なぜ池江璃花子は「最後のアジア大会」と語るのか?病魔を乗り越えた天才スイマーが二宮和也に明かした葛藤と覚悟【バース・デイ】

32年ぶりの日本開催となった愛知・名古屋アジア大会(9月19日~10月4日)。この大舞台で一際注目を集めているのが、競泳・日本代表の池江璃花子(26)だ。長年、日本競泳界を牽引し続けてきたヒロインのもとを、アジア大会スペシャルアンバサダーの二宮和也(43)が訪ねた。
対面早々、池江は「何百万もファンがいる人をわざわざこんなところまで足を運ばせてしまって申し訳ないなという気持ちで」と恐縮した様子を見せたが、二宮は「そんなことないですよ。行きますよ!」と笑顔で応じた。
リラックスした雰囲気の中で取材が始まったが、池江の口から語られたのは思いがけない言葉だった。
「今回のアジア大会は自分にとって3回目のアジア大会なんですけど、最後のアジア大会になるかなと思っているので、結果を出して最後終わりたい気持ちもあります」
「最後」と心に決めて挑む大舞台。栄光の裏で想像を絶する困難と闘い続けてきた彼女の覚悟に迫る。
課題の「スタート」克服へ 勝敗を分ける100分の1秒との闘い
大会を1か月後に控えた8月、池江はアメリカでの代表合宿に参加していた。短距離を専門とする競泳において、勝敗を左右するのはスタートだ。納得がいくまでスタート練習を繰り返し、タイムの向上を実感していた。
「すごく良かったです。NTC(ナショナルトレーニングセンター)で泳いでいた時よりもタイムが上がっていて、全体的には良くなっていると思います。50m種目はスタートが大事になってくるので、少しでも離される距離、時間を減らせたらなと。中国の選手で50mバタフライでまだ今シーズンはタイムが出てきている選手がいないので、負けない気持ちを持ってアジア大会に臨んでいい順位を獲れたらいいかなと思います」
帰国後、日本で練習を続ける池江のもとを二宮が訪れた。実際に高さ75cmのスタート台に立った二宮が「(後ろ足)乗せた時点で落ちそう」とその難しさを体感すると、池江は自身の課題について率直に明かした。
「スタートはめちゃくちゃ下手くそで。スプリンターって基本的にスタートが上手くなきゃいけないんですけど、スプリンターなのにスタートが下手という」
泳ぎの面で追い付いて追い抜く強みを持つ池江だからこそ、「その前にスタートさえ上手くなればもっといい」と課題克服に強い意欲を見せる。
そして話は、3度目となるアジア大会の位置づけへと及んだ。
「前回大会(杭州)の50mバタフライが3位だったので、それ以上の結果は出したいという気持ちもありますし、あとは自分がどこまで活躍できて、どこまで成長できてやり続けられるかを結構考えるので。今回のアジア大会も、最後になるか分からないですけど…もしかしたらまだやってるかもしれないですけど、結果を出して最後終わりたいなという気持ちもあります」
世界の頂点から病魔へ「なんで自分だったんだろう」
アジア大会は、池江にとって常に競技人生のターニングポイントとなってきた舞台だ。
初出場は高校3年生、18歳で迎えた2018年のジャカルタ大会。次々と金メダルを獲得し、最終日を前に5冠を達成。そして迎えた最終種目の50m自由形。
「5個目の金メダルをとった後に、最終日に残っていたのが50m自由形だったんですよ。その時はエントリーランキングが2位とか3位とかで、1位の選手が自分より自己ベストが全然速くて、正直勝てないかもとは思っていて。ただレース前にその選手の顔を見た時に、『勝ったな』と思ったんです」
二宮が「何故なの? 雰囲気?」と尋ねると、池江はこう振り返った。
「わかんないです。絶対私負けないなと思って泳いだら勝つことができたので。本当に勝つか負けるかは実力の問題じゃなかった、あのレースは気持ちでどっちが勝てるかの試合だったので」
日本人史上初となる「6冠」を達成し、その名は一躍世界へと響き渡った。
しかし、2019年――世界トップレベルまで上り詰めた矢先、過酷な試練が彼女を襲う。合宿中の体調不良により緊急帰国。言い渡された診断名は「急性リンパ性白血病」だった。
二宮から「病気になって闘病生活をしていく中で、水泳というものはどういったポジションだった?」と問われた池江は、当時の精神的な葛藤を明かした。
「日本で1番だったし、それこそ世界ランキングも1番になれた、やっと1番になれた時の病気だったので…。2019年に世界選手権があって、もちろん見てたんですけど『自分が出てたらメダルとれてたのかな』とか、いろんなアスリートたちが活躍している中で『なんで自分だったんだろう』とか。泳げない時期は、なぜ自分じゃなきゃいけなかったっていうことはすごく精神的にはきつかったです」
それでも、水泳から心が離れることはなかったという。
「水泳を離れるとか辞めるとかそういう考えはまったく無かった。水泳は本当に生活の一部なので。お風呂入るのと一緒で、毎日やることではあったので」
病と闘い続け、1年後にようやくプールへと復帰。「この1年ちょっと待ち望んでいたプールに入るということができてすごく嬉しかった」と当時語っていた池江だったが、本当の苦悩は復帰後に待っていた。
トップだった自分とのギャップ 「恥ずかしかった」銅メダルからの再起
かつて世界トップだった自分と、復帰後に勝てなくなった現実。残酷なまでのギャップが彼女を苦しめた。
「泳げるようになった時の方が、正直精神的にはきつかったです。自分の思うようなタイムが出なくて、もどかしさがすごくあって。毎日練習帰り、一人で車を運転しながら泣いて家に帰るのが日常でした」
限界に抗い続け、迎えた2023年の杭州アジア大会。池江は50mバタフライで見事に銅メダルを獲得し、多くの人々がその復活劇を称賛した。しかし、本人の思いは全く異なっていた。
二宮に杭州大会の心境を尋ねられると、池江は苦笑いを浮かべながら語った。
「すごく恥ずかしい気持ちで大会に臨んだんですよね。やっぱり前回大会でMVPを獲得していて、病気して戻ってきた選手で、結果メダル1個(3位)。これだけ注目されてこの結果で、恥ずかしいみたいな。正直それがあの時のベストだったと思うし、それ以上の結果はなかったと思うんですけど、だけどすごく恥ずかしいという気持ちしかなかったですね」
悔しさを胸に、池江はこの杭州大会以降、100mバタフライのタイムを復帰後初戦(59秒44)から復帰後自己ベスト(57秒03)まで半年間でタイムを2秒近く縮めるなど、血の滲むような努力を積み重ねてきた。
そして2026年、自国開催となる3度目のアジア大会を迎えた。
「正直、自国開催ということよりも『アジア大会』という名称の方が自分の気持ち的にはグッとくる部分はあって。もちろんたくさんの日本の方が応援に来てくれると思うので、自分のお世話になっている人とかもみんな観に来られる場所にあるので、自分もその雰囲気を楽しめたらいいなとは思います」
「最後」と決めた大舞台の初戦は23日。困難を乗り越えてきたヒロインが、自身の競技人生に新たなページを刻む。
(TBSテレビ「バース・デイ」2026年9月19日放送より)