日本史は証拠となる文献も数多く残されているのですが、実は言い伝えでしかないものも多いです。
あの有名な人物たちにも都市伝説のような話が多々あります。
そこで、ここでは日本史の都市伝説について簡単にご紹介します。ぜひ、歴史好きの方はチェックしてみましょう!
「卑弥呼=天照大神」説
日本史の都市伝説の中でも有名なのが、邪馬台国の卑弥呼こそ天照大神だったのではないかという説です。
卑弥呼は日巫女・日御子?
卑弥呼は実のところ中国の歴史書にしか記載が残っていないため、「ひみこ」という発音だったのかすら定かではありません。
しかし、「ひみこ」という呼称だと考えた場合、「日巫女」「日御子」と漢字を当てることができます。
これらの文字が日本の太陽神として知られている天照大神(あまてらすおおみかみ)と関係しているのではないかという説があるのです。
これは「日本書記」や「古事記」などの日本神話に記載のあるアマテラスオオミカミが卑弥呼の事を指しているのではないかとう仮説から生まれたのですが、近年その信ぴょう性は増しつつあるようです。
卑弥呼はほとんどの人が見かけたことすらなかったことなどから、その存在自体が神のように扱われていたのかもしれません。
皆既日食と天岩戸
研究によると、卑弥呼の死後247年と248年に2年連続で皆既日食が起こったそうです。
2年連続で皆既日食となる確率はほぼありえないものの、邪馬台国があったとされる九州で実際に確認された天体現象だったのだとか。
古事記や日本書記にあるアマテラスの伝説「天岩戸」に関しても、アマテラスが天岩戸に隠れてしまい、世の中が真っ暗になってしまいます。
この伝説と卑弥呼の死と皆既日食が内容的に合致するので、卑弥呼=アマテラス説というものがますます信ぴょう性が高くなってきています。
神話=歴史書?
「日本書記」や「古事記」に記載のある神々の物語については、事実とは関係のない話としてとらえられてきました。
しかしこの卑弥呼=天照大神として考えた場合、日本神話は一種の歴史書と考えることができます。
さらに初代天皇の神武天皇の誕生など、様々なことの辻褄が合うとされており、あながち卑弥呼=天照大神は全くのフィクションということでもなさそうです。
「聖徳太子=空想の人物」説
様々な逸話が残る聖徳太子ですが、実は空想の人物なのではないかという説があります。
聖徳太子が空想の人物だと言われていることについてご紹介します。
伝説が人間離れ
聖徳太子は数々の伝説を持っているのですが、そのどれもが人間離れしています。
こちらは教科書などでも習う有名な伝説なのですが、どれもいま思うと不都合な点が多いですよね!
・生まれてすぐ言葉を話した
・子供でありながら知見は高僧の域だった
・14歳で武将として戦に参加して勝利に導いた
・10人の声を同時に聞き分けることができた
・平安京誕生や黒船来航や明治維新を予言していた
これは普通の人間ではまずありえないことばかりです。そもそも伝承によるものが多く、本当に聖徳太子がそのような人間離れした技を持っていたのかというのは誰もわかりません。
キリスト伝説と酷似?
馬小屋で生まれたなどイエス・キリストとの共通点が多いのも、聖徳太子は空想の人物だったのではないか?といわれている理由です。
聖徳太子という名前も、実は聖徳太子の死後に付けられた名前で、聖の字はイエス・キリストを連想させますね。
日本では原始キリスト教の流れを汲んだ景教が古くから浸透していたこともあり、それによって生まれた逸話だとする説が有力です。
イエス・キリストの逸話に倣って、作りあげられた偶像だったのではないかともいわれています。
「源義経=チンギス・ハン」説
平泉で亡くなったとされる源義経ですが、実は生き延びて蝦夷へ渡り、そこから海を渡ってモンゴル帝国を築いたというトンデモ話が日本史の都市伝説として語られています。これも信憑性は低いですが、一部では有名な話です。
紋章が同じ
源義経もチンギス・ハンも笹竜胆の紋章だったことなどから、同一人物だったのではないかという話があります。
ただ、紋章が同じだっただけでは、同一人物と断定することはできません。
時系列が同じ
源義経とチンギス・ハンが生きていた時代が合致するのも、同一人物だといわれている理由となっています。
源義経が死んだとされるのが1189年で、チンギス・ハンが皇帝に即位するのが1206年。歴史上、活躍しだしたのが1190年代であることから整合性はあります。
半生が不明だったチンギス・ハンとの間に矛盾がないことから、源義経こそがその正体だったという可能性も0%ではありません。
もちろん、トンデモ話の域は出ませんけどね!
