最大震度7 被災地・熊本のいま 再建阻む暑さ 専門家指摘「残る地震のリスク」も【報道特集】

熊本地震から10年 再び被災地となった熊本
7月28日、熊本県を最大震度7の激しい揺れが襲った。
2016年の熊本地震から10年。復興の道を歩んでいた熊本が、再び地震の被災地になった。
【写真で見る】“たまたま別の部屋に”九死に一生 住民「前回と違い外に出る余裕なかった」
「イオンモール熊本」では大爆発が起き、行方が分からなくなった人の捜索が続いた。
地震発生の翌日、震度7を観測した宇城市に入った。熊本の人たちが直面している現状を総力取材した。
震度7で祖母が一時“閉じ込め” 「10年前より酷い」35℃超えの中での片付け
震度7を観測した熊本県宇城市。熊本市内から実家の片付けで訪れていた男性に、家の中を見せてもらった。
成松弥さん(36)
「電気も水も来てないので、明るいうちにやってしまおうということで、通り道を作って車庫に大物を出して」
実家では、祖母と母親と妹が暮らしていたが、地震のとき、祖母が1人で家にいて中に閉じ込められてしまったという。
成松弥さん(36)
「祖母も携帯持っているんですけど耳が遠いので、ドアも開かなかったんで、ひずんで。消防の方が来て縁側の窓を外して助け出してくれた」
連日35℃を超える猛暑の中、片付けも容易ではない。
成松弥さん(36)
「頭回らなくなる。暑さで、あれやろうこれやろうと思っても」
10年前の震災を機に、家を綺麗にリフォームしたというが…
山本恵里伽キャスター
「10年前と同じようなことを、またやらなくてはならない」
成松弥さん(36)
「10年前より酷いんじゃないかな、今回の方が」
倒壊した老舗菓子店の三代目 “引っ越して助かった命”と家業への思い
続いて入った八代市。多くの家屋が倒壊している。
山本恵里伽キャスター
「お菓子屋さんですが、看板が地面に付いてしまっています。カーテンのような布で覆われていて中の様子は見えませんが、ガラスが散乱しているのがわかります」
創業100年を超える、お菓子の「田代福進堂」。
このお店の三代目、 田代栄司さん(56)。
地震発生時は、2025年に引っ越したばかりの新しい店舗で作業中だった。
倒壊した建物は以前の店舗であり、田代さんの実家。母親が住んでいたが、当時は外出中で無事だった。
田代福進堂 三代目 田代栄司さん(56)
「前の店で午後4時半ぐらいだったら、私も妻も母も多分(前の)店にいたと思う」
この店の名物は創業以来続く、はちみつを練り込んで焼き上げる「福ぼうろ」。看板商品は床に散らばり、巨大なオーブンも大きく動いてしまった。
建物自体は無事だったが、業務用の電気が復旧せず、断水も続いている。
祖父の代から続く老舗を1日も早く再開させたい思いは強いが、見通しは全く立っていない。
田代福進堂 田代栄司さん(56)
「命が助かったのは、やっぱり引っ越してよかったねと。周りの人もよかったね、まず命だよねと。生まれ育ったというか、ここで親父も一生懸命がんばって、つないでもらってやっていたので。まだちょっと、気持ち的に整理ができてるようでできてない」
“たまたま別の部屋に”九死に一生 住民「前回と違い外に出る余裕なかった」
震度7を観測した氷川町に、村瀬キャスターが入った。
村瀬健介キャスター
「完全に倒壊している家屋もあります。震度7を観測した地域ですので、大変大きな被害が出ています」
古くからの民家が立ち並ぶ氷川町でも、倒壊した家屋はいたるところにあり、甚大な被害がでていた。
イチゴ農家の松村信夫さん(85)。80年前に建てられた母屋が潰れてしまったが、たまたま倒壊を免れた部屋に行って九死に一生を得た。
松村信夫さん(85)
「こっちの農舎(納屋)から倒れた。玄関を塞いだので出られなかった。壁の切れ目のところから出てきた」
Q.今回の揺れは前回(2016年)とは違った?
