2026年3月12日、東京・丸ビルホール。会場を埋め尽くす参加者の熱気と、オンラインで繋がる数倍の視聴者。AMED(日本医療研究開発機構)が主催する、ヘルスケアの未来を占う一大イベントが幕を開けました。
今、ヘルスケア分野は空前の成長産業として注目を浴びています。PHR(個人の健康記録)やAI健康アプリ、オンライン保健指導――デジタル技術は私たちの日常に浸透しつつあります。しかし、現実は甘くありません。多くのアプリが、ダウンロードから1ヶ月後には利用率が10%台にまで激減するという「継続の壁」に直面しているのです。科学的根拠(エビデンス)の不足も、社会実装を阻む大きな要因となっています。
この「一過性のブーム」をどう打破し、ヘルスケアを真の社会インフラへと進化させるか。研究者、実務家、政策担当者が一堂に会し、知見をぶつけ合った白熱の5時間をレポートします。
【プログラム1:開会・来賓挨拶】社会実装を加速する「実装重視」の第3期へ
シンポジウムの幕開けを飾ったのは、AMEDの中釜 斉理事長。AMED発足から10年。研究開発の成果を確実に社会へ届ける「実装」に一層の重みを置く第3期(令和7年度~)への移行を力強く宣言しました。関連医学会と連携した指針策定は、まさにその一環。
続いて登壇した日本医学会連合 会長の門脇 孝氏は、非薬物介入領域におけるエビデンス構築の遅れを指摘。「世界最高水準の医療提供と並行し、予防領域の強化こそが人生100年時代の健康長寿を支える」と、医学界としての強い決意を述べ、会場の空気を引き締めました。

中釜 斉(なかがま・ひとし)氏
国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)理事長。医師、医学博士。がん研究の権威であり、AMED第3期の舵取りを担う。

門脇 孝(かどわき・たかし)氏
日本医学会・日本医学会連合 会長/虎の門病院 院長。糖尿病・代謝疾患研究の第一人者。
【プログラム2:特別講演】経済産業省と厚生労働省が描く「健康のグランドデザイン」
厚生労働省:「健康日本21」が挑む新たな視点
厚生労働省の丹藤昌治氏は、令和6年度から始動した「健康日本21(第三次)」の概要を解説。「女性の健康」の新規項目立てや、健康に無関心な層でも「自然に健康になれる環境」の構築に注力。28億円規模の予算を投じた「自治体検診DX推進事業」により、マイナポータル等を活用したスマートな検診体験の実現を急いでいます。



丹藤昌治(たんどう・まさはる)氏
厚生労働省 健康・生活衛生局健康課長。国民の健康づくり運動の司令塔。
経済産業省:健康経営を「コスト」から「人的資本への投資」へ
経済産業省の福田光紀氏は、2050年に高齢化率39%に達する日本の衝撃的な未来図を提示。この危機を乗り越えるには、公的保険の枠を超えた産業の活性化が不可欠です。健康経営をブームに終わらせないための、エビデンス整理(Step 2)から社会実装(Step 4)へ至る具体的なプロセスを強調。PHR活用による新たな市場創出への期待を語りました。


福田光紀(ふくだ・みつのり)氏
経済産業省 商務・サービスグループ ヘルスケア産業課長。産業政策の観点からヘルスケア市場の拡大を推進。
【プログラム3:基調講演】エビデンスとナラティブ(物語)をAIでつなぐ
京都大学教授の中山健夫氏は、ヘルスケアが目指すべき真の地平を示しました。「病気がないことが健康なのではない。自分らしく生きる意志決定ができることこそが健康」。医学界が策定した「指針」の意義を説きつつ、一般論としてのエビデンスに、個人の物語(ナラティブ)を融合させる重要性を指摘。その架け橋となるのが「生成AI」であり、AMEDが掲げる生命・生活・人生の「3つのLIFE」を豊かにする実装を呼びかけました。




中山健夫(なかやま・たけお)氏
京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻 教授。本事業のプログラムスーパーバイザー。疫学・健康情報学の権威。
【プログラム4:セッション1 総合討議】働く世代を支える「3つの新指針」の衝撃
働く世代の重症化予防に向けた3つの新指針。その核心が各学会のリーダーから熱く語られました。
脂肪肝関連疾患(MASLD):吉田 博氏(東京慈恵会医科大学大学院 代謝栄養内科学 教授)
新分類となったMASLDについて解説。肝硬変への進行以上に、心血管イベントによる死亡が多い現実を指摘し、海藻や魚を重視する「日本食スコア(mJDI12)」の有用性を提示。ハイリスク者を早期に拾い上げるフローを構築しました。


