元特攻隊員で茶道の千玄室さん「お茶碗丸いでしょう 地球ですよ」 元従軍看護婦「焼かれる遺体の爪をとっておく」戦後80年 体験者の貴重な言葉

JNNがこの1年「戦後80年プロジェクトつなぐ、つながる」で取材してきた戦争を体験した方々の言葉を集めました。
稲垣よし子さんは、姉の夫・義兄が戦地に向かう前の晩のことが忘れられません。
稲垣よし子さん(90)
「戦地に行く前の晩、お別れの会で、元気よく『あすから行きます』と言って。廊下を通ったら兄が泣いている。『なんで泣いてるの』、耳を澄ました。死にたくない」
中村ミチさんは“従軍看護婦”として出征しました。
中村ミチさん(102)
「懐かしい」
「兵隊に行く者がおらず肩身が狭い。看護婦でいくしかしようがない」
中村さんは“最も無謀な作戦”と言われるインパール作戦が行われたビルマに派遣されました。
中村ミチさん(102)
「アメーバ赤痢、腸が腐って出る。連れてってくれ、看取るしかできない。おっかさん、おかあさん。薪を積んで遺体を並べる。燃やす人の爪を取っておく。爪を(家族に)送ったと思う」
大谷翔平の“壁画”があるアメリカ・ロサンゼルスのリトルトーキョー。多くの日系人が集う賑やかな観光地ですが、戦時中、アメリカの日系人たちは強制収容所に連行されました。ジューン・バークさんもその一人です。
収容を経験 ジューン・バークさん(93)
「母親たちは素敵なコート、ドレスでした。誰も泣いておらず、抗議もしません。悪い事はしていないと知っているでしょ、恥じる事はない。マケナイデ。父は『感謝を忘れるな』と言っていました」
国は航空兵の養成を急ぎ、子どもたちは航空兵に憧れました。そして、大勢の若者が飛行機ごと敵に体当たりする特攻に出ました。
元特攻隊員 千玄室さん(102)
「みんな突っ込みました。『おかあさん』叫んだ声が耳の奥に残っています」
「あのとき(出征)一言も言わなかった」
千さんは出撃することなく終戦。戦後は茶道裏千家の家元として、茶道を通して平和を訴えてきました。
元特攻隊員 千玄室さん(102)
「千よ、お前残ってな、お前のお茶で、武は負けたけど文でやれ、文で勝て。みんなの声が聞こえますよ。この80年間、海外70か国以上、一椀のお茶からの平和を訴えてきた。お茶碗丸いでしょう、地球ですよ、小さな」
JNNの取材から2か月がたった8月14日、千玄室さんは亡くなりました。
元特攻隊員 千玄室さん(102)
「いまが大事、ナウ。いまがあってこそ、後がある」