約12万人が体験した「災害体験VR」 企業から地域へ広がる新たな防災教育
災害が起きたとき、頭では「避難しなければ」と分かっていても、実際にどのような状況になるのかを想像するのは簡単ではありません。そんな防災教育に、VRを使って災害を疑似体験する取り組みが広がっています。
株式会社白獅子が開発する「災害体験VR」は、地震や津波、水害、土砂災害、火災などをVRで体験できる防災教育ツールです。これまでに140団体以上で活用され、累計約12万人が体験。体験中の事故や負傷も発生していないとされています。
さらに、京都大学防災研究所との共同研究では、洪水の3DCG映像とハザードマップを見る場合で、脳の反応に違いがあることも確認されました。現在は、企業が災害体験VRを購入し、自治体や消防などに寄贈する仕組みを全国に広げようとしています。防災を「知る」だけでなく「体験する」とはどういうことなのか、その仕組みと背景を見ていきます。
「災害を体験する」とは? VRで知る、災害のリアル

地震や津波、水害、土砂災害、火災など、さまざまな災害をVRで疑似体験できる「災害体験VR」。4K・高精細な3DCGとリアルタイム演算によって災害の様子を再現し、VRゴーグルを通して体験できる防災教育ツールです。劇場用映画やゲーム開発などで培った映像技術をもとに、白獅子が自社で開発しています。
このVRが目指しているのは、災害の怖さをただ伝えることではありません。実際に災害が起きたときに「何が起きるのか」「どう判断すればよいのか」「なぜ備えが必要なのか」を考え、いざというときの行動につなげることです。防災について文章や資料から知識を得るだけでなく、映像を通して災害の状況を具体的にイメージすることで、備えについて考えるきっかけをつくります。
また、地域ごとの災害リスクに合わせた内容にできる点も特徴の一つです。地域の避難行動や過去の災害、地形的な特徴、地域防災計画などを踏まえて解説テロップを追加できるほか、フォトグラメトリなどを使って実在する街並みを再現したオーダーメイド制作にも対応しています。実際に広島県向けには、広島市内の特定地域の景観に似せた映像も制作されています。
「災害について知っている」だけではなく、その状況を具体的にイメージし、行動について考える。そのための手段として、VRを防災教育に取り入れています。
VRで伝わる? ハザードマップとの違いを脳の反応から検証

防災では、ハザードマップなどを使って災害の危険性を知ることが重要です。一方で、地図や文章から得た情報だけでは、実際に災害が起きたときの状況を具体的にイメージするのが難しい場合もあります。そこで白獅子は、京都大学防災研究所の藤見俊夫准教授と共同で、ハザードマップのような「記述的な情報」と、3DCG・VRによる「体験的な情報」で、災害リスクの受け取られ方にどのような違いがあるのかを調べました。
研究では、45人を対象にfMRIを使った実験を実施。洪水を再現した3DCG映像を見た場合、ハザードマップを見た場合と比べて、恐怖などの処理に関係する脳の領域「扁桃体」がより強く反応したとされています。さらに約1,000人規模のウェブ実験では、VR映像を見ることで洪水への備えをしようとする意図が高まり、その背景には「恐怖の喚起」が関係していることも示されたとしています。
ただし、これは「VRがあればハザードマップは必要ない」という話ではありません。研究では、文字や地図から情報を得ることと、映像などを通して体験的に情報を得ることでは、脳内で異なる経路を通って処理される可能性が示されています。防災について知識を得る方法に加えて、災害をより具体的にイメージする方法を組み合わせることで、「知っている」ことと「実際に行動する」ことの間にある溝を埋めようとしています。
約12万人が体験、自治体や消防など140団体以上で活用

災害体験VRは、研究段階にとどまらず、すでにさまざまな場所で活用されています。2026年3月までの実績として、自治体や消防、企業、教育機関、自主防災組織など140団体以上が導入し、累計体験者数は約12万人に上るとされています。体験中の事故や負傷についても、これまで1件も発生していないとしています。
活用先は幅広く、広島県庁や岡山市消防局、浜松市、大阪市、札幌市、高知市などの自治体・消防機関のほか、高知県警や聖路加国際大学、東京理科大学などにも納入されています。大阪・関西万博では松原市のブースに展示され、国内外から訪れた多くの人が体験する機会にもなりました。
教育分野での活用も進んでおり、岡山大学医学部では将来の医療従事者への演習にも利用されています。また、防災・減災に関する複数の賞を受賞しているほか、NHKや日本経済新聞、読売新聞、毎日新聞などでも取り上げられています。
こうした実績を見ると、災害体験VRは単に新しいVRコンテンツとして提供されているのではなく、防災訓練や教育、市民向けイベントなど、実際の防災活動の中で活用される段階に入っていることが分かります。では、こうしたVRを地域に広げるために、どのような仕組みが用意されているのでしょうか。
企業が購入して地域へ 防災VRを届ける「寄贈プログラム」

災害体験VRを地域に広げる方法として今回打ち出されているのが、企業がVRを購入し、自治体や消防などに寄贈する「寄贈プログラム」です。企業が地域貢献の一環として費用を負担し、自治体や消防が防災訓練、学校教育、市民向けイベントなどで活用する仕組みで、「企業→自治体・消防→住民」という流れを想定しています。
導入までの流れは、まず企業が寄贈を決め、自治体へ連絡。その後、設置場所や活用方法について自治体・消防局と打ち合わせを行い、白獅子がVRを制作・納品します。贈呈式を経て、地域の防災活動などで活用する形です。機器の台数や仕様、カスタマイズの内容によって費用は変わりますが、リリースでは50万円~400万円が目安とされています。
すでにこの仕組みを利用した事例もあります。2026年6月には、尾道市に本社を置く山陽工業株式会社が災害体験VRを購入し、尾道市消防局へ寄贈しました。尾道市は土砂災害や洪水、高潮、津波、ため池などさまざまな災害リスクを抱えており、今回寄贈されたVRは地域の防災教育などに活用されます。
もう一つの事例が浜松市です。2024年2月、はましんリース株式会社の寄付によって災害体験VRが浜松市へ納品され、現在は浜松市防災学習センター「はま防~家」に設置されています。来館者がまずVRで災害を疑似体験し、その後に災害の歴史や具体的な防災行動を学ぶという流れがつくられています。VRを「体験して終わり」にせず、その後の防災学習につなげる活用方法も示されています。
「知っている」から「行動できる」防災へ
防災では、ハザードマップを確認したり、訓練に参加したりすることで、災害への知識を身につけることができます。一方で、実際に災害が起きたとき、知っていることを行動に移せるとは限りません。今回の取り組みでは、VRによる疑似体験をその間をつなぐ手段の一つとして位置づけています。
京都大学防災研究所との共同研究では、VR映像とハザードマップで脳の反応に違いが見られたほか、VRによって災害への備えをしようとする意図が高まったとされています。こうした研究結果とこれまでの活用実績を背景に、白獅子は企業から自治体・消防などへVRを届ける仕組みを全国に広げようとしています。
2026年9月1日の「防災の日」と、8月30日~9月5日の「防災週間」に向けて、寄贈を検討する企業や、災害体験VRの導入を考える自治体、消防本部、警察、企業、団体などからの相談も受け付けています。防災教育の方法が多様化するなか、災害を「知る」だけでなく「体験する」ことが、いざというときの行動につながる新たな選択肢として広がっていくのか、今後の展開が注目されます。