「静かすぎてうるさい」原発被災地を尾崎世界観が歩く 85%が帰還困難区域の福島・双葉町 東日本大震災15年「避難住民」それぞれの選択【news23】

東日本大震災の発生からまもなく15年です。news23のエンディングテーマを手がける尾崎世界観さんが、原発事故で全ての町民が避難した福島県双葉町を5年ぶりに訪れました。ふるさとに帰る人。帰らないと決めた人。それぞれの震災15年を見つめます。
震災から15年 尾崎世界観さんが見た双葉町
クリープハイプ 尾崎世界観さん
「この先はもう、通行止めになってますね」
福島県・双葉町。いまも町の85%が帰還困難区域です。
尾崎世界観さん
「フェンスも倒れたままですもんね」
5年前にも双葉町を訪れていた尾崎さん。景色に変化も見られましたが…
尾崎世界観さん
「やっぱり最初に感じたものは変わらないですね。音がすごく“静かすぎてうるさい”というのはずっと思っていたので、独特な感じだなっていう。人の気配がなくて…」
2011年3月11日午後2時46分。東日本大震災が発生しました。
最大15メートルの津波が東京電力・福島第一原発を襲い、その後、水素爆発。大量に放出された放射性物質によって、全町民7000人以上が避難を強いられました。
その11年後、駅を中心とする「復興拠点」で、ようやく人が住めるようになりましたが…
尾崎世界観さん
「信号も待っているとき、すごく複雑な気持ちになりますね。車も通らないし、人もいないから」
「こういう建物は前に来た時も…。ハムとかがある。そのまま残ってて…(ハムの賞味期限が)3月19日ですかね …ですよね」
「自分の事ばかりで…」3.11で生まれた歌
15年前、インディーズでバンド活動をしていた尾崎さん。メジャーデビューを目指していたさなか、東日本大震災が発生しました。
尾崎世界観さん
「当時は、ミュージシャンが被災地の方を勇気づけるために色んなことをやっていたんですけど、それができるわけでもなかったんですよね。本当に中途半端だなと思って。(音楽で)救えもしないし、救われもしないっていう」
そんな葛藤の中で生まれた楽曲があります。何度も、東北で歌ってきたそうです。
自分の事ばかりで情けなくなるよ
君が泣いているのはわかっているのにね
苦いお酒と一緒に飲み込んでみるけど
帰りに駅のホームで吐いた
今日は何もいい事なかったな
明日は何かいい事あるかな
結局サビになっても自分の事ばかりで
馬鹿だな 馬鹿だな
~クリープハイプの楽曲「自分の事ばかりで情けなくなるよ」の歌詞より~
尾崎世界観さん
「みんなが同じ方向を向いていこうという時に、何かそこからこぼれてしまう人。数は少ないかもしれませんけど、そういう人が自分みたいにいるのであれば、せめてそこには届けなきゃいけないなと思って」
「戻ってきたい」双葉町民の決意
双葉町の住民はいま、わずか201人です。
帰還した双葉町民
「私はもともと双葉町生まれだし、なんとか故郷の復興を具体的にやりたいということで戻ってきた」
帰還した双葉町民
「同級生でも何でもね、親類でもほとんどいないですから。人が少ないとやっぱり町としてね。いろんな商売にしろ、何にしろ成り立っていかないっていうかね」
尾崎世界観さん
「よろしくお願いします」
中谷祥久さん
「はじめまして。ようこそ双葉町へ」
双葉町で生まれ育った、中谷祥久さん(45)。今も、家族でいわき市に避難しています。
中谷さん
「ここが私が活動していた、消防の第2分団の屯所です」
消防団に所属する中谷さんはあの日、町のために一晩中活動しました。
中谷さん
「なんでシャッターがこうなったかというと、これは電動シャッターだったんですよ。震災のときに一時的に停電になりまして、映画みたいに消防車で突き破って出たっていう」
尾崎世界観さん
「それくらい緊急?」
中谷さん
「緊急事態でしたね。時計も2時46分で近辺で止まっているので」
国からの避難指示を受けて、翌日、家族で双葉町を離れました。
中谷さん
「ここですね 。家族7人で住んでいました」
一時帰宅できたのは、およそ半年後。
中谷さん
「3月でひな人形を飾っていて、その時に片付けようかなって思っていても、バラバラになっちゃって、もう全部」
中谷さんはいずれ、この場所に新しい家を建てたいと考えています。
中谷さん
「自分が育ったところはここでしかない。だから自分は戻ってきたい」
戻りたい理由は、もうひとつ。
今年1月、双葉町で行われた「ダルマ市」。無病息災や商売繁盛を願う伝統行事です。中谷さんの姿もありました。
2023年、12年ぶりに町内で復活した「ダルマ市」ですが、規模は縮小しています。
中谷さん
「本当はダルマ市ってここ(自宅前)でやっていた」
尾崎世界観さん
「この通りだったんですか」
中谷さん
「この通りだったんですよ。玄関開ければダルマ市だったので、その感覚がいまだにある」
“ダルマ市を震災前の姿に戻したい”。
中谷さん
「震災で途切れたお祭りはいっぱいあるんですけど、途切れずやってきた唯一のお祭りなので、これはやっていくべきだなって思って」
「やがてはここで戻してやりたいんですね。ここでやって、一番賑やかだった双葉町をちょっとでも取り戻したい」
ただ帰還を望む人は、決して多くありません。復興庁などが行った調査では、町民の半数以上が双葉町に「戻らないと決めている」と答えています。
すでに双葉町に戻っている…3.9%
戻りたいと考えている…14.8%
まだ判断がつかない…24.6%
戻らないと決めている…52.8%(今年1月発表)
故郷思う町民の「帰らない」
原発事故により、双葉町民は避難を余儀なくされ、各地を転々とせざるを得ませんでした。
震災からおよそ3週間。最後の集団避難先となったのが埼玉県加須市でした。受け入れた町民の数は最大およそ1400人。役場機能も加須市に移され、町の新たな拠点となりました。
双葉町民の吉田俊秀(78)さんは、今も加須市で生活しています。
吉田俊秀さん
「だんだん高齢になってきて、足も大変なときに(双葉町の自宅)近くには大きい病院は本当にないですから、この(加須市の)便利性がある中で、よっぽどの事がない限り、双葉に戻ろうっていう気は今のところないですね」
13年前に中古住宅を購入。妻・岑子さん(81)も一緒にここで暮らしていくと決めていますが、2人の住民票はいまも双葉町にあるといいます。
吉田俊秀さん
「(Q.どうして移さないんですか?)やっぱり双葉にかかわっていたいのかな。忘れることができないわけですよね。今現在、加須市に居住していますが、心は双葉なのかな。気持ちは…」
63歳まで過ごし、そして追われた故郷。自宅はすでに取り壊されました。
吉田俊秀さん
「夢を見るんですけど、双葉にいるときの夢しか見ないんです。いろんな友達の付き合いだったり、事業をやっていた内容だったり、その頃の夢ばっかりなんですよ」
遠い町で故郷を思い続けた15年という月日。
吉田俊秀さん
「地域の人との繋がりもできたしね。散歩してても声かけ合って『お元気ですか?』とか、『今日は良い天気ですね』『どうして過ごしていますか』って話もして。このまま加須で過ごしていきたいと思います」