「事件の実行責任者は常務2人です」 突然の会社側「自白会見」と、内部告発をした大手証券元社員逮捕のナゾー平成事件史 戦後最大の総会屋事件(4)

TBS NEWS DIG Powered by JNN
2024-06-29 05:08
「事件の実行責任者は常務2人です」 突然の会社側「自白会見」と、内部告発をした大手証券元社員逮捕のナゾー平成事件史 戦後最大の総会屋事件(4)

かつて「総会屋」という裏社会の人々がいた。企業の弱みにつけ込み、株主総会に乗り込んで経営陣を震え上がらせる。毎年、株主総会の直前になると「質問状」を送りつけて、裏側でカネを要求した。

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昭和から平成にかけて、たったひとりの「総会屋」が、「第一勧業銀行」から総額「460億円」という巨額のカネを引き出し、それを元手に4大証券の株式を大量に購入。大株主となって「野村証券」や「第一勧銀」の歴代トップらを支配していった戦後最大の総会屋事件を振り返る。のちに捜査は政治家への利益供与、そして大蔵省接待汚職事件に発展したーーー

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「SEC」証券取引等監視委員会が「野村証券」への調査を進める中、東京地検特捜部の人事に動きがあった。
1996年12月3日、のちにプロ野球コミッショナーとなる「特捜の申し子」熊﨑勝彦(24期)が特捜部長に就任する。被疑者と信頼関係を構築して「自供」を引き出す優れた手腕から「落としの熊さん」「割り屋」の異名をとっていた。その頃、特捜部は「ナニワのタニマチ」と言われた石油ブローカーによる政治家や官僚へのヤミ献金疑惑を捜査していたが、熊﨑は「野村証券」に大きく舵を切った。

「落としの熊さん」が特捜部長に

熊﨑勝彦が頭角を現したのは「リクルート事件」で労働省、政界ルートのキャップを務め、特捜「四天王」と呼ばれた頃からだ。公明党議員の池田克也の取り調べを担当した。「共和リゾート汚職事件」では阿部文男元北海道沖縄開発庁長官を入院先の病院で逮捕して取り調べ、「泥棒してでも金が欲しかった」という核心の自白を引き出した。特捜部副部長当時の1993年には主任検事として、金丸信元自民党副総裁を取り調べ、巨額の私的蓄財による脱税を認めさせた。これが「ゼネコン汚職」に発展、1994年に中村喜四郎元建設大臣を「あっせん収賄」で起訴するなど実績を残していた。
熊﨑は特捜部副部長からそのまま特捜部長に上がるとも見られたが、いったん法務総合研究所第二部長、東京地検交通部長を経て、3年ぶりに東京地検特捜部長としてカムバックした。熊﨑は着任早々、特捜部の捜査体制について、担当副部長の笠間治雄(26期)にこう言った。

「事件を3つも並行してやっていて大丈夫か、もっと絞ったほうがいいんじゃないか」

熊﨑の前任の特捜部長は同じ明治大学出身の上田廣一(21期)だった。「税法の上田」と呼ばれていた上田は3つの事件を併行して捜査していた。
大手漢方薬メーカー「ツムラ」の前社長をめぐる70億円の特別背任事件、住友商事の銅取引巨額損失事件、「政官界のタニマチ」と呼ばれた石油ブローカー、泉井純一代表による「泉井石油商会事件」だった。泉井から政治家らへの接待や献金は20億円に上ると言われた。いずれも摘発価値のある経済事件だが、投入できる検事の数も限られている。熊﨑は「欲張りすぎて、どれも中途半端な捜査にならないか」と危惧したのであった。

そこで特捜部は、3つのうち内尾武博(30期)が主任検事を務める「泉井石油商会事件」に絞り込んで、年明けに着手した。関西国際空港社長で元運輸事務次官の服部経治を、清掃業務事業に絡み泉井純一からワイロを受け取った収賄容疑で逮捕した。
泉井は脱税と贈賄で懲役2年の実刑判決を受けた。保釈されたあと、記者会見で国会議員「山崎拓との関係」を暴露したが、特捜部は証拠が弱いとして、すでに立件は断念していた。「事件はテイクオフよりもランディングが難しい」と話していた熊﨑は、関西空港汚職の摘発で泉井事件を着地させ、次を見据えてこう言った。

