戦意高揚のシンボル「軍神」はどう仕立てられたのか、メディア・教育が扇動した「死の精神」【報道特集】

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2025-12-13 06:30
戦意高揚のシンボル「軍神」はどう仕立てられたのか、メディア・教育が扇動した「死の精神」【報道特集】

12月8日、真珠湾攻撃から84年を迎えました。破滅への道を進むなかで戦意高揚のシンボルとして作り出されたのが「軍神」です。どのように仕立てられ、国民は先導されていったのか。一人の軍神の姿から考えます。

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沖縄初の「軍神」大舛松市

その名は、大舛松市(おおます・まついち)。沖縄で初めて「軍神」と呼ばれた男だ。ガダルカナル島で戦死後、根こそぎ動員の精神的象徴に仕立てられた。

「全県民 大舛精神に続け」。それは軍部とメディアが一体となって導いたものだった。

那覇市の丘にひっそりと立つ「戦没新聞人の碑」。80年前、沖縄の戦場で命を落とした14人の新聞記者の名の横には_

「砲煙弾雨の下で新聞人たちは二か月にわたり新聞の発行を続けた」
「その任務を果たして戦死した十四人の霊はここに眠っている」

だが、果たせなかった任務にこそ思いをいたしたい。沖縄に移住し、記者として沖縄戦の記憶継承に取り組む藤原健さんは、“新聞人”として考える。

琉球新報客員編集委員・毎日新聞客員編集委員 藤原健さん
「それは、何を書いたかということが書かれていない。軍に協力し、国策に協力し、つまりは戦争に協力したということについては書かれていない。したがって、その反省も書かれていない」

当時、大政翼賛体制に組み込まれた新聞は、言論を厳しく統制された。その一つが、地方の複数ある新聞を統合する「一県一紙政策」だ。三紙あった沖縄の新聞は1940年12月、一紙に統合され「沖縄新報」に。「高度国防国家の建設へ微力を尽くす」とまで宣言した。

藤原健さん
「肌色の違う論が展開されていたり、たくさん論が並ぶと軍としても困るので、一県一紙ということは『一県一論にせよ、あげて軍に協力せよ』」

その沖縄新報や全国紙が、ならんで力を入れたのが「軍神報道」だ。

琉球大学元教授の保坂廣志さん。戦争とジャーナリズムを研究してきた。

琉球大学元教授 保坂廣志さん
「戦争は三つの条件から成り立っている。一つ目は人の動員、二つ目は物の動員、三つ目が心の動員で、一番これが難しいと言われている。『軍神』を作り、軍神というものがいかに国民の中に一体化しているか訴える。それをメディア、政府などの機関が利用しながら国民を煽っていく。戦意高揚のための、あるいは人の心の動員のためには一番これがわかりやすい」

太平洋戦争では、真珠湾攻撃の「九軍神」をはじめに、545の個人と部隊が軍神とされた。軍神は、どう仕立てられていくのか。著しい功績を残して戦死したと判断した兵士や部隊に対し、主に司令官が「感状」という表彰状を作り、陸海軍大臣が天皇に報告を上げる。

保坂廣志さん
「報告した瞬間に、報告された個人や部隊は、『軍神』という名前を持った別の人格を持ったものに変わっていく。戦場死した者に対して特別な感謝状を天皇に報告するというのが、『感状上聞に達する』という言葉で表現されます」

感状上聞に達した沖縄初の人物、それが大舛松市だった。その死と軍神になったことが伝えられたのは、戦死から9か月後。開戦の日にちなみ設けられた毎月8日の大詔奉戴日に掲載される、昭和天皇の開戦詔書と合わせて報じられた。

那覇から西の海を越え500キロ。大舛は、1917年、日本最西端の与那国島で生を受けた。寡黙な少年はとても優秀で、両親が勧める師範学校への進学を拒み、ある意思を押し通した。末の妹、山田恵子さんが、その意思の強さを語る。

