放送界の先人たち・武敬子氏~「男女7人夏物語」にさんま起用のわけ~【調査情報デジタル】

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2024-12-07 08:00
放送界の先人たち・武敬子氏~「男女7人夏物語」にさんま起用のわけ~【調査情報デジタル】

放送界に携わった先人のインタビューが「放送人の会」によって残されている。その中から今回は、「男女7人夏物語」「三男三女婿一匹」など数多くのヒットドラマをプロデュースした武敬子氏のインタビューをお届けする。聞き手はドラマ演出家の久野浩平氏(故人)。

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ラジオが大好きだった

久野:武さんは、何しろ最初ラジオだから。

武:そうです。ラジオ大好きでした。学生の時にNHKのラジオドラマを聴いててね、山口淳という人が演出した近松の古典物で、それがすごく好きだったの。ラジオっていいなと思って、学業したらラジオの仕事しようと思ったわけ。

大学を出てからラジオ九州※の人と知り合って、営業のボスのヤマダシンイチさんっていう偉い人だった。その人がウチに来ないかって声かけてくださったので「行きます」って二つ返事で。

※ラジオ九州(九州初の民間放送局。現RKB毎日放送)

ラジオドラマへ

久野:で、ドラマについては、大体吉村※さんと?

※吉村忠夫 ラジオ九州プロデューサー

武:うーん。吉村さんの影響はあんまり受けてないね。吉村さんが亡くなって、しばらくして、プロデューサーとしてやっていくんだったら、何か作んないとって言われて、一番初めに作ったのが谷川さん※で。

※谷川俊太郎(1931-2024)詩人、絵本作家、脚本家など多彩な活躍で知られる

それが賞を貰っちゃったんです。一番先にやったのが賞を貰っちゃったから※、もう、えらいことみんなをしらけさせてさ。

※「ある初恋の物語-遠いギター、遠い顔」1958年民放祭文芸番組部門最優秀賞

音もギターも、とってもすてきだったの。すごく感傷的な、きれいな語りなんだな。何で谷川さんだったかというと、好きだったのね。谷川さんの詩には、先入観念がないでしょう。ただ言葉として見るわけだから。通じ合えるものがあったのね。ほとんどモノローグ・ドラマなんだけどね。

久野:でき上がりもよかったですよ。

武:いや、なんだかよく分かんないけど。

久野:最優秀賞もらってんだから。それで武さん、一挙に有名になっちゃった。

武:でも、生意気だったんだろうね。もうみんなに、いろいろなことでえらいこと怒られたな。

久野:しかし、すごいのはその後で、昭和35、38、39年と、民放祭の賞を取り続けた 。

武:うん。やっぱり仕事していくと、好きな作家が出てくるじゃない。

久野:矢代静一※。

※矢代静一 (1927-1998) 劇作家、演出家。代表作「写楽考」「北斎漫画」など。

武:そうそう。矢代さん好きだったからね。

久野:その後親しくつきあったのは寺山君※ですね。武さんとこ行って、ご飯食べてたんだから。

※寺山修司 (1935-1983) 詩人、劇作家。前衛劇団「天井桟敷」主宰。代表作「田園に死す」(歌集・映画)など。

武:そうそう、お昼ね。もう、しょっちゅうご飯食べに来てたの。お金がなくなると、人のとこへ来るんだもん。それで「あのーお金ないから行きたいんだけど」って電話かかってくるとさ、やっぱりカレーライスぐらい奢ってあげられると思うから、いいよって。その頃、あたし金持ちだったのかね?全然お金持ってた感じがないんだけど、そう返事したのよね。

久野:寺山君のアパートにも行ったことあるって。

武:行った、行った。だって、どんなとこに住んでんのか知りたいじゃない。そしたら意外なことに、ものすごくきれいにしてる6畳なわけ。真ん中にテレビが1台あるきりで、あとはほとんど棚の上の本なんだけど、やっぱりいい本があったね。「はあ、よう勉強しとるな」っていうね。もう、その本見て好きになっちゃった。ああ、この作家やっぱりいい作家だと。

