【ドラフト】米挑戦表明の織田翔希「残すのが心配」最愛の母・祐子さんは「海外にも行ったことがない子が・・・」葛藤の裏にあった親子の絆

野球人にとっての“運命の一日”、ドラフト会議。今年最大の目玉として早くから注目された高校ナンバーワン投手、横浜高校の織田翔希(18)はドラフト会議の1週間前に会見を開き、アメリカへの挑戦を表明した。前例のない挑戦、その葛藤の裏には、最愛の母・祐子さんとの絆があった。
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夢への決断
ドラフト会議を1週間後に控えた、10月15日。織田の決断が野球界に衝撃を与えた。
織田「アメリカの地で挑戦することを決めました。世界一になりたいという想いがあったので決めました」
会見で、高卒即メジャーという夢への挑戦を表明。ドラフト1位候補の高校生が日本のプロ野球を経由せず、メジャーリーグでプレーすれば初めてのケースとなる。2012年には、大谷翔平(32、ドジャース)が、織田と同様にメジャー挑戦を表明するも、日本ハムが強行指名。大谷は熟考の末、高卒即メジャー入りを断念した。
「どっちに行くか迷っている」。アメリカか、日本か。揺れる18歳が度々口にしたのは、母への思いだった。
支えてくれた母の存在
福岡県北九州市出身。織田の実家には所狭しと写真が並ぶ。姉と妹と3人きょうだいの織田は小学1年生から野球を始めた。太りにくい体質で体の線が細かった織田のため、母・祐子さんは織田の野球生活を献身的にサポート。寝る間を惜しんで正しく増量するための食事方法を研究し、バランスのとれた食事に加え、1日5食を食べられるよう間食用の弁当を2つ用意するなど、息子の体作りを支えた。母の手料理で一番好きなのは、唐揚げだという。
練習にも付き合ってくれた母。1日50球のトスバッティングをするなど、2人の特訓は午後9時過ぎまで続くこともあったという。織田は「(母が)休んでるところを見たことがあまりない。感謝しかないです」と話す。
中学3年間で身長は18cmも伸びた。3年生にして球速は143キロをマークするなど才能を伸ばし、15歳で親元を離れ全国屈指の名門・横浜高校への進学することを決めた。
織田「寂しさも不安もあったなか、でも自分の夢を追いかけるっていうのもそうですし。(その頃の夢は)アバウトですけどプロ野球選手、そこだけですかね」
高校で親元を離れることに、母・祐子さんは不安があったというが「相当な覚悟を持っていると思ったから、『いいんじゃない』」と背中を押した。
中学卒業時に、織田が母へと送った手紙がある。
「好きな野球をここまで続けさせてくれてありがとう」
「お母さんのおいしすぎてたまらないめしのおかげでこんなにも大きくなることができました」
「全国制覇して親孝行できれば!!と思います」
母に誓った思いを胸に、故郷をあとにした織田。母・祐子さんは息子の応援に北九州市から駆けつけた。
「結果を残してお母さんを笑顔に」。グローブには「親孝行」の文字を刺繍した。その誓い通り、2年春には全国制覇を達成し、3年夏には甲子園最速となる156キロをマーク。歴史に名を刻んだ織田の元には日米のスカウトが集結、争奪戦が繰り広げられることとなった。
この頃、織田は率直な思いを打ち明けていた。
織田「メジャーはよく見ている。大谷さんとかもいますし。ドジャースさんが一番好きというか、見てますね。野球界の中でトップレベルですし、世界で通用するような選手になりたい。(日本とメジャー)5:5で迷っている」
一方母は当時をこう振り返る。
「メジャーが頭にあるんだって思いました。そんな恐ろしい。海外にも行ったことがない子が・・・ひとりでメジャーなんて。それでもやろうって思うということはそれだけ本気なんだな。でも、そんな簡単に決められることじゃない」
「野球よりも家族」
ドラフト3週間前になっても、織田は決断できずにいた。
織田「お母さんのことばっかり考えてしまって。やっぱりこう女子3人なんで、支えるのはもう自分しかいないなっていうか。もう本当に自分が支えないとだめだなっていう思いがあって。もう野球よりも家族」
離婚してひとりになった母。寝る間を惜しんで働き、3人の子供たちを育ててきた。その母を1人で地元に残す。高校3年間、不安はつきなかった。
織田「絶対にきついですし、そっから家事もやって朝早く起きてという繰り返しなんで 、もう自分がやらないと逆に、さらに苦しくなっちゃうのかなとか、やっぱり何か楽をさせてあげたいっていうか」
記者「どんなお母さん ?」
織田「うん。好きです。大好きで、綺麗で、優しくて、愛情がたくさんあって、子ども思いで。礼儀が正しくて、教育が上手で、ご飯が美味しくて・・・」
記者「どんどん出てくるね」
織田「はい。一緒にいて楽しいですし、好きです」
記者「結構連絡は取り合う?」
織田「取ります。会ったら大好きとか言わないですよ(笑)」
母から息子へ
ドラフト会議が迫る中、母・祐子さんは、息子の本心を確かめるため横浜へ駆けつけた。
織田「進路、迷ってる。NPBかMLBか。やっぱり今までこうやってお世話になったから、残すって言い方あれやけど、心配かなってのはめっちゃあるかな」
母「日本に残すってこと?」
織田「俺がアメリカに行った場合、ひとりで日本に残るわけやん。やっぱ距離も遠いし」
母「ママの心配はいいよ。(自分が)どこでしたいか」
織田「寂しがるだろうなって。いや、 でも嬉しいよ。楽しいよ。だって普通そんな選択肢ないもん。それも産んでくれたおかげですよ。感謝です。決められないな・・・」
迷う息子に母がかけた言葉は。
母「ママの心配は、家の心配はもう本当にしなくていい。ママと彩希(姉)とみなみ(妹)と3人で。もし遠くに行ってもね。自分のしたいことを自分のしたいところで頑張ってくれたら。家族みんなで応援する」
織田「うん。 ありがとう」
3年前、夢を追うため親元を離れ進学したように、自分の信じた道へ進んでほしい。母の言葉が迷いを消した。
織田が姉に送った覚悟のメッセージがある。
織田「彩希と俺は絶対ママに負担かけんように金稼ぐ」
姉「プロなれよ」
織田「なるちゃ」
会見で織田は「アメリカの地で挑戦することに決めました。必ず恩返しできるように自信を持って、覚悟を持ってアメリカの地で挑戦していきたいなという風に思います」と決意を語った。
前代未聞の挑戦。
「世界で活躍できるような選手に絶対になりたいなっていう思いがすごくありますし、前例がないからこそ、不安よりも楽しみっていうか。野球で活躍して一番になってお母さんを支えたい、そういった覚悟が生まれたかなって思います」
「気持ちはぶれません」
ドラフト会議では、巨人が織田を1位で強行指名。指名を受け織田は「正直びっくりしております。非常に光栄な指名をいただきましたが、会見させていただきました通り、アメリカに挑戦する気持ちは全くぶれません」と改めて決意を語った。