「次の勝負はとにかく野村証券、総会屋への利益供与をやる」

それまで「総会屋」など裏社会が絡む利益供与事件は、たとえば警視庁が「キリンビール」や「高島屋」「イトーヨーカ堂」を摘発したように、警察が得意とする分野だった。ただ今回は、「SEC」が端緒をつかむなど、検察にとってやるべき価値があった。
熊﨑は「証券業界は自民党の大スポンサーのうちの一つ。株取引で政治家の選挙資金も稼いでくれる。しかも業界トップと政界は深い関係がある」と位置付け、それまで「泉井石油商会事件」の捜査を担当していた渡辺恵一(30期)にこう指示した。

「恵ちゃん、野村証券の資料を内々に集めておいてくれないか」

前述の通り、一方で「SEC」証券取引等監視委員会は前年1996年夏以降の調査で「野村証券から総会屋・小池隆一に対する利益供与」の全容をつかんでいたため、渡辺は熊﨑の指示を受け、「SEC」に野村証券の資料を提供してもらうなど、水面下で準備を進めた。渡辺は熊﨑が特捜部副部長時代の1994年、ゼネコン汚職事件で国会議員では26年ぶりとなる「あっせん収賄罪」を中村喜四郎元建設大臣に適用した経験もあり、主任検事の井内や内尾とも同期だった。

 突然の「自白会見」

年が明け、1997年に入っても「SEC」による野村証券関係者への「質問調査」は膠着状態が続いていた。それでも「SEC」の特別調査官らが黙々と、粘り強く調査を積み重ねるなか、1997年3月6日、野村証券は突如として、緊急記者会見を「兜クラブ」で開くことを発表した。「兜クラブ」は、社会部ではなく経済部が常駐しているため、経済部記者が会見をカバーした。

筆者は社会部で会場からのライブ映像を注視した。よく見ると、なぜか記者会見に、野村証券の酒巻英雄社長の姿が見あたらなかった。代わりにいたのは副社長だった。
張り詰めた緊張感のなか、副社長はいきなり、社内調査の結果として、一転して総会屋・小池隆一の実弟の口座に「利益提供」していたことをあっさり認めたのだ。

「一任勘定と呼ばれる違法な取引がありました。総会屋の親族企業の口座を特別に儲けさせるよう、利益を付け替える手口で1993年春から3年間、利益を提供していました」

「実行責任者は総務担当常務と株式担当常務の2人です」

当然のことながら、記者からは副社長に厳しい質問が浴びせられた。
「第一次証券スキャンダルへの反省はないのか」「会社ぐるみではないのか」

突然の「自白会見」に筆者も驚いた。野村証券はそれまで「SEC」の調査に抵抗し、一貫して疑惑を強く否定していたからだ。

検察幹部はこう受け止めた。

「SEC特別調査官らの粘り強い調査で利益提供の手口を解き明かしたことが、野村証券の対応の変化に、影響を与えたことは明らか。捜査の手が迫っていることを察知し、先手を打ったんだと思う」

ただし、野村証券はあくまで常務らの「個人による犯行」であって「会社ぐるみではない」と説明した。しかも、社長が「出張中」という不在のタイミングに、筆者は社長腹心の常務2人を差し出したかのような印象を受けた。もちろん、「SEC」や特捜部の捜査を牽制するような効果はなかった。

逆に、特捜部はこの野村証券の会見以降、捜査のピッチを早めた。「SEC」に対し、さらに詳細な資料を求めるとともに、頻繁に打ち合わせを重ね、「強制捜査着手」のタイミングを探っていくのであった。

 内部告発者の野村元社員逮捕

そんな中、事態が急展開する。
「東京地検特捜部」に内部告発していた野村証券元社員が、あろうことか、同社が会見した翌日、3月7日、神奈川県警に逮捕されてしまう。
友人から運用のために受け取った現金200万円などを騙し取った詐欺の疑いだった。あまりのタイミング、予兆のない不意打ちだった。口封じのためなのか、身の危険を守るために拘束されたのかなど、さまざまな憶測が飛び交った。