久野:武さんを育てた人で、もう1人、戸板康二※さん。この人とは、どうしてあんなに、親しくつきあってたんですか。

※ 戸板康二(1915-1993)演劇・歌舞伎評論家、随筆家。特に歌舞伎への造詣が深く、批評、入門書など執筆多数。

武:(戸板さんが)民放祭の審査員だったの。賞を頂いたあとに「吉村忠夫さんを偲ぶ会」があって、そこに戸板先生も見えてたの。賞を貰っていたので、ご挨拶したんですけど、その時「髪結新三」っていう歌舞伎の話をしたのね。勘三郎さんの名作なんだけど。そしたら帰りに「髪結新三」の話は面白かったっておっしゃって「いつかまた芝居で会おうね」と言ったのが、初めの出会い。それからは、一緒にお芝居を見に行くようになって。 

久野:何て言うか、武さんを育てた最大の人じゃないかって。

武:そうだと思う。話がすごく面白かったし、よく勉強していらしたし、よく話を聞いてくれたし。あたしの方も「今度こういうものを企画してるんですけど、どう思われますか」っていう相談をしたしね。あと、秋元さん※ともそういう関係だった。

※秋元松代(1911-2001)戦後を代表する女性劇作家。代表作「近松心中物語」など。

久野:武さんにとって、ラジオドラマってどういうものでした?

武:言葉の美しさっていうのかな。詩も戯曲もそうなんだけど、あたしたちの仕事は、言葉から生まれてくるわけじゃない。そういう意味では、ラジオっていうのは、言葉の美しさをそのまま出してくれるじゃない。

安部公房と組んだ異色作

久野:だけど一方で、安部公房※さんが構成、演出した「チャンピオン」は…

※安部公房 (1924-1993) 小説家・演出家。代表先に「壁」「砂の女」など。「チャンピオン」は武敬子プロデュース、安部公房構成・演出による1963年放送の“ドキュメンタリーポエム”。ボクシングジムなどの生音(なまおと)と俳優の声の演技を組み合わせ、録音構成とドキュメンタリーの折衷のような作品。民放祭ラジオ文芸優秀賞。

武:うん。

久野:まあ、もちろん言葉といやあ言葉だけど。

武:安部さんが作りたかったんじゃない?安部さんと一度仕事してみろっていうのは、大坪※さんに言われたのね。

※大坪都築(つづき)文化放送のラジオドラマ演出家。出身はラジオ九州。

大坪さんが安部公房と仕事したときに、すごく面白かったから「チャンスがあったら、一度仕事してみないか」って言われたわけ。いい先輩っていいね。そう言ってくれるからさ。それで、安部先生に「仕事したいんです」って言いに行ったわけ。そしたら「チャンピオン」っていうボクシングを題材にした作品にしようって言われて、私はボクシング、全然好きじゃないですって言ったら「好きじゃないったって、好きになってもらわないと困る」って言うわけ。だって、好きじゃないのに。どうしてあんなに殴ったりなんかするんですか、全然分かんないって言ったわけ。そうしたら、見始めたら分かるって、後楽園ジムに連れて行かれたの。

久野:へえ。

武:でもやっぱり、全然面白いと思わない。でもまあ、こんなに熱心なんだから、言うことを聞いてみようと思ったの。そうしたら安部さんが、録音機を朝から晩まで回して、ボクサーの日常生活を全部録音して来いっていうわけ。だから、技術の人を1人借りて、これから1週間、何にもしなくていいから、ボクサーの朝から晩までを録音して下さいって言ったら、もう忠実にそれをやってくれたわけよ。

で、昼間録ったテープが、夜になると上がってくるわけ。あたしはそれを聞きながら、安部先生のとこへ届けた方がいいなと思うテープと、要らないなと思うテープを区別していく。すると安部さんが、これはもう十分に材料になるから、これで行こうって言って、あたしはなんだか分かんないけど。で、「君は心配しないでいいよ。音は、武満さん※でいこう」って。そんな状態…

※武満徹(1930-1996)日本を代表する現代音楽家

久野:一種のミュージック・コンクレート※みたいにもなってるもんね、あれ。

※具体音楽。人の話し声、都市の騒音など自然界の音を録音し加工して再構成される電子音楽の一種。

武:NHKの人が聞いて、ショックだったって言ってたから、そんなにショッキングなものを作っちゃったのかなと思って。

テレビの世界へ

久野:それで結局テレビに移っちゃうわけですね。

武:うん、うん。

久野:プロデューサーの名前を出してやっているのは…

武:「目撃者」※ 。

※1964年11月27日放送。脚本:安部公房、演出:久野浩平、出演:井川比佐志、市原悦子。芸術祭奨励賞。

久野:その翌年の「海より深き」※と。

※1965年11月21日放送。脚本:秋元松代、演出:久野浩平、出演:南田洋子、北林谷栄。芸術祭文部大臣賞。和泉式部の民間伝承をもとに、炭鉱事故による悲劇に見舞われた一家の苦悩を描いた現代ドラマ。

武:その前にも……。

久野:あ、「山ほととぎす ほしいまま」※ 。

※1964年9月4日放送。脚本:秋元松代、演出:久野浩平、出演:渡辺美佐子、森幹太。大正時代の女性俳人杉田久女をモデルにしたドラマ。 

久野:だんだんテレビが面白くなっていったんじゃない?

