか左とか全く関係なく、どちらかに加担するつもり、どちらかを責めるつもりもない、ただ事故に真摯に向き合ってほしい。そのような言葉から、事故の真相を求めると同時に、武石さんのことを正しく真っ直ぐに受け止めてほしいと、その尊厳を懸命に守ろうとした切実な3か月だったということが伝わってまいりました。
藤森キャスター:
今回事故の現場が平和学習だったこともあって、様々な話が広がってしまったこともありますが、ご家族が強く訴えていたことの一つは、どんな学校教育の現場でも絶対安全はないんだということでした。
小説家 真山仁さん:
ずっと見ていて、未だに何が起きたかよくわからない。おそらく、わかる人すら何も言っていない。それは責任を取りたくないからではないかと思ってしまいます。
しかしご家族からすると、この3か月、自分がそばにいたら何かできたと絶対思う。だからもうこれは無念でしかない。他の人の話を聞くと怒りしかありません。
怒りや無念以上に、おそらく抗議行動のようなことを言うから余計に色々な人が話さないのでしょう。
平和学習は大事だと思います。けど今回やったことが、どこがどう平和学習なのか、これは事故じゃないですよ。もう、事件ですよ。
平和学習だと本当に胸を張っておやりになるんだったら、事故だとおっしゃるなら、きちんと何が起きて、我々は徹底して調べましたと。あり得ないことが起きたのなら、そのあり得ないことを家族の方が聞いたら、こんなことが起きるんだと、少し何かわかればそれは致し方ないと思うかもしれませんが。
ずっと3か月間何が起きたかわからなくて、どんどん非難や勝手なことを言われるというのは、たまらないだけではなく、これだけ情報がたくさん出ている世の中で、こんなことが起きていいのかと少し驚愕です。
小川キャスター:
幾重にも苦しみが押し寄せてくるわけですよね。
小説家 真山仁さん:
わからないことが一番辛いと思います。
小川キャスター:
平和学習という言葉がありましたが、その平和教育について武石さんのお姉さんはこのように綴ってくださいました。
武石さんの姉
「私たちが求めているのは平和教育をなくすことではありません。子供たちが安全に、そして偏った一方的な情報ではなく、様々な立場を知った上で自分で考えられる教育であってほしいということです」
「知華は平和を学びに行ったはずでした。それなのに命が守られない形で命を奪われて帰ってくることになってしまった。この矛盾を家族としてどうしても見過ごすことはできません」
小川キャスター:
ご家族は、とにかく子供を巻き込まないでほしい、誰も責任が取れないような環境下に子供を巻き込まないでほしい、死んでしまうという事実に真剣に向き合ってほしいとお話しされていました。
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<プロフィール>
真山仁さん
小説家 2004年「ハゲタカ」でデビュー
最新作はパンデミックを描いた「ウイルス」