暴走した悪法「治安維持法」制定100年「屈辱的な拷問受けた」弾圧された女性たち【報道特集】

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2025-08-20 07:00
暴走した悪法「治安維持法」制定100年「屈辱的な拷問受けた」弾圧された女性たち【報道特集】

戦後80年、言論と思想の弾圧によって日本が戦争に突き進んで行った背景を考えます。ちょうど100年前に制定された「治安維持法」で、若い女性たちも弾圧されました。なぜ女性たちは激しい拷問にさらされたのでしょうか?

【写真で見る】「屈辱的な拷問受けた」弾圧された女性たち

「いつぶち殺しても構わんぞ」迫害を受けた“戦争に反対した若者たち”

高知県にある「高知市立自由民権記念館」で、7月に行われた「戦争と平和を考える資料展」。そこでは、「戦争に反対した高知の若者たち」という展示があった。

草の家 岡村正弘 名誉館長(88)
「当時20歳前後の、若い人たちが中心です」

一角を埋め尽くしていたのは、戦争に反対した高知県の若者たちの写真だ。

戦前から終戦にかけて、高知では130人を超す若者たちが検挙や投獄に屈することなく反戦運動を行っていた。当時彼らが、いかに酷い目に遭っていたのか名誉館長はこう話す。

草の家 岡村名誉館長(88)
「『いつぶち殺しても構わんぞ』ということで。かなり長期にわたって、肉体的な迫害を受けながら亡くなった人も何人かおります」

日下部正樹キャスター
「ここにいる人たちも、非国民みたいな後ろ指を指されたりしたんですか」

草の家 岡村名誉館長(88)
「『名前を挙げんとってくれ』という遺族もいる」

訪れていた小学生は…

小学生
「こんなにたくさんの人がいたのは初めて知りました。拷問されて、若い命がなくなるのは非常に悲しい」

草の家 岡村名誉館長(88)
「あの戦争に反対した人がいたこと自体が知られていない。この人たちの死、戦いを無駄にしない、それを引き継いで頑張る」

戦争へと突き進む日本 きっかけに「治安維持法」と「特高警察」

今から80年以上前、日本は国民から自由を奪い、戦争へと突き進んでいった。

そのきっかけになった法律がある。ちょうど100年前に制定された「治安維持法」(1925年制定)だ。この法律をもとに取り締まりを行っていたのが特別高等警察、いわゆる「特高警察」だ。

国家権力の中枢を担う内務省の管轄下に置かれていた「特高警察」は、戦前の共産党員をはじめ、それに資する活動をした者たちを日常的に監視し、次々に検挙した。

カニ漁の漁夫たちの過酷な労働環境を描いた「蟹工船」の著者・小林多喜二。天皇制や軍国主義に反対し、労働運動にも深く関わっていた多喜二は1933年、特高警察に逮捕され、拷問の末、亡くなった。

当初、治安維持法は共産主義運動などを取り締まるための法律だったが、戦時体制が進むにつれ、適用範囲を拡大。戦争や軍に反対する一般市民も取り締まりの対象になった。

当時の特高警察の活動をまとめた内部資料「特高月報」。1930年から終戦の前の年にかけて作成されたこの資料には、反戦・反軍的な発言から、落書きやビラに至るまで、市民を厳しく取り締まっていた事例が細かく記録されている。

昭和十二年八月 岡山県「反戦的言動」 住所不定 行商 五十六歳
「応召軍人並び、その見送り人ら五、六十名に対し『戦争をするのは馬鹿だ、戦争すれば日本人は困るばかりだ。国民は苦しい目にあうばかりだ』と絶叫したる」
▼「拘留二十日に処す」

昭和十三年六月 宮崎県「反戦言辞」 住所不定 無職 四十五歳
「乗合自動車内において、乗客九名に対し『忠義を尽くした何のと言って死んで、金鵄勲章を貰えば何になるか、戦争なんか馬鹿のすることだ云々』と反戦言辞を弄す」
▼「禁錮四月に処せられ服罪す」

なぜここまで徹底した取り締まりが行われていたのか。

225日の拘留…妊娠中も容赦ない拷問 弾圧された女性

特高警察から、激しい拷問を受けたという女性の家族に会うことができた。

小松伸哉さん(82)の母・ときさん。1923年、高知の女学校を卒業後、上京したときさんは、後の夫となる益喜さんと知り合い、社会運動に目覚める。

電気メーカーで労働組合を立ち上げ、奔走する中、ある企業のストライキの応援に出かけた際、特高警察に検挙され、激しい拷問を受けた。

小松伸哉さん(82)
「誰の指導で組合をやったのか、一番追及されている。まず殴られて、親指の間に木綿針を刺されて」

その時の様子を手記に綴っている。

小松ときさんの手記
「指導者を追及されて、なぐられたり、頭髪を引きずられたり」

当初、治安維持法による取り締まりは天皇を中心とする国家体制を揺るがす者が対象だったが、1931年に起きた満州事変の頃から次第に戦争や軍に反対する人たちを中心に取り締まるようになっていった。

20日間勾留されたときさんは、釈放後、共産党に入党。地下印刷局で反戦ビラを作る活動などにあたった。

その2年後、腹膜炎を患い、益喜さんとともに高知に帰郷。体調が回復すると、地元の仲間たちと合流し、高知の共産党組織を結成した。

満州事変の翌年の1932年、党員の仲間が高知市内の陸軍兵舎に潜り込み、反戦ビラを撒いた。このことが特高警察の怒りに触れ、党員ら50人以上が一斉に検挙された。当時この事件は地元紙でも大きく報じられた。