武:いろんな役者さんと仕事出来るし、いろんな作家と話ができるっていうのは面白かった。それとやっぱり、取材っていうのが面白かった。安部さんはそうでもないけど、秋元さんは、ほんとに足で書く人だったから。

作家 秋元松代との仕事

久野:秋元さんとの出会いは「山ほととぎす」なんだけど。

武:仕事してもらいたいって言ったら、もう言下に「あたしに書かせなさい。原作要らない」って言うわけ。びっくりしたけど、高浜虚子※については、割にちゃんと勉強してるし、よく知ってるし。先生のお兄さんが高浜虚子の弟子だとは、その頃知らなかったの。

※ 高浜虚子(1874-1959)明治から昭和初期に活躍した俳人・小説家。俳誌「ホトトギス」の発行人として知られる。「山ほととぎす ほしいまま」の主人公杉田久女は俳句の師であった虚子を敬慕し続けたものの、何らかの確執から破門され、不遇の後半生ののちに病死する。秋元松代の兄は俳人秋元不死男。

それで、(モデルになった杉田久女の)お嬢さんが結婚して、石さんっておっしゃったんだけど、その人にお母さんの話を聞いてたら、もう、おんおん泣きだしてね、その石さんが。

久野:それが、栗原小巻がやったあの役の人でしょ。

武:そう。おんおん泣きだして。あたしは、困ったなと思ったけど、先生、全然困ってないんだよね。

久野:うん。

武:冷静だから。なんか面白いな。やっぱり、鬼のような先生だったね。女の人であれだけ書ける人っていうのはいないし。あたしがすごく好きなのは、偉いところ、強いところ、大きなところにぶつかっていく姿勢。

ホームドラマが大ヒット

久野:その後RKBを辞めて東京に行く。

武:安部公房さんに東京来いって言われてたわけ。行って何するんですかって聞いたら、俳優座に入るか、俳優座の養成所の先生になるか、どっちかやれっていうけど、どっちも気が進まない。でも、何か仕事をしなきゃいけない。

久野:それで、秋元松代さんの世話で吉井画廊に入った。

武:そうそう。でも1年いなかったんじゃないかな。

久野:それから、僕が保証人になって、テレパック※へ入った。で、そこでいよいよ、今度は売れる仕事をやりだしたわけだ。

※TBSテレビ系列のテレビドラマを制作するプロダクション。1970年設立。

久野:よく売れたんですよね。

武:売れましたね。もう、なんか知らないけど。いろんな連続ドラマをやりましたよ。火曜の枠※をほとんど任せられてたから。

※TBS火曜夜9時のドラマ枠

久野:「みんなで7人」(1972年~73年)が最初かな。

武:うん、大好きだった。楠田芳子※さんの脚本ね。

※楠田芳子(1924-2013)脚本家、代表作に「氷点(1966)」「北の家族」。夫は映画カメラマンの楠田浩之。兄は木下恵介(映画監督)、木下忠司(作曲家)。 

久野:で、「あんたがたどこさ」(1973年~75年)。ああ、これで森繁(久彌・1913-2009)さんと。

武:そうそう、森繁さんと出会うわけ。それと、ここで西田敏行さんとも出会うんだよね。NHKのドラマ(1973年連続テレビ小説「北の家族」)で初めて西田さんを見て、面白いと思って起用して、それ以来ずーっと使いっぱなしに使ったよ、西田さんだけは。