山田恵子さん
「『費用も大変だから師範学校に行きなさい』と言ったら、駄々こねてヒステリーを起こして寝込んで、『ご飯食べなさい』と言っても食べないで反抗して、『必ず一中に行くんだ』って大変だったらしいんです」

そして進んだ沖縄本島・首里の沖縄県立第一中学校。首席で卒業し、陸軍士官学校に現役合格する。それは地元紙で報道された。

東京・市ヶ谷の防衛省に、その校舎の一部が残る。ここに大舛の姿があった。大舛が入校式に臨んだ大講堂は、戦後、東京裁判が行われた場所でもある。

入校式の日の日記には_

大舛松市陸士在学日誌(1937年4月1日)
「的ヲ狙ツテ矢ハ放タレタ。一路皇軍ノ一員トシテ御奉公ノ道へ。コノ喜ビ、コノ感激」

一方、沖縄への認識に、憤慨する姿もある。

大舛松市陸士在学日誌(1937年5月7日)
「『琉球ッテドンナ處ダイ』トテ、認識不足モ甚ダシキ事ヲ言フ者アリ。高等教育ヲ受ケシモノニシテモ然リト、先輩ヨリ聞キタル言ナレド、今自己ノ眼前二事実トナリテ展開サレタルハ無念ナリ」

そんな大舛と妹の恵子さんが時を共にしたのは、たった一度だけだ。

陸軍士官学校を卒業し、4年ぶりに与那国に戻った兄を橋の手前で待っていた。そして、生まれて初めて顔を合わせた十山橋。この橋の上で兄を見上げると、二人は手をつないだ。

山田恵子さん
「間違いなく左手をとられて歩いたのを覚えている。実際に触れたのはこれだけ」

橋から家まで歩いた数分間。それが、当時3歳半の恵子さんに唯一色濃く残る、兄の記憶だ。

その3年後、兄は重傷を負いながら刀を抜いて突撃したことが、武勲とされた。

山田恵子さん
「母は悲しくても泣けない。軍国の母は泣いちゃいけないと言われていたのか。覚悟はしていたと思う、父も母も」

父は畑で作業中、ガジュマルの木の下で休憩しているところに、息子の戦死の報が届き、「万歳」と叫んだといわれている。

それから、すさまじいばかりの顕彰運動が始まった。

メディア・教育が扇動 死の精神

戦死から9か月。軍神となった大舛の顕彰運動はすさまじいものだった。関係者が集まっての座談会に、恩師、母校、実家それぞれをテーマにした特集。大舛大尉伝の連載は136回に及び、戦死したさまが、いかに壮絶だったかを強調した。

さらに大舛に続くと意思表明する生徒たちの声。

毎日新聞 1943年11月10日付
「こんどの感状は沖縄県としての誇りでありまして、県民なかんずくわれら学徒の心に深く刻み込まれ、ただ大尉に続かんの決意を一層強くしたのであります」

紙芝居も作られた。生まれてから軍神になるまでを21の場面で描いている。新聞に連載され、各学校でも上演。県内各地で、大舛の功績を顕彰する大会が頻繁に行われ、地元与那国村民大会も大盛況。教育界も一翼を担った。県の教学課が先頭に立ち、その生涯に学べと「大舛精神」を浸透させることに躍起になった。

