【 中村雅俊 】 初映画監督作品 “ 出演者がほぼ亡くなり脚本が出来るか心配だった ”

俳優の中村雅俊さんが、映画初監督を務めた「五十年目の俺たちの旅」(1月9日(金)全国公開)映画公開&原作本出版記念トークショーイベントに原作・脚本を務めた鎌田敏夫さんと共に登壇しました。
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同作は1975年に放送が開始され、青春ドラマの一大ムーブメントを巻き起こした「俺たちの旅」が、50年の時を経た3人のその後が描かれています。
会場に集まったファンを前に中村さんは“50年前、撮影所に行くのが楽しくて、楽しいまま1年が経った作品が、その作品がまさか後々、「青春ドラマの金字塔」という言われ方をするとは露知らず50年経ってしまったが、あらためて気づいたのはこれほどまでに愛してくれる人が多いんだと気づいたことでした”と挨拶しました。つづけて“まさか50年後、映画になるとは、ましてや俺が映画監督をするなんて驚きの一言です”と語りました。
映画に至る経緯について中村さんは“ある日、鎌田さんに自由が丘のある飲み屋に呼ばれまして「雅俊、おまえ監督やれ!」って言われまして、私は「はい」と従うしかありませんでした”と苦笑いを浮かべながら明かしました。
それが、いまから2年ほど前の話でしたが、中村さんは“やるとなって、ふと頭をよぎったのは出演者の方が、かなり亡くなっている人が多いんですよ”と語り、“肝心な俺の恋人の洋子(山下洋子 演 - 金沢碧さん)も、もういないし、相棒のワカメ(浜田大造、通称ワカメ演 - 森川正太さん)も、お父さんもお母さんも、食堂の名古屋章さんも、ことごとくいない。こういう駒が少ない中で、どう鎌田さんが話を作るのか、逆に作れるのか?って心配していました”と、明かすと鎌田さんは“洋子さん、 金沢碧さんはまだ生きていらっしゃるんですけど連絡が付かないんですよ”と明かして言いました。
【担当:芸能情報ステーション】