【ドラフト】社会人注目株・飯山志夢「俺も悔しいよ」元日本ハムの父の言葉に涙 母への感謝を胸に、指名漏れからリベンジのプロ入りへ

運命の一日、プロ野球ドラフト会議が22日に迫る。社会人野球の強豪・ENEOSでプレーする飯山志夢(23)は、走攻守三拍子そろった即戦力外野手としてプロ入りに期待がかかる。父は元日本ハムで現中日二軍監督の飯山裕志さん。父を「憧れ」と語る一方、当時単身赴任中の父に代わり、日々を支えてくれた母への感謝も胸に刻む。野球一家で育った飯山が、憧れの父を追いかけ同じ夢の舞台へ挑む。
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元プロ野球選手の父の背中、母の支え
4人兄弟の長男である飯山。4歳下の双子の弟と四男も野球を続けており、飯山家にとって野球はいつも身近な存在だった。父・裕志さんの影響で、気づけば野球の体験会に足を運び、小学1年生でチームに所属していた。しかし父から「野球をやれ」と言われたことはない。野球を続ける中でかけられたのも「ライナーを打て」や「しっかりグローブの芯で捕れ」といったシンプルな言葉だった。「細かく教えてもらったというより、やりたいようにやらせてもらいました」。
プロ野球選手だった父は、現役時代は単身赴任で家を空けることが多かった。それでも、寂しさを感じた記憶はないという。兄弟同士、「友達みたいな」関係で過ごし、家を守ってくれた母も大変さを口にすることはなかった。
「お母さんはお母さんで、美味しいご飯も作ってくれましたし、小さい頃は遠征で遠いところに行ったりもしていたので、そのサポートはよくしてもらっていました。下の兄弟もいる中ですごい有難いことだなと。その時は思えなかったですけど、今考えたらそう思いますね」
飯山はある年の母の日に「いつもありがとう」と感謝の思いを伝えたという。その時、母から返ってきた「楽しそうに野球してくれるのが、私も嬉しい」という言葉が今も心に残っている。家族に見守られながら、飯山は野球選手としての歩みを進めていった。
涙の指名漏れ、父がくれた言葉
高校は千葉県の強豪・中央学院高に進学。大学では東都大学野球連盟の立正大に進み、1年春からベンチ入りを果たした。チームは2部に降格するも、3年春には打率.365をマークして2部首位打者に輝き、ベストナインも受賞。4年春にも打率.327を残し、2度目の2部ベストナインに選ばれた。さらに大学日本代表にも名を連ね、飯山はプロ入りに向けて着実にステップアップしていた。
そして迎えた大学4年時のドラフト。プロの世界を目指していたが、指名漏れを経験した。当時、日本ハムのスカウトを務めていた父・裕志さんとは、プロアマ規定もあり、野球について多くを話すことはなかった。指名漏れの悔しさからなかなか立ち直れない日々。そんな時、普段は多くを語らない父からかけられた言葉があった。「悔しかったよな。俺も悔しいよ」。その瞬間、涙が止まらなかったという。
それでも、大学のリーグ戦はまだ数試合残っていた。まだ悔しさを引きずっていた飯山だったが、父から「最後だし、とりあえず野球やってきな」と送り出され、グラウンドへ向かった。飯山は残された試合を思い切り楽しむことで、少しずつ気持ちを整理することができた。試合が終わった後に父から「楽しかったでしょ」と言われたことが今でも印象に残っている。プロへの夢を一度は断たれた飯山。それでも社会人野球の舞台で実力を磨き、プロ入りへの再挑戦を目指した。
家族への感謝を胸に、夢の舞台へ
大学卒業後、社会人野球の名門・ENEOSに入社すると、1年目から中堅手のレギュラーを獲得。夏の都市対抗では初戦のJR西日本戦で2安打を放った。今年、ENEOSは都市対抗への出場権を逃したが、三菱重工Eastの補強選手として再び大舞台に立ち、チームのベスト4進出に貢献した。
ここまで歩んでこられたのは、家族の支えがあったからこそだ。特に母への感謝は大きい。「都市対抗予選とか、本戦も見に来てくれて、すごい楽しんでくれたので。それをもう一つ上のステージで見せられたら、なお幸せにできる。楽しんでもらいたいなとは思いますね」。
好きな言葉は、自身の名前の由来にもなった「志高く夢を叶える」。両親が名付けた「志夢」という名前。「志」の一字は祖父から父・裕志さんへと受け継がれてきた。父に憧れ、母に支えられ、家族とともに歩んできた野球人生。一度は味わった指名漏れの悔しさも乗り越え、再びプロの世界を目指す。飯山は「母は指名があれば、泣いちゃうんじゃないですかね」と笑顔で語った。家族から受け継いだ「志」を胸に、自らの名に込められた「夢」を叶えるため、運命の日を迎える。
■飯山志夢(いいやま もとむ)
2003年2月13日生まれ。東京都葛飾区出身。身長178cm体重82kg。外野手、右投左打。中央学院高から立正大に進学。大学日本代表に選出され、24年プラハ・ハーレムベースボールウィークに出場。ENEOSに入社後は1年目から中堅手でレギュラーを獲得。父は元日本ハム、現中日の2軍監督の飯山裕志さん。