循環器疾患:水野 篤氏(聖路加国際病院 循環器内科 / 医療の質管理室 室長)
心不全や脳卒中の再発予防に焦点を当て、血圧や睡眠など8つの因子を管理する「Life’s Essential 8」の有効性を強調。アプリによる管理が心血管イベントを「有意に抑制」するというエビデンスに基づき、「行うことを強く推奨する」との指針を打ち出しました。


婦人科疾患:寺内 公一氏(東京科学大学大学院医歯学総合研究科 教授)
PMS(月経前症候群)や更年期障害による経済損失が年間2.5兆円に上るデータを提示。病院受診に至らない層に対し、デジタルツールと伝統療法を組み合わせた「実務に即した支援体制」の構築を訴えました。


【プログラム5:セッション2 事例紹介】継続の壁を突き崩す! テクノロジーと行動学の英知
シンポジウムのハイライトは、具体的な「利用定着」へのアプローチ。
①生成AIで食事入力の「面倒」をゼロへ
登壇者:渡辺 敏成氏(株式会社Wellmira 代表取締役社長兼CEO)
健康アプリ「カロママ プラス」が挑むのは、ユーザーの負荷軽減。生成AIで写真から「15万メニュー」を自動認識。過去の傾向から朝食を予測する機能で継続のハードルを削ぎ落とします。

渡辺敏成(わたなべ・としなり)氏
味の素株式会社等を経て2002年にWellmiraを創業。予防医療の事業化と実装を牽引。
②GPSと「仲間づくり」でトレーニングを日常に
登壇者:増木 静江氏(信州大学大学院医学系研究科 スポーツ医科学 教授)
5ヶ月で体力を20%向上させる「20%の法則」。スマホのGPSを活用し、近隣の「人気スポット」を共有。励まし合う「仲間づくりアプリ」により、継続率98%という驚異的な成果を達成しました。


増木 静江(ますき・しずえ)氏
スポーツ医科学の権威。身体活動が生活習慣病予防に及ぼす影響を実証研究で解明。
③離脱を3ヶ月前に予見。AIによる「心に届く介入」
登壇者:峰晴 陽平氏(京都大学大学院医学研究科 健康医療DX講座 特定准教授)
離脱を2~3ヶ月前に8〜9割の精度で予測するAIを開発。個人の健康価値観を「7類型」に分類し、AIが最適なタイミングで、その人に最も刺さる「声掛け」を自動で行います。


峰晴 陽平(みねはる・ようへい)氏
医療AI・遺伝疫学を専門とし、デジタル技術を用いた行動変容の最適化を研究。
【プログラム6:セッション2 総合討議】利用・定着への処方箋――「誰かのため」は「自分のため」を凌駕する
議論はさらに白熱。アンケートで浮き彫りになった離脱理由1位「効果の実感不足」に対し、現場の英知が示されました。
登壇者
藤本宏基氏(住友生命保険相互会社 常務執行役員 / 一般社団法人 WE AT 共同代表理事)
宮川政昭氏(公益社団法人 日本医師会 常任理事)
土元寛人氏(川崎市 健康福祉局 保健医療政策部 保健医療政策課 課長)
渡辺敏成氏/増木静江氏/峰晴陽平氏
モデレーター:青木武士氏(株式会社キャピタルメディカ・ベンチャーズ 代表取締役)
サブモデレーター:徳永氏(日本総合研究所)
「しつこさと愛情」が人を動かす
日本医師会の宮川氏は「私は破壊者として来た」と会場を沸かせつつ、「『良いジジイになりたい』という孫への想いが自分を動かした。健康数値よりも、その人が『どうありたいか』という目的を明確化し、しつこさと愛情を持って伴走する存在が必要だ」と力説。テクノロジーの背後にある「人間味」の重要性を訴えました。
価値の転換――川崎市「テクテク」の挑戦
川崎市の土元氏は、市民参加型ウォーキングアプリの成功事例を紹介。
「『自分の健康のため』では続かないが、歩いた分が『地元の小中学校への寄付』に繋がる仕組みにしたところ、8万人近い参加者が集まり、その96%が継続を希望した」。利己的な動機を「社会貢献(利他)」へとずらす戦略が、行政主導のヘルスケアにおけるブレイクスルーとなりました。
エビデンス、テクノロジー、そして「寄り添い」の融合
「エビデンス、テクノロジー、そして『寄り添い』の融合こそが実装の鍵」。AMED 林 勇樹 部長の言葉が、この日の議論を象徴していました。
単なるツールの提示ではない。医学的根拠の上に最新のテクノロジーを載せ、さらに「人の心」を動かすナラティブを掛け合わせる。私たちの人生(LIFE)を、より健やかに、より自分らしく。AMEDと各界の共創は、ヘルスケアを社会の確かな基盤へと変える確信に満ちた一歩となりました。