與座章健さんは、県立一中の大舛の後輩だ。

與座章健さん
「“大舛大尉に続け!”中学生がはっぱをかけられた。毎日毎日の学校の朝礼の場で校長からはっぱかけられるし」

校長は、こんな檄を飛ばした。

朝日新聞 1943年10月27日付
「一中は大尉に続く兵営であり、戦陣である。皆志を立てて、大尉に続く烈々の気迫を示し総決起すべし」

それは、「死ねる教育」の徹底といえた。

與座章健さん
「そういう先輩がおったということは在校生に、大きな一つの方向性を、一つの目標を与えたでしょうね。“軍神大舛に続け”と」

その言葉を前に、生徒も教師も異論は封じられた。

與座章健さん
「この時代に、これに対する考え方は、こうでなければいかんと思うのが確かにおるけど、声を上げられない、『黙ってろ』という時代だった」

戦死を美化する価値観は、歌によっても植え付けられた。与那国出身の翁長梅子さんがよく覚えていた。

『噫々 大舛中隊長』
「決戦続くソロモンのガダルカナルは堺台 ひしめく米鬼斬り伏せて 起てり大舛中隊長」

歌詞は8番まであった。

翁長梅子さん
「黒板に書いてあるから、これを見て覚えるわけ。必ず一週間に一回は歌いなさいって」

「軍神大舛」は沖縄中に広がっていた。瀬名波榮喜さんが通った北部の小学校でも。

瀬名波榮喜さん
「黒板の右側に『山本五十六元帥に続け』と、左端のほうには『大舛大尉に続け』というスローガンが両脇にあった。小学校の生徒でありながら、ああいう軍人になりたいなと、そういう気持ちを子どもたちに植え付けた」

軍神は、皇民化教育の徹底と強く結びついた。

瀬名波榮喜さん
「やはり『皇国史観』ですね。天皇は神聖にして侵すべからず。大舛大尉も人間でありながら神格化される。そうすると神に対して絶対的信頼を置くわけですから」

当時14歳の古堅実吉さんにとっても、その存在はあまりに大きかった。

古堅実吉さん
「『知らざる者を許さん』という存在に置かれていたのが、大舛大尉だった。体中、徹底して打ち込まれた存在の一人でした」

師範学校入学試験の面接で、尊敬する人を問われた。

古堅実吉さん
「尊敬しているのは本当は教師だったのに、『尊敬するのは大舛大尉だ』と言い切った。そう言うんだよと教え込まれていたのではなかった」

沖縄戦直前、3回忌が近づくと、また紙面に「大舛」の文字が躍る。命日の翌日には、「大舛軍神」の言葉。そこにあるのは、必勝の信念の源は「死」という、死を立脚点とする考えだった。その日の社説はこう訴えている。

沖縄新報 1945年1月14日付
「大舛精神は、最後に死を選ばなければならない場合においては死ぬことによって不滅の勝利を確信するの精神」

教育界が死ねる教育を徹底すれば、新聞は死の覚悟を説いた。それは、瀬名波少年の心にも根付いていた。当時、戦死者が出た家には「誉の家」という札が掲げられ、周囲から尊敬を集めた。

瀬名波榮喜さん
「それを見るたびに、『俺の家にそれがないのか』と。いつか大きくなって、この『誉の家』という札が掲げられるようにと考えていました」

琉球大学元教授 保坂廣志さん
「極論は、軍神大舛精神は死ぬる精神。死というものと一体化する。普通の市民生活をしている中で、教育とか新聞社とか何か言い始めたときに、県民はどこにも逃げる道はない」

「軍神」の実像と熱狂の先

その先にあったのが、沖縄戦だった。

戦後80年の慰霊の日。24万を超える人々の生きた証が刻まれる平和の礎に、多くの家族の姿があった。恵子さんも兄のもとを訪れた。

山田恵子さん
「ここにいますかね、まだガダルカナルにいるんじゃないですかね」

そこには、もう一人、姉・大舛清子さんの名が刻まれている。ひめゆり学徒隊として沖縄戦に動員されていた。

師範学校に通っていた1944年夏、兄の慰霊祭のあと、与那国に帰省すると本島の学校に戻るよう命令が出た。だが、「帰りたくない」とこぼしていた。

山田恵子さん
「虫の知らせで『帰りたくない』って言っていたのか、『せっかく(学校に)入ったんだから、最後までやってきたら』って言って、それで帰ったんですけど、それっきり帰ってこない」