この時逮捕されたのが、高知で戦争に反対した若者の一人、詩人の槇村浩だ。

植民地支配や侵略戦争に反対した詩を数多く発表していた槇村は、特高警察から激しい拷問を受け、出所後、精神に支障をきたし、26歳で亡くなった。

槇村の生涯を描いた映画「人間の骨」。

高知を舞台に撮影されたこの映画は、党員が兵舎に潜り込み、反戦ビラを貼ったり、兵士に配ったりする様子や、特高警察が槇村たちを逮捕し、拷問する様子などがリアルに描かれている。

この時、検挙されたメンバーの一人が、ときさんだった。

小松伸哉さん(82)
「戦争に反対する立場を持たないと、幸せは本当に掴めないと思い立って、多くの人たちが幸せに繋がるのであれば、そういう生き方をしたいと思ったという。特に平和については、本当に平和を求めていた」

この事件でときさんは225日、夫の益喜さんは約400日勾留された。

勾留中、ときさんが留置場で書いた短歌が今も大切に残されていた。

取り調べに行く途中、落ちていた赤鉛筆を拾い、看守の目を盗んで書いたという短歌。その数は200首以上に及ぶ。

この時、ときさんは留置場の中で、益喜さんの子どもを身籠っていることを知る。それでも特高警察は容赦なく拷問を続けたという。

小松ときさんが書いた短歌
「血に染みし、畳みつむる吾が胸に、反抗の焔、燃えたちにけり」
「髪ひかれ頬なぐられても、吾が口は、固くもだして、うす笑いおり」

小松伸哉さん(82)
「暴力を振るう者に対する怒りもあるし、『自分は絶対に言わないぞ』という決意もあるし。警察の取り調べは無法状態。どんな暴力を振るってもいいし、小林多喜二のように酷いことになっても、表向きは拷問で死んだ人はゼロだと。言論の自由が奪われた時には、どこまでも人権が蔑ろにされていく」

「屈辱的」拷問は性的暴力にまで 適用範囲拡大も 

さらに特高警察による拷問は、性的暴力にまで及んでいた。

京都市に住む原田完さん(75)。母親の山田寿子さんは鳥取から上京後、開業医の手伝いとして働いた。そこで貧しい患者が、医療を受けられない現実を目の当たりにしたことをきっかけに共産党に入党。

1930年、横浜で大規模なストライキが行われる前日に拠点が一斉捜索され、寿子さんは特高警察に検挙された。

寿子さんが戦後に書き残した手記には、拷問の様子が生々しく綴られている。

山田寿子さんの手記
「検挙がいかに非人間的虐待であったか。いわゆる畜生以下の扱いであった事について報告します」
「冷酷で、女にとって屈辱的な拷問を私は戸部署で受けました。大の男5~6人で、私の衣服を全部ぬがせ全裸にして、後ろ手錠で倒し拷問を始めたのです」
「獣のような彼らは私の陰部をタバコの火で焼いたのです」

さらにこう訴えた。

山田寿子さんの手記
「女を人間と考えなかった時代に、世の中の解放に目覚めた女性に対して、当時の帝国主義的反動権力は活動家の一匹や二匹の命など問題ではなかった上に、女性蔑視は今日になっても、決して忘れることのできない現実であります」

原田完さん(75)
「治安維持法は物的証拠じゃなくて内心の問題ですから、自白を取るためには何をやってもいいのだと。共産党員の1人や2人殺しても構わないんだという、傲慢なことが平然と行われる、とんでもない話」

国体維持のために作られた治安維持法は、制定から3年後の1928年、最高刑が死刑となり、反戦や反軍運動の取り締まりも強化された。

さらに太平洋戦争が始まる1941年には、国の方針に従わないという理由だけで取り締まれるよう適用範囲が広がった。

戦意を高揚させていくため…治安維持法は「法の暴力・暴走」

山形県米沢市にある小さな戦争資料館に、特高警察の心得がわかる貴重な資料が残されている。

「特高警察講義要綱」。1941年に山形県警の特高課が講義用に作成したとみられる。冒頭でいきなり、こんな一文が。

「帰一し、奉るとは、全身全霊を陛下に捧ぐること」

「帰一」とは一つにまとまること。特高警察は「天皇陛下のために一丸となって、職務を遂行する」という意味だ。

資料には左翼の共産主義運動や外国のスパイ活動、さらに宗教や右翼の国家主義運動に至るまで、取り締まりの対象が多岐にわたり記されている。

山形大学 阿部宇洋 講師
「特高の資料は戦後、焼却処分の命を受ける。しっかりと特高の仕事を果たすべしということが書かれていて、それが天皇に向かってあるということが書かれているというのが、非常に珍しい資料という評価を得ました」

治安維持法は、戦時体制が進むにつれ、対象が際限なく広がった。

小樽商科大学 荻野富士夫 名誉教授
「最初は拡張解釈もしない、慎重に扱う。健全な社会運動については関係ない。適用対象にならないという説明をして」

ところが…

小樽商科大学 荻野富士夫 名誉教授
「多くの人たちを戦争に主体的に、戦意を高揚させていくためには、逸脱している部分は全部摘み取っていく。治安維持法は法の暴力である。法の暴走であると考えます」

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