「豚に真珠」とは、価値がわからない者に高価なものを与えても無駄であることを指す言葉となっています。
この言葉は、聖書に由来があるとされています。
そこでここでは、「豚に真珠」という言葉について意味や由来、類義語について解説します。
「豚に真珠」とは
まずは、「豚に真珠」の意味やその用い方について見ていきましょう。
「豚に真珠」の意味
「豚に真珠」は、豚に真珠を与えたところで何の価値もないということの例えとなります。
そこから、価値のわからない者に貴重なものを与えても何の役にも立たないことを指すようになりました。
似合わないことをあらわす言葉ではない
「豚に真珠」は、高級ブランド品が似合っていなくてもったいないといった意味合いで使われることもありますが、元々そのような意味はありません。
それが高級ブランド品だと知らなかったり気付いていない、価値が分からないという人にわざわざそんな高価な物をプレゼントするのがもったいない、という意味合いで用いるのが本来の「豚に真珠」です。
「豚に真珠」の由来
では「豚に真珠」は、どのような経緯で生まれた言葉なのでしょうか。
その成り立ちには、聖書が関係しているとされています。
由来は「新約聖書」の一節から
「豚に真珠」は、新約聖書の「マタイの福音書」にある一節から来ています。
その一節と言うのがこちら。
聖なる物を犬に与うな。真珠を豚の前に投なぐな。おそらくは足にて踏みつけ、向き反かえりて汝なんじらを噛みやぶらん
犬に聖なる品を与えることも、豚に真珠を与えることも意味がないという文になっています。
この一説から「豚に真珠」の部分だけが広く用いられるようになったのです。
このブタ、なかなか物騒・・・
「豚に真珠」があらわす豚はなかなか物騒です。
なにせ、真珠を与えると足で踏みつけて来るばかりか、噛みついてくるかもしれないというのです。
とはいえ、この一説にはそもそも「ブタの目前に真珠を投げるな」とあります。
つまり、真珠をどうぞどうぞとあげるのではなく、石のように投げ渡しているわけです。
これにはブタが攻撃された!と思って怒っても仕方ないのでは?と思う文章ではあるのですが・・・。
「豚に真珠」の類義語
ここからは「豚に真珠」の類義語について見ていきましょう。
動物が関係することわざが多い傾向にあります。
猫に小判
「猫に小判」は、猫に小判を与えても猫にその価値が分かるわけがないという描写した言葉です。
そこから、価値を知らない者に与えても意味がないという意味で用いられています。
馬の耳に念仏
「馬の耳に念仏」は、馬に念仏を唱えてもそのありがたさは通じないので無駄という様子から来た言葉です。
いくら良いことやありがたい話を懸命に言い聞かせても、理解できなければ意味がありません。
また、まともに耳を傾ける気がなければ何の効果もありません。
そこから、このことわざはいくら意見を述べても無駄な事や話が通じないという意味で用いられます。
兎に祭文
祭文とは、祈願や祝詞として用いられる神仏への願文の事です。
つまり、ウサギに神仏の霊験を説いても無駄だという事から来ているという事になります。
そこからら、いくら意見をしても効き目がないことの例えとして使用されるようになりました。
まとめ
「豚に真珠」は、まさに豚に真珠を与えることからきています。
価値のわからない者に高価なものを与えても意味がないという意味で用いられます。
この言葉は、新約聖書に書かれた一節に由来します。
類義語としては、「猫に小判」「馬の耳に念仏」「兎に祭文」などがあげられます。