清子さんは、軍神の妹として取材を受けていた。記事には「私は兄の名誉の戦死を嬉しく思っているのです。私も負けずに必ずやり抜くつもりでいます(毎日新聞1943年10月21日付)」と書かれている。清子さんを取材したという別の新聞社の記者から、保坂さんはこんな話を聞いていた。

琉球大学元教授 保坂廣志さん
「最初に行く前は、軍神のきょうだいだから勇ましい女性だとばかり思っていたみたいです。ところが、全然逆だった。話はしてはくれるけど、触れないでほしい、書かないでほしいみたいな、家族としては悲しいことだったかもしれない。それは取材していたときに感じたと。ただし、新聞はそうは書けない。そのため戦意高揚をあおるように自分は記事に書いたと」

清子さんは、本意ではない軍神の妹としてのふるまいを求められた。その末に、海岸付近で砲弾に倒れた。

そんな姉や兄を思い、恵子さんは短歌を詠んでいる。

「『一年生』のわれにと服を贈りくれし『ひめゆり』の姉は骨さへ帰らず」

「往く兄の握りたる手の温もりと 託されし想ひ今に忘れず」

そして、変わりゆく故郷の島の風景を憂う。大舛を生んだ与那国島には、2016年、自衛隊駐屯地が完成。政府は当初、警戒監視のためと説明していたが、ミサイル部隊の配備を決めた。

「最果ての島に林立電波塔 ミサイルはここにと招くがごとく」

そのミサイル配備に慎重姿勢を示す上地常夫新町長。自衛隊とアメリカ軍との大規模訓練計画にも異を唱え、規模は縮小されたが

上地常夫 与那国町長
「最終的に私が何言おうと、防衛省はやるときはやりますよ。国の専権事項だと言ってやるんですけど、我々町民の負担、心の負担という意味を考えると、それはあまりなじまないなとは思っています」

与那国をめぐっては、かつて琉球処分に至る過程で、明治政府がある通達を出していた。

1873年、外務省が琉球藩に宛て、久米島、宮古島、石垣島、西表島、そして与那国島に国旗の掲揚を命じた通達だ。政府が琉球の領有権を内外に示すためだった。

だが、台湾との交易もさかんな与那国では、清国との関係悪化を危惧する声があがっていた。それから152年。

上地常夫 与那国町長
「東京の皆さんが情報を得るのと、我々がここに住んでいる肌感覚は違うんです。我々は有事があるとは全然思っていなくて、むしろ台湾とどうやって友好関係を結ぶか、どうやって経済関係を結ぶかと一生懸命なんです。でも、東京の方は何か有事があるかもしれないと。ちょっと違うような気がしますね」

かつて国家があおり、民衆が熱狂し、異論は封じられた。その象徴が「軍神」だった。

古堅実吉さん
「それを国民は受け入れる以外に認められない。そのような存在に置かれて、戦争でゆがんだ道をまっしぐらに進むことが求められた」

その道を先導したのがメディアだった。

琉球新報客員編集委員・毎日新聞客員編集委員 藤原健さん
「新聞はどちら側に立っているのか、つまり国の側に立っているのか、あるいは民衆の側に立っているのか。国策という名の軍事に国民がからめとられていく。それを負の教訓として、なぜそうなったのか考え続けることで二度とああいうことをしてはならない。二度とシンボリックな人を作ってはならない」

山田恵子さん
「『人を勝手に祭り上げて、勝手に軍神にしやがって』と言ってるんじゃないかと私は思っています。軍神でも何でもない、ただの兄貴なんですよ」

大舛の戦死に、人前では決して泣かなかった母・ナサマさん。敗戦から29年経って発見された小野田寛郎さん帰国のニュースに、こうつぶやいたという。

「どんなに身体が不自由になってもいいから、松市も帰ってきたらいいのにさー」

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