「違う(外に)出る余裕がなかった。20秒くらい続いた」
松村さんに大きなけがはなかったが、妻が割れたガラスで足を切ってしまったという。当時、妻がいた部屋には、血の跡が残ったままだった。
松村信夫さん(85)
「『バー』と落ちてきたから、逃げられなかった。ここにいたら夫婦2人とも命はなかった」
支援の拠点で電力・水不足 浄水場被災で「飲料水・生活用水の確保」課題に
被災者支援の拠点となっている町役場を訪ねた。7月29日の午後5時、地震から24時間以上たっていたが、町内の避難所は開設できていなかった。
辺り一帯、停電が続いていたため、庁舎は電源車から供給されるわずかな電力が頼りで、冷房は止まったままだった。
役場では電源車の燃料が枯渇しつつあり、電力を失う恐れに直面していた。
電力会社の担当者
「それ(新たな軽油)が着かなかったら、5時間後に(電源を)切る準備を始める」
不足していたのは電力だけではない。町長が自衛官に「給水車が足りない」と訴えていた。
氷川町 藤本一臣町長
「(給水車を) もっと増やしてほしいくらいの状況。その中で1台減らすというのは、ちょっと厳しいんじゃないか。せめて(1人あたり)4、5リットルくらいは 配布しないといけないと思っていたところ。今の段階で、台数を減らすというのは厳しい」
Q.町長として今必要なもの、必要な支援というのはどういったものか。
氷川町 藤本一臣町長
「まず全域が断水と停電でライフラインが全くない。浄水場が被災して多分、数か月間、水を作ることができない。水については給水で対応するしかない。飲料水・生活用水の確保をどうするのか、今、一番の課題だ」
7月29日午後6時、ようやく町に避難所が開設された。
10年前の“割れ残り”か 断層の南西側にはまだリスク…専門家「津波が発生する可能性」
今回の地震は、どのようなメカニズムで起きたのか。
熊本県八代市、八代JCT付近。連結部分が地震によってずれてしまったこの下には、「日奈久断層帯」が横切っている。
村瀬健介キャスター
「まさに今回動いた断層ですが、平らだった畑が隆起しています。断層の亀裂の先に目線を向けると、高速道路の橋がずれてしまっているのがわかります」
付近の住宅でも段差が生じていた。
八代市の住民
「もともと前の道と同じ高さで、まっすぐフラットな状態だった」
Q.ここの高低差はもともとははなかった?かなりの高低差ですね。
「なかったです。ちょっと怖い。上の方もかなりヒビが入っているので」
東北大学で活断層の研究などを行っている遠田晋次教授のチームが7月31日、この場所に調査に入った。
高速道路の下でも大きなずれが生じていた。高低差を計測すると約1.4mだった。
東北大学(地震メカニズム)遠田晋次 教授
「日奈久断層が大きく動いたということになる。(2016年の)熊本地震のしわ寄せがきて、割れ残りという表現も使われる。(2016年の)熊本地震の後も、熊本市や八代市、その周辺の自治体の直下ではたくさん地震が起きていた。それがもう全然おさまる気配がなかったので、いろんなところで日奈久断層は今一番危険な断層と申し上げてきたつもりだが、思ったよりも早くこういう地震になってしまった」
2016年の熊本地震では、最初の震度7は日奈久断層帯だった。
遠田教授によると、今回は日奈久断層帯の南西側の割れ残りが活動したのではないかという。さらに南西側にはまだリスクがあると話す。
東北大学(地震メカニズム)遠田晋次 教授
「多くの断層が八代海の中にあり、上下に動くタイプの動きをする断層も多いと言われている。その上にある海水を変動させるので、津波が発生する可能性も十分ある」
10年前の被災者は…活きた過去の経験と今後の課題
震度6弱を観測した御船町の山あい。出迎えてくれたのは宮本恵里子さん(73)だ。
10年前の熊本地震で、支援物資が行き届かない地域を取材した際に出会った。
宮本恵里子さん(2016年)
「田舎はね、見捨てられているのかなって」
当時、両親と夫と4人で暮らしていた自宅は半壊。家の中は家具や食器が散乱し、傷んだ天井からの雨漏りで被害が広がった。
屋根の瓦を軽い資材に変えるなど、修繕に約2000万円かかったという。
前の地震の後、自宅の敷地内に開いた食堂。
地域活性化の拠点を目指し、地元の食材を生かした郷土料理を提供してきたが、どれほどの被害かわからず、店は休業せざるをえない状態だ。
Q.厨房もけっこう
宮本恵里子さん(73)
「全部落ちている。足の踏み場がないから入れない」
家の中も再び物が散乱したが、事前の備えで防げたこともあった。
宮本恵里子さん(73)
「(食器棚が)開かないようにしている。下に重い食器を置いて、上に小さい軽いものを置いて、開かない」
Q.食器は出なかった?
「出なかった。地震の後、防災士の試験を受けたり、いろいろ勉強会をしたり」
宮本さんは4年前に防災士の資格を取得した。高齢者が多い地域で、防災に関する知識を持った人が必要になるとの思いからだった。
御船町の防災士たちが2025年に立ち上げた、グループLINEが今回の地震で役に立ったという。
宮本恵里子さん(73)
「どこの道がふさがっているとか、全部ここに(情報が)来る」
地域のガソリンスタンドの営業状況を共有できたことも大きかった一方で…
Q.防災士のライングループで流れる情報は、地域のほかの住民にも流れていく?
宮本恵里子さん(73)
「誰もが見られる状態じゃない。防災士同士でしか見られていない。そういうものを作らなくてはいけない。それが今の課題」