日本の映画・テレビドラマは性的マイノリティをどう表現してきたか~いまだ残る課題と今後注視すべき点~【調査情報デジタル】

2010年代、日本の映像メディア界に到来した、性的マイノリティを描く「LGBTブーム」。その背景と現在にまで至る動きは?一方、作品数こそ増えたが、そこには大きな偏りがあり課題は残る。他者との親密で多様な関係のあり方を想像していくためにはどうすべきか。金沢大学・人間社会研究域准教授の久保豊氏による論考。
「性的マイノリティの描かれ方」研究のこれまで
『ハートネットTV』の2025年9月22日放送回「放送100年・福祉をつなぐLGBTQ+とメディア」が同年9月のギャラクシー賞テレビ部門の一本に選ばれた。
NHKによる性的マイノリティに関連した報道やドラマの内容がどう変化してきたかについて、自局のアーカイブ映像を用いた検証を目的とした番組である。選評に際しては、NHKの放送史に含まれる負の側面を隠すことなく、未来に向けて必要な放送のあり方を提示する態度が評価された。
性的マイノリティの描かれ方をめぐる日本の映像メディア(映画、テレビドラマ、アニメなど)の歴史を戦前の状況も含めて包括的に把握することは容易ではない。その困難の背景には、戦火や震災による映画フィルムの消失や、テレビドラマのテープの上書き再利用など、日本の映像アーカイブ実践が抱えるさまざまな課題が複雑に絡んでいる。
しかし、NHKの取り組みに見られるように、性的マイノリティとその表象に関するアーカイブ実践は少しずつ進みつつある。
たとえば、2020年9月28日から2021年1月15日まで早稲田大学坪内博士記念演劇博物館で開催された企画展「Inside/Out 映像文化とLGBTQ+」はそうした実践の一つであった。
本企画展は、1945年から2020年上半期時点までの日本国内で公開・放映された映画とテレビドラマにおいて、性的マイノリティがどう描かれてきたのかを豊富な資料を用いて実証的に明らかにした。来館者から展示へ寄せられた言葉には、映画やテレビドラマが性的マイノリティをもっと色んなかたちで描いてほしいという願いが多く見られた。
あれから5年経った2025年現在において、性的マイノリティ表象に対する映像メディアおよび映像産業のあり方はどう変容したのだろうか。それを考えるためには、まず2010年代の「LGBTブーム」について触れなければならない。
「LGBTブーム」「LGBT市場」の出現
「LGBTブーム」のきっかけに関しては複数の捉え方があるが、ここでは2012年を起点とする。その年の7月14日、『週刊東洋経済』と『週刊ダイヤモンド』が特集記事を組んでいる。性的マイノリティへの差別や人権に関して日本が抱える現状を丁寧に伝えつつ、記事の一部では性的マイノリティ向けのサービスや商品を打ち出すことで企業が狙うことのできる数兆円規模の「LGBT市場」の可能性が注目されていた。
こうした「LGBT市場」は、日本の映像メディア産業へどのような影響を与えたのか。『逃げるは恥だが役に立つ』(2016)や『女子的生活』(2018)など、性的マイノリティの登場人物を含む映画やテレビドラマが2010年代に増加したのは事実だが、映像作品の製作には莫大な費用と時間がかかる。
性的マイノリティを描くことで得られる観客動員数や視聴率をまずは試算せねばならず、キャスティングや映像化する作品の選定に関する戦略を練るなど、作品数の急速な増加は2010年代後半まで待つことになる。
その間に、二つの大きな出来事が2015年に起こった。同年6月、アメリカ連邦最高裁判所が同性婚を認めないのは違法であると判断し、全州での同性婚が法整備されていく。これは日本の性的マイノリティの権利運動にも大きな活力を与えた。
また、同年11月、渋谷区と世田谷区で同性パートナーシップ制度が導入され、その他の自治体も同制度やそれに類する制度を提供し始めていく。これらの出来事を受け、マスメディアを通じて一般に広がった「LGBT」という言葉が社会的認知を得たことも、2010年代後半に起きた性的マイノリティ表象の増加に少なからず関係していたと考えられる。