久野:武さん、役者さんを次から次に掘り出すというか、育てるというか。

武:うん。大好きだね。面白いと思う勘っていうのか、そういうものがあって「これいいな」って思うと、やっぱりそれは(いい結果につながる)。

久野:西田さんとか、あるいは山田邦子とか。

武:うん、そうそう。山田邦子なんかは、素人でNHKの昼の演芸みたいなものに出てるのを見て、ちょっと看護婦にしようと思って引っ張り出して※。

※「野々村病院物語」(宇津井健主演の病院ドラマ・1981~83)。山田邦子の俳優デビューとなった

久野:「三男三女婿一匹」※っていうのがある。

※森繁久彌扮する病院長一家のホームドラマ。シリーズ1(1976~77)、2(1978)、3(1979~80)と3シリーズ続いた。

武:うん。それ、西田さんでしょ。

久野:あ、そうか。その前に、高橋玄洋※さんと出会ってるわけだ。

※ 脚本家、代表作「いのちある日を」「判決」「繭子ひとり」など。

武:「三男三女」は個人の病院、病院長の話で、森繁さんを中心に考えていったのね。そのあとの「野々村病院」は、今度は中年でいこうと思って宇津井さんでやったわけ。で、次は若いお医者さんをやろうと思ったら、何となくチャンスがなくなっちゃった。その頃、夏目雅子※(1957-1985)につきあってたんだな。

※夏目は「野々村病院物語」の2シリーズを通して看護師役で出演していた。

武:それで、雅子で連ドラをやろうと思ってたわけ。そしたら、いきなりだったわけね。

久野:病気がね。

武:それで、あたしも1年起き上がれなくて、「えーっ」と思ったっきり。

「男女7人夏物語」とさんま、大竹しのぶ

武:それで、(明石家)さんまさん。もうね、女では考えられないわけ。

久野:うーん。

武:それで、さんまさんをキャスティングして…

久野:で「男女7人夏物語」※ね。それと「秋物語」。

※「男女7人夏物語」(1986年)「男女7人秋物語」(1987年)鎌田敏夫脚本、都会の男女の群像ドラマ。90年代まで続くいわゆるトレンディドラマの先駆けともいわれる。

久野: (さんまさんは)漫談みたいなのでもう相当に売れてたわけ? 

武:彼はその前に「天皇の料理番」※っていう他の人が作ったドラマで、堺正章の脇をやったわけ。そしたら、忙しいスケジュールを縫って来るもんだから、もうグタグタに疲れてるっていう役になってたわけ。それで、それをさ、またグタグタに疲れてやって来るわけじゃない。その頃、まだ大阪にいたから。

※「天皇の料理番」(1980~81) テレパック制作、TBSで放送された。

 武:それで、いいなと思ってたの。夏目雅子に死なれちゃって、後を誰かっていっても、もう女じゃとてもできない、やっぱりあの人にかなう人はいないと思ってたから、男に切り替えようと。さんまさんでいこうと思ったわけ。それで、(脚本の)鎌田※さんに、さんまさんでいきたいって言ったの。そしたら、さんまは好きなんだけど、相手は大竹しのぶがいいって言うのよ、先生が。

※鎌田敏夫 脚本家、代表作「俺たちの旅」シリーズ、「金曜日の妻たちへ」「29歳のクリスマス」。

久野:鎌田さんが。

武:うん。で、大竹しのぶ。これはもうTBSのあの人※の奥さんだしさ、なんか知らないけど、気難しそうだしっていう気がして、ちょっとブルったのね。

※TBSドラマディレクターだった服部晴治、1987年没。 

武:だけど、まあ、しょうがないから申し込んだら、しのぶの方は、ご主人がどうも元気がないところへもってきて、(その頃)来る役が割に決まってたみたいなの、キャラクターが。

久野:うん。  

武:二枚目の、きれいな役ばかりだったんだろうね。で、(このドラマの場合は)相手はさんまさんだし、面白いんじゃないかなと乗ってきたわけ。自分のキャラクターを自分なりに少しいじりたかったんだと思う。それで乗ってきて、やったんだけど、このドラマは、自分でやってても面白かった。もう何が起こるか分かんない、危機感があるわけ。さんまさんが来ない日があるの。ぎりぎりのところで来ない。「えー?どうなっちゃってんの?」っていう、遅刻ならいいけど、まるっきり来ない日があるわけよ。でも、彼はちゃんと計算しているわけ。

久野:うん。

武:ここは、行かなくても、やりくりすれば何とかなる。でも、ここは行かないわけにはいかないっていう状況が、どうして分かるのか知らないけど、ちゃんと分かってるわけ。それで、いくら待っても来ない日には、しのぶはもうカッカ、カッカ怒ってるし、他の人も怒ってんだけど、そこになんかニコニコしてさんまさんが現われるから、怒ってもしょうがない感じになる。

