飽き性で何事も続かないことを「三日坊主」と言います。
物事に飽きっぽく何をしても続かない人を揶揄した表現です。
しかし、この言葉はどのような人に対して使用するのでしょうか?
そこで今回は「三日坊主」という言葉について詳しく解説します。
併せてどのような人を指すのかについても説明するので、ぜひ参考にしていただけますと幸いです。
「三日坊主」とは
まずは「三日坊主」の意味について見ていきましょう。
「三日坊主」の意味
「三日坊主」とは飽きっぽくて何をしても長続きしないことを言います。
物事に飽きやすくなかなか続けられない人を嘲って言う言葉です。
この言葉は周囲の人が特定の人を馬鹿にして言うことが多い表現となります。
その場合は「君は何事も三日坊主だからな」のように使用します。
ただ、自分の気質について「私は三日坊主だから……」と戒めの気持ちを込めて使用することもあるので注意が必要です。
「三日坊主」と呼ばれるのはこんな人
「三日坊主」は新しいことを始めてもすぐやめてしまう人を揶揄した表現となります。
実際に一念発起してもすぐに諦めてしまう人は一定数います。
まったく辛抱できずに投げ出してしまうような人もいるでしょう。
ダイエットを投げ出したり、トレーニングを投げ出したり……。
そういったすぐに投げ出す人を「三日坊主」と呼びます。
昨今は単に飽き性な人の例えとしても使用されます。
とにもかくにも物事が長続きしない人を「三日坊主」と呼ぶと覚えておきましょう。
ちなみに「三日坊主」にはポジティブな意味は含まれません。
むしろネガティブな意味しかないので使用の際は注意しておきたいです。
その一方、どこか憎めないユーモアも含まれるので親しい間柄では冗談として使用されることも度々あります。
そこは使い分けが必要となるかもしれません。
「三日坊主」の由来
では「三日坊主」はどこから来た言葉なのでしょうか?
ここからは「三日坊主」の成り立ちについてまとめます。
由来は辛い修行に耐えきれなかった人
「三日坊主」という言葉は辛い修行に耐えられなかった修行僧にちなみます。
修行僧は仏の道に入ると険しく厳しい修行が待っています。
修行の内容は流派によって異なりますが、どれも決して楽ではないのは間違いありません。
当然、その修行にみんながみんな耐えられるわけもありません。
中には修行から逃げ出してしまう修行僧もいるくらいです。
そのことを仏教の世界では「還俗」と表現します。
「還俗」は一度出家した者が再び俗人に戻ることです。
そこから仏道の修行に耐えられずすぐに還俗してしまうような僧侶を揶揄して「三日坊主」と呼ぶようになったとされています。
「三日」であることに理由はある?
「三日坊主」は「三日」という日時が含まれています。
しかし、実際に日付が限定されているわけではありません。
ここで言う「三日」は「短い期間」であることを意味します。
そのため、実際には「六日」だろうが「九日」だろうが関係ありません。
すぐにやめてしまうことの表現として「三日」が使用されていると覚えておきましょう。
「三日坊主」の類義語
最後に「三日坊主」の類義語についても見てみましょう。
一暴十寒
「一暴十寒」は短期間頑張っても長期間怠れば物事は成功しないことの例えです。
少しだけ努力して後は怠けてしまうことを例えた四字熟語です。
特にこの言葉はたまに努力してたまに怠けるくらい気が変わりやすいことを指す表現となります。
その点が「三日坊主」と似ているのではないでしょうか。
なお「一暴十寒」は「孟子-告子上」にある「一日之を暴めて十日之を寒さば、未だ能く生ずる者有らざるなり」から来たとか。
事実、この言葉は努力しても怠ることが多くては無駄になることを意味します。
ただし「一暴十寒」にはあるところで努力してあるところでそれを打ち破るということも意味します。
その点には注意が必要となるでしょう。
三月庭訓
「三月庭訓」は主に勉学などが長続きしないことの例えです。
1月~12月まである「往復手紙文集-庭訓往来」の勉強を始めても大抵は3月頃でやめてしまうことから来ている四字熟語です。
転じて、努力が続かない人の例えとされるようになったとか。
そういった点が「三日坊主」ととても似ているかもしれません。
まとめ
「三日坊主」は何事もすぐにやめてしまうことを言います。
一念発起したのにすぐ諦めるような人を揶揄する言葉です。
そのため、あまり良い意味は含まれていません。
むしろ、嘲笑のような悪い意味が含まれます。
そこは使用の際に注意が必要となるでしょう。