「演じる側」に起きた大きな変化
「LGBTブーム」で起きた大きな変化の一つは、『偽装の夫婦』(2015)、『怒り』(2016)、『きのう何食べた?』(2019)などに見られたように、すでに知名度を確立した役者が性的マイノリティの役へ積極的に起用され始めたことである。
もちろん、1970年代から1980年代の日活ロマンポルノや薔薇族映画に限らず、1990年代の「ゲイ・ブーム」から2000年代にかけて公開・放映された作品にも、そうした例はある。
だがここで重要なのは、この傾向が単発的なものではなく、2025年現在も継続している点である。性的マイノリティの役柄を過去に(何度も)演じたことのある役者が担う場合も少なくはないものの、「LGBTブーム」以前と比べて、(露骨な性描写が絡まない限りにおいて)性的マイノリティの役を演じやすくなっている現状を確認できるだろう。
契機となった「おっさんずラブ」
こうした状況の拡大は性的マイノリティを描く作品の増加を当然示唆するのだが、2020年代へとその流れを広げる契機となったのが、テレビドラマ『おっさんずラブ』(2018)と『劇場版 おっさんずラブ ~LOVE or DEAD~』(2019)の成功である。
日本映画製作者連盟のデータによれば、後者の興行収入は26.5億円であり、ゲイであると自認する主要登場人物を含む日本映画としては最も高く、それに次ぐ『劇場版 きのう何食べた?』(2021)の13.9億円を大きく上回る記録を保持している。
この成功を受けて制作されたテレビドラマの続編は不評に終わったが、人気のある男性俳優を起用した男同士の恋愛ドラマは金になるという一つの指標を映像メディア産業に対して打ち立てたことは間違いない。
すでに厚い読者層をもつ原作漫画・小説を映像化し、いまや若手俳優の登竜門のような勢いで製作されているBLドラマの人気もまた、その影響を受けた緻密なメディアミックス的戦略によって確立されたものであろう。そこでは、ある意味で基準化された「美しさ」が求められるため、『ひだまりが聴こえる』(2024)を例外として、障害を持つ身体や太った身体は基本的に物語から排除されている。
性的マイノリティを描く作品の無視できない「偏り」
このように排除される身体の問題は、映像メディア産業において、性的マイノリティのなかでも特定の物語が優先的に映像化されやすいという構造的な表象の格差と地続きである。
性的マイノリティにはさまざまな人が含まれるにもかかわらず、2010年代の「LGBTブーム」および2020年代に製作された作品の多くが、ゲイ男性や男性に「惹かれ」を抱く男性を主要人物とする傾向にある。
こうした状況において、『作りたい女と食べたい女』(2022、2024)、『生理のおじさんとその娘』(2023)、『彩香ちゃんは弘子先輩に恋してる』(2024、2025)のように、女性同士の「惹かれ」やレズビアンとしてしっかり描くテレビドラマもあるし、『そばかす』(2022)、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』(2023)、『三日月とネコ』(2024)のように、アロマンティック(他者に恋愛感情を持たない、あるいはほとんど持たない指向)、アセクシュアル(他者に性的欲求を持たない、あるいはほとんど持たない指向)、パンセクシュアル(あらゆる性別の人が恋愛感情や性的欲求の対象となる指向、全性愛)の人物を主人公(の一人)として描く映画は確かにある。
特に、『恋せぬふたり』(2022)、『今夜すきやきだよ』(2023)、『そこにきみはいて』(2025)など、アロマンティックとアセクシュアルの(とりわけ女性)表象に関しては、日本の映像メディアは世界でもっとも多くの作品を作ってきた。これらの作品の一部は、少子高齢化の進行に伴い、生殖や結婚をめぐる規範の押しつけや政治的介入に対する批判として読むこともできる。