久野:うん。

武:感性っていうのかな。相手を見る神経の細かさと、それから面白さは、それはもう、ほんとにすごい。もう、これはすごい。「はあ」と思って。すれすれの橋を渡っていくわけ。それは、あたしにとってすごく面白いけど、すごく怖いんだよね、逆に言えば。怖いけど面白いっていう。でも、仕事ってそうだよね。怖いけど面白い世界じゃない。

久野:うん。まあ生野※さんがどんどんうまくなったから。

※生野慈朗 TBSドラマディレクター、「3年B組金八先生」「男女7人夏・秋物語」「ビューティフルライフ」などを演出、2023年没。

武:そうそう。

ドラマ作りに必要なもの

武:つくづく思うんだけど、あたしたちの仕事は野球選手みたいなもんだな。清原みたいに親分、ボスを気取ってるやつとか、もう絶えず人に気兼ねしてるやつとか、いろいろいる中で、じーっと戦況を見ていく。ホークスの城島とか若いのによく全体見てやっていくなって。

ああいうの見てるとドラマ作ってるみたいな気がする。工藤とか若いピッチャー、いいピッチャーがみんないなくなっちゃう。お金をたくさん出す巨人に行っちゃう、若田部もいなくなっちゃった。その時に城島が、若いやつと一生懸命やってるのを見ると、もう拍手を送りたくなるね。

自分が九州で仕事してたときのこと思い出して。キャッチャーよ。キャッチャーだけどホームランも打つっていう状態じゃないと仕事できないじゃない、何でも持ってらっしゃいっていう状態じゃないと。やっぱり、そういう状態では人間を洞察していく力が要るんだろうね。私も、もっと洞察力があったら、もっといい仕事が出来たかもと思うし、もっと滅茶苦茶な状態で、仕事が出来たかもしんないなと思う。

久野:で、結局それが、映画になる。映画2本作ったんだっけ。

武:2本作った※ 。1本は失敗したけど、1本は成功した。それで、藤本賞※もらった。

※「いこかもどろか」(1988年)監督:生野慈朗、出演:明石家さんま、大竹しのぶ。「どっちもどっち」(1990年)監督:生野慈朗、出演:明石家さんま、松田聖子。

※東宝の名プロデューサー藤本真澄の名にちなんで設立された映画賞。武は「いこかもどろか」で1988年藤本賞奨励賞。

久野:でも、よかったでしょ、この仕事やって。

武:面白い、うん。面白い。それから、まだ仕事できるじゃない。仕事しようと思えばね。やりたい仕事を一つか二つに決めて、コツコツ、秋元さんじゃないけど取材して、それで固めていく仕事の仕方があるかなって思ってるんだけどね。<本インタビューは2004年2月7日収録>

武敬子(たけ・けいこ)氏プロフィール

ラジオ、テレビの草創期から一貫してドラマの世界で活躍を続けた数少ない女性プロデューサーの一人。文化人、作家、俳優らとの出会いや付き合いから、独自の嗅覚で「面白さ」を発見、作品に結実していく力に定評があった。

RKB毎日放送から1967年TBS系の制作会社テレパックに移籍して以降は、安定感のあるホームドラマで一時代を築いた。またジャンルにこだわらない俳優の大胆な起用は「男女7人夏物語」など社会的なブームを呼ぶ大ヒットにつながった。

< 略 歴 >
1930年 東京生まれ。青山学院女子専門学校家政科卒業。
1955年 ラジオ九州(現RKB毎日放送)入社。ラジオドラマ、テレビドラマのプロデュースを手掛け、受賞作品多数。
1967年 RKB毎日を退社。制作会社テレパックに入社。
1976年 『三男三女婿一匹』、1981年『野々村病院物語』等の連続ホームドラマをTBS火曜枠で数多くプロデュース。1984年第1回ATP賞個人賞受賞。
1986年 明石家さんま、大竹しのぶ主演の連続ドラマ『男女7人夏物語』を大ヒットさせ、1987年ATP賞グランプリ受賞。
2019年  没

【放送人の会】
一般社団法人「放送人の会」は、NHK、民放、プロダクションなどの枠を超え、番組制作に携わっている人、携わっていた人、放送メディアおよび放送文化に関心をもつ人々が、個人として参加している団体。
「放送人の証言」として先達のインタビューを映像として収録しており、デジタルアーカイブプロジェクトとしての企画を進めている。既に30人の証言をYouTubeにパイロット版としてアップしている。

【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。

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