「初枝として認めてもらえた…」名前“取り違え”から80年ぶりに遺族のもとへ 初の「DNA型鑑定」で身元判明 広島・原爆供養塔【戦後80年つなぐ、つながる】
80年前の原爆投下で亡くなった人たちの遺骨が納められている広島市の原爆供養塔です。そのうちの1人の遺骨の身元が、一緒に納められていた遺髪の「DNA型鑑定」で特定され、遺族の元に返されます。
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梶山初枝さんのおい 梶山修治さん
「『初枝』として認められた。立証できて本当によかった」
広島市の平和公園にある原爆供養塔。原爆で犠牲になった7万人の遺骨が納められています。
このうち、引き取り手が見つかった遺骨は遺族に返還されてきましたが、返還を希望する遺族は、年々、減少しています。現在、名前が分かっている遺骨は、812人分。今回、鑑定した鍛治山ミチ子さんもその1人でした。
先月、広島市の担当者が、横須賀市にある神奈川歯科大学へ向かいました。バッグに収めているのは原爆犠牲者の「遺髪」です。
広島市 原爆被害対策部 調査課 上本慎治 課長
「布にくるんであった、状態が良い」
神奈川歯科大学 歯科法医学 大平寛 准教授
「そうですね、見た感じ悪くない」
大平寛 准教授
「手でちぎれるかと思ったが、そんなこともなく、よい状態。80年たったと思えない」
きっかけは今年5月。遺骨は「ミチ子」さんではなく、13歳で亡くなった「梶山初枝」さんではないかと遺族が名乗り出たのです。「ミチ子」さんは初枝さんの妹の名前です。妹の名前が入った服を着ていたため、混乱の中で間違って記載されたのでは。
遺族は、身元を特定するため、DNA型鑑定を求めました。火葬された「遺骨」は鑑定が難しいとされていますが、今回は「遺骨」と一緒に「遺髪」が残っていたため、市は初めて実施を決めました。
広島市 原爆被害対策部 調査課 上本慎治 課長
「1人でも多くの身内に引き取ってもらえたら。遺族判明が私たちの願い」
神奈川歯科大学 歯科法医学 大平寛 准教授
「戦後80年だが、遺族はずっと思っている。毛髪が多数あることがきっかけ。ひょっとしたら、できる可能性」
そして、きょう。DNAの抽出に成功し、遺族のDNA型と照合。血縁関係が証明され、遺髪は、梶山初枝さんのものと発表されました。遺骨は、遺族が引き取るということです。
梶山初枝さんのおい 梶山修治さん
「80年は長いが、鑑定実現はうれしい。(遺骨が)1人でも多く遺族のもとに帰れるよう」
広島市は、遺骨の情報が書かれた台帳の総点検を始めました。遺髪がどれくらい残っているか確認作業も進めます。
今後も遺族からの要望があれば、遺髪での鑑定を実施する方針です。