こうした例を通じて、ゲイ男性の物語だけでなく、性的あるいは恋愛的な「惹かれ」の異なるあり方を示す作品が緩やかに増えてきてはいる印象を受ける観客・視聴者はいるだろう。
それでもなお、バイセクシュアルの女性・男性やトランスジェンダー男性を描く作品は圧倒的に少ない。こうした表象の格差は、単純に映画・テレビドラマの中での数量的な違いそのものを指すのではなく、実社会での存在すらも見えづらくしている環境や制度の状況を意味する。
メディア「産業」にも内在する不均衡
このように物語の中に現れる制度的な不均衡は、映像メディアの産業自体にも長らく存在してきたものである。それはたとえば、シスジェンダー(身体的性と性自認が一致している人)の役者がトランスジェンダー女性を演じた『彼らが本気で編むときは、』(2017)に対する批判が示唆するように、キャスティングの過程において根深い問題として残ってきた。
そうしたなかで、国内外の映画祭でも上映されている『片袖の魚』(2021)や『ブルーボーイ事件』(2025)は、一般公募でトランスジェンダー女性当事者のオーディションを実施し、トランスジェンダーの主要登場人物にトランスジェンダー女性当事者を起用している。
このような実践は、そもそもオーディションの機会を得ることさえ難しく、それゆえ撮影現場での演技指導を受ける機会に乏しかったトランスジェンダーの役者が置かれてきた状況を可視化し、制度的な不均衡を是正する方法を提示することに成功した。
主人公の一人をノンバイナリー(性自認が男女という二者択一のどちらにもはっきり当てはまらない、または当てはめたくないあり方)として描いた『くまをまつ』(2025)が示したように、「いろんなひとがふつうにいる」ということを真摯な想像力のもとに描き、その想像力を観客と共有することこそが、映画やテレビドラマが世の中の<ふつう>をズラし、おちょくるためにできる実践の一つだろう。
そのような実践は、『虎に翼』(2024)、『団地のふたり』(2024)、『スロウトレイン』(2025)でも探求されていた。今後もたくさんの想像力が集まることで、異なる属性や背景を持つ性的マイノリティの可視化につながるはずだ。
これから注視すべきは「食事・食卓」のシーン
最後にこれからの表象について注視するべきは、性的マイノリティを描く映画・テレビドラマにおいて食事や食卓のイメージがどのような政治的役割を担うかという点だろう。
たとえば『ぼくたちん家』(2025)のように、日本を含め、アジア圏の作品には食の場面が頻出する。これらのイメージは、登場人物同士の親密な関係を性愛規範に限定しない形で豊かに描くことのできる重要な表現方法である。
一方で、何をどこで、どのように作り、誰とどのような場所で食べるのか、という一つ一つの選択は、性的マイノリティの物語に対する観客・視聴者の円滑な感情移入を可能にする媒介となりうると同時に、「伝統的」な家族規範や性愛規範へ同化するかたちでのみ許される、「健全で従順な」性的マイノリティの物語の規範性を強化してしまう可能性もある。
性的マイノリティを描く映画・テレビドラマの未来はどこへ向かうのか。性的マイノリティの経験をめぐる物語が、単純に次々と消費されるだけの「商品」で完結するのではなく、性的マイノリティが生きやすい社会構築の実現に貢献するような作品づくりが広がっていくことを期待したい。
<執筆者略歴>
久保 豊(くぼ・ゆたか)
金沢大学人間社会研究域准教授。
京都大学大学院博士課程修了。博士(人間・環境学)。
日本におけるLGBT・クィア映画作品に描かれる性的マイノリティ、同性間の親密性、特定の社会規範から逸脱すると考えられる「何か」のイメージを分析するだけでなく、どのような製作形態のもと作品が出来上がり、どのような形で受容されているのかについて研究。
著書に「夕焼雲の彼方にー木下惠介とクィアな感性」(ナカニシヤ出版・2022)
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。