出身地が似ている
ニロン族出身と言われるチンギス・ハンですが、このニロンとは日本が訛ったものだといわれています。
そもそも文献があまり残っていなくて謎が多いので、これに関しては信憑性があまりにも低いです。
戦術が似ている
ある意見によると軍事的な戦術が似ていたことなどからも、同一人物だと考えている人がいるようです。
ただ、当時は重火器などの兵器もなかったため、戦術が似通ってくるのは十分にあり得ることです。
有名なのに記録が曖昧
どちらの人物も歴史に名を遺す有名な人物ですが、その割には記録が曖昧で不明な部分が多いとされています。
チンギス・ハンの幼少期などの記録は少なく、前半生は年代も定かではない記録が多いこともこの説に拍車をかけています。
「上杉謙信=女性」説
かの軍神と呼ばれた上杉謙信は、実は女性だったのではないか!?という説もまた日本史の都市伝説では有名ですよね。
実際にその証拠となりうる情報も伝承として残っているのだとか。
生涯独身
自身の血を残すことが重要な時代だったにも関わらず、実は上杉謙信は生涯独身だったといわれています。
そもそも上杉謙信は異性と肉体関係を生涯持たないことを誓っていたそうです。配偶者すらも持たないと決めていたとの伝承もあります。
これは上杉謙信が結婚したくてもできない理由があったのではないかと考えられますよね。そこから、上杉謙信は女性だったという説が生まれたようです。
様々な歴史書
様々な歴史書で女性と思えるような記述が多いのも、上杉謙信が女性だったという説に拍車をかけています。
ゴンザレス報告書
スペインのゴンザレスという人物が国王フェリペ2世に送った『ゴンザレス報告書』によると、上杉謙信について「上杉景勝は叔母が佐渡を開発した際に得た黄金を持っている」と記録されています。
上杉景勝は謙信の姉の子で、謙信には他に姉妹がいなかったため、この叔母というのが上杉謙信のことだったのではないかという説があるそうです。
ただ、叔母というだけで誰かは明記されていないため、確証はありません。
当代記
家康の外孫・松平忠明による「当代記」によると上杉謙信の死因は大虫だったとされています。
実はこの大虫は、婦人病の一種だそうです。
もし上杉謙信が男性だったならなるはずもなく・・・これが本当なら、女性という説は有力なのかもしれませんね!
「明智光秀=天海」説
多くの作品でもいわれてきたのが、戦国武将の明智光秀が天海という僧侶だったという説です。
これに関しては不明なものも多いものの、様々な関わりがあったことがわかっています。
天海の前半生が不明
天海は高名な僧で、特に徳川家と深くかかわっており、徳川家康や秀忠の参謀として歴史上非常に重要な人物でした。しかし、前半生はあまり明らかになっていません。
優秀な僧にも関わらず、語り継がれる歴史が少ないというのは、明らかに不自然ですよね。
そのため、元々は別のことをしていた人物が天海と名乗って僧として活動を始めたのではないかと考えられているそうです。
様々な関係
明智光秀と天海が同一人物だと思わせる関係は多々あります。
もし天海が明智光秀であるなら納得がいく・・・というような事柄を挙げてみましょう。
明智平
栃木県日光市に「明智平(あけちだいら)」という地名が存在します。この地名に関しては天海が名付けたという伝承があります。
徳川家とゆかりの深い日光に明智の名が刻まれることは少し不自然に感じますが、天海が光秀だと考えた場合は納得ですね。
徳川家の乳母
徳川家光とその子である家綱の乳母には、それぞれ光秀の重臣であった人物の子と孫が採用されているそうです。
家光の乳母に関しては、公募という形で決定されたといいます。その際に採用されたのは、明智光秀の重臣であり親戚関係でもあった斎藤利三の娘のお福でした。
家光の母のお江は、信長の妹であるお市の娘です。
通常であれば、自身の伯父を殺した明智光秀の重臣の娘を、我が子の乳母に起用することは不自然です。ちなみにこのお福は、後に大奥を作ったとされる春日局です。
天海の墓の場所
天海のお墓は、明智光秀の居城があった近江坂本にあります。
天海の前半生についてはっきりしていませんが、生まれは会津であるといわれています。しかし、墓所は日光と近江坂本にあります。
徳川家の側近であったことから、日光に墓があることには納得ですが、明智光秀ゆかりの地、近江坂本にも墓所があるのです。
これも天海=明智光秀であれば納得がいきますね。
他にもいろいろ
明智光秀も天海も、地蔵菩薩を信奉していたことや、徳川の時代に光秀に近かった家のものが不自然に優遇されていたりと、様々な点が天海=光秀の証拠であるといわれています。
まとめ
いかがでしたか?日本の歴史の中でも、都市伝説の域を超えない噂話は多々あります。中には噂話が誇張表現されて広まってしまったということも多いですね。
ただ、簡単に都市伝説だとして片付けるにはあまりにも不思議な一致が多いものも存在しています。
学校で教えてもらう歴史以外にも、このような都市伝説的な歴史を調べてみると意外と楽しいものですよ!