【ドラフト】最速156キロ右腕・下堂翔史 憧れは伊藤大海、社会人1年で球速6キロアップの“遅咲き”リリーバー

夢への扉が開く運命の一日、プロ野球ドラフト会議が22日に行われる。最速156キロの“社会人屈指の右腕”として9球団のスカウトが視察に訪れた、日本製鉄瀬戸内の下堂翔史(24)。175cm、90kgのがっちりとした体格で、自身が武器だと語るストレートを軸に、多彩な球種を操る。社会人1年目で球速を6キロアップさせた、即戦力候補のリリーバーだ。
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プロを目指せると感じたのは去年
野球をやっていた3つ上の兄の影響で自身も野球の道に進んだ下堂。小学校4年生の時に地元のクラブチームに入部し、地元中学校の軟式野球部を経て熊本の開新高校に進学した。甲子園出場経験はないものの、高校3年時、コロナ禍で開催された県独自の大会『2020夏季熊本県高等学校野球大会』で全4試合に先発登板し、3完投、1完封と圧巻の成績を残した。
日本文理大に進み、大学4年生で当時自己最速の150キロをマークしたのがきっかけで少しずつプロを意識し始めたという。しかし大学では志望届は出さず、日本製鉄瀬戸内に入社。活躍の場を社会人野球に移した。
「本当に(プロに)行けるかなって感じたのは、(去年の)京セラドームが終わった後ぐらい」と語るように、一躍注目の的となったのが1年目の秋に出場した日本選手権(25年)。1回戦のJR東海戦で5回から2番手としてマウンドにあがり、スリークオーターから156キロを連発、3回1/3を1安打無失点の好投を見せた。
大学4年から球速を6キロ上げ、社会人1年目で二大大会を経験。ドラフト解禁年となった社会人2年目の今年6月、都市対抗野球近畿地区第1代表決定トーナメント1回戦の島津製作所戦では、1点差に迫られた7回1死一塁の場面でリリーフ登板。先頭打者を四球で歩かせるも、その後はしっかりと仕留め、初戦突破に貢献した。9球団のスカウトが視察に訪れるほどで、“即戦力リリーバー”の呼び声も高い。
好きな言葉は「継続は力なり」
最速156キロも「もっと上げていける感覚はあるので、しっかりフォームだったり、体の面で成長していきたいなって思っています」と下堂。カットボール、スプリット、カーブを操るが、「カットボールとかも1つじゃなくていろんなスピードで投げたり、スプリットもカウントとか、空振りを取るボールとして分けて投げています」。自慢の真っ直ぐと、多彩な変化球のコンビネーションで打者に立ち向かう。
好きな言葉は『継続は力なり』。中学時代から自ら考えて練習する習慣を身につけ継続している他、柔軟などの基礎も、やると決めた時から1日も欠かさず続けている。結果が出なかった大学時代もこの言葉があったからこそ、折れずに続けてこられた。
「(ケガとかで)2年生からベンチにも入れない時期が続いて。辞めたいっていうよりは、これ以上いけないのかなと思ったりした時もあるんですけど、継続できるところが自分の強み、って言い聞かせてずっと続けた中でまた4年生になって投げることができて。社会人野球にも進むことができたんで、諦めずに続けて良かったなと思います」
遅咲きの剛腕・下堂が参考にしている選手がいる。25年沢村賞、パ・リーグ投手部門でゴールデン・グラブ賞を受賞した日本ハムの伊藤大海(29)だ。伊藤は、2年連続(24年、25年)で最多勝利投手賞などを受賞。今季も10勝をあげ、3年連続(5度目の)二桁勝利を達成した球界を代表する投手だ。
下堂は野球の面はもちろん、伊藤の普段のたたずまいに惹かれるという。「取り組み方だったり、芯を持ってるというか、自分を持ってしっかり自信を持って生活をされているなって感じる。そういったところを自分も参考にしてます」。
野球を続けてこられたのは母と兄のおかげ
支えてくれた母と兄への感謝の気持ちも大きい。「母も兄もよく連絡をくれるので定期的に連絡はとっています」。女手一つで育ててくれた母に対し「本当に、生活に余裕、そんなになかったと思うんで、自分がプロになることで、少しでも、恩返しできたらなと思ってます」と語る。さらに、野球を始めたきっかけとなった兄の期待にも応えたいという。「社会人なってくらいから連絡とかも増えて、『プロになれよ』って言われ始めたんで、楽しみに期待してくれていると思う」。
「昔は自分のためにプロ野球選手になりたいなって思ってた時期があったんですけど、今は自分のためっていうよりも、応援してくれてる人のために。プロに行って応援してもらいたい」
運命の一日まで残りわずか。社会人屈指の本格派右腕が吉報を待つ。
■下堂翔史(しもどう・しょうし)
2002年10月20日生まれ、24歳 175㎝、90㎏ 右投げ、右打ち
熊本県熊本市出身。母子家庭で3つ上に兄がいる。野球をやっていた兄の影響で小学4年生の時に地元のクラブチームに入部し野球を始めた。中学時代は軟式野球部に入部。地元・熊本の開新高校を経て日本文理大学に進学。大学4年生で当時の自己最速150キロをマーク。日本製鉄瀬戸内に入社し、社会人1年目の2025年に出場した日本選手権で自己最速156キロを連発しプロ注目選手の一人となった。