公園や商店街の付近などで地面に落ちている餌をついばみ、頭を前後に振るように動かしながら歩いている姿を見かける鳩。日常でよく見られる鳥の一種ですが、"平和の象徴"をあらわす鳥とされています。
確かにのんきに餌をつつき、小さい子に追われて地面を駆ける姿は平和そのものですが・・・その姿が平和の象徴足り得るかというと違う気がします。
実際のところ、鳩が平和の象徴になったのには古いいわれと、1950年頃に誰もが知る人物が平和をあらわすために鳩を描いたのが定番化した理由とされています。鳩が平和の象徴となるような古いわれとはなにか、誰の手により定番化したのかについて解説します。
鳩が平和の象徴になった理由
ユダヤ教やキリスト教、そしてイスラム教の啓典とされる『旧約聖書』。その中にある「ノアの方舟」伝説に鳩が平和の象徴となった理由があるとされます。
旧約聖書『創世記』におけるノアの方舟伝説
「ノアの方舟」伝説が書かれているのは旧約聖書の一節『創世記』の中です。その伝説の内容は以下のとおりです。
はるか昔、地上には人が溢れかえり、神への信仰を忘れ堕落しきっていました。その様子を見た神は嘆き、洪水を起こし人を滅ぼすことを決めます。しかし、地上で唯一神を信仰していた「ノア」という人物にだけ、この決意を伝えます。同時に神は一つの指示を与えます。その内容は巨大な船を造り、その中に地上に住むあらゆる動物のつがいを乗せること、その船に乗り洪水に備えるように、というものでした。
ノアは神からの指示に従い巨大な船、方舟を作るとともに地上に住む動物をつがいを集め、妻と三人の息子、そして息子たちの妻と一緒に方舟に乗せました。
そして、ついに神は決意した人間を滅ぼす洪水を起こします。洪水は40日に渡り続き、地上の人間だけでなくあらゆる地表の生き物を飲み込みました。洪水はその後も勢いを残し、150日に渡り方舟は荒れ狂った洪水の中にありましたが、アララト山の上で止まりました。
40日の漂流の後、ノアは烏を放ち、周りの様子を伺わせに行きました。しかし、烏は周りに水しかなく羽を休めることのできなかったため戻ってきてしまいました。
7日後、今度はノアは鳩を放ち様子を見に行かせました。するとまた烏と同じ様に方舟に戻ってきてしまいましたが、その口にはなにか植物を咥えていました。
鳩が咥えている植物も平和の象徴
この時、戻ってきた鳩が咥えてのが「オリーブの枝」です。鳩がオリーブの枝を咥えて戻ってきたのを見てノアは水が引きはじめ地上が姿を再び見せるようになったと確信しました。
さらに7日後に再び鳩を外に放つと戻ってこなかった事から、ノアは地表が再び姿をあらわしていることを確信したのです。
このノアの方舟の伝説の中で、オリーブの枝を咥えて戻ってきた鳩が平和な世界を確認した存在として、平和の象徴と考えられるようになりました。
創世記であらわす平和の世界とは・・・
堕落した地上の人々は、神の起こした洪水によって飲み込まれ姿を消しました。水も引き、再び姿をあらわした新世界には敬虔な神の信者「ノア」の一族とあらゆる動物のつがい達だけがいます。
そのため鳩が見つけたオリーブのある世界は、争いのない平和な世界ということになります。そこでこの鳩とオリーブは平和をあらわすシンボルとなりました。
オリーブを咥えた鳩が固定化されたのはピカソから
平和擁護世界大会
現在のようにオリーブを咥えた鳩が平和の象徴として定着するようになったのは天才画家「パブロ・ピカソ」が描いた絵にあるともされています。
東西冷戦が激化していた1949年、パリで開催された『第一回平和擁護世界大会』、この大会にピカソは一枚の絵を提供しています。
それがオリーブを咥えた鳩の絵です。この絵はその後も用いられたことから次第に平和の象徴という認識が広まっていきました。
ピカソと鳩の関係
ピカソが冷戦時代に東側諸国と呼ばれる国々の会議である平和擁護世界大会に鳩の絵を提供したのは、彼自身が共産主義者であり、フランス共産党員ということもあります。
一方で、彼にとって鳩は友であり、絵のモチーフでもありました。胸に鳩を抱いた少女を描いた『鳩と少女』はピカソの代表作の一つであり、出世作でもあります。
まとめ
鳩が平和の象徴とされているのは、旧約聖書にある「ノアの方舟」の伝説からはじまり、ピカソが平和擁護世界大会の開催に際して提供した絵に鳩が描かれていたことから定着したものでした。
ちなみに日本では古来より鳩は武運の神「八幡神」の使いとされています。勝利を呼ぶ鳥と聞くと平和の象徴とは正反対の印象になりますね!
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