元社員は詐欺の罪に問われ、二審で執行猶予付きの有罪判決が確定したが、公判では一貫して「無罪」を主張した。

元社員は神奈川県警港南警察署で勾留期限満期までの23日間を過ごした後、身柄を横浜拘置支所に移されると、本丸の野村証券について、事情を聞かれた。

司法記者クラブの西川永哲記者(TBS)は、その前年1996年夏頃から元社員に接触し、水面下で情報交換しながら、人間関係を築いてきた。その結果、元社員への独自インタビューに成功する。

元社員は「他局からの依頼には一切、応じていない」と西川に約束はしていたが、油断はできない。西川は元社員と緊密に連絡を取り合う一方で、捜査の進捗を見極めながら、他局に先駆けて放送するタイミングを探っていた。
そんな中、元社員のまさかの逮捕に、西川は動揺するが、勾留されていた横浜拘置支所を何度も訪ねて面会を繰り返し、頻繁に手紙でやりとりを続けるなど信頼関係を維持した。

「聞いた瞬間、別件逮捕かと思った。野村証券事件は結果的に総会屋の小池隆一から4大証券、第一勧銀、大蔵接待汚職に波及していくが、当初は同社の「VIP口座リスト」について事情を知るとされた元社員がキーマンだった。本人は逮捕されたが、前年夏に収録したインタビューは、なんとか放送にこぎつけた。ところが、放送した後に野村証券の広報の人と話をしていたところ、『西川さん夏服でしたね』と意外なことを言われた。つまり、インタビュー時の服装から私が半年以上も前から元社員と連絡を取り合っていたことを知り、相当驚いたようだ」(西川)

元社員の取り調べの担当検事は、元社員が1996年8月に東京地検特捜部に情報を持ち込んだときに、対応してくれた内尾武博(30期)だった。約半年ぶりの再会だった。半年前、内尾は「泉井石油商会事件」の主任検事で多忙を極めていたが、元社員には丁寧に対応していた。

内尾は、かつて「リクルート事件」のNTTルートで、主任検事の佐渡賢一(23期)(のちに証券取引等監視委員会委員長)から指示され、同社の社長室から押収した段ボール箱から、重要な物証を見つけた。それはリクルート社の江副浩正会長が幹部会議で使った発言草稿だった。その内容はNTTの真藤恒会長らへの贈賄工作を示すもので、事件の突破口となった。それ以来「ブツ読みの内尾」と呼ばれていた。

「泉井石油商会事件」が一段落したことから1997年3月27日、内尾はそれまで4年間務めた東京地検特捜部から横浜地検特別刑事部の主任検事として赴任した。
着任してまもなく、特捜部の主任検事の井内顕策(30期)から、「野村の元社員からVIP口座について話を聞いてくれないか」と依頼される。

井内と内尾はともに司法修習30期、気心の知れた間柄だった。内尾と入れ替わるように井内は4月1日付で特捜部に戻っていた。

「VIP口座」について内尾には思いあたるフシがあった。リクルート事件の直前に、野村証券と大和証券のOBが「特別口座」、いわゆる「VIP口座」で特別に優遇すると客を誘い、実際には優遇していなかったという詐欺事件を立件したことがあったからだ。

井内と内尾は頻繁に連絡を取り合った。特捜部は野村証券が「総会屋」など反社会勢力のみならず、政治家や官僚に対しても不正な利益供与をしてないか、強い関心を持っていた。もし「国会議員」や「キャリア官僚」の職務権限に関する利益供与があれば、大掛かりな贈収賄事件が潜んでいるかも知れない。

しかし、結果的に、野村証券の「VIP口座リスト」には、政治家や官僚、暴力団などの顧客の名前はあったが、いずれも事件につながるような利益供与の形跡は見つからなかった。いい筋だと思っても、すでに時効にかかっているケースが多かったのだ。

主任検事だった井内顕策はこう振り返る。

「それなりの野村証券の顧客なので、VIP口座というふうになっていたが、実際にどこまで特別優遇しているかどうかは、はっきりしなかった。メディアの報道も含めてVIP口座という名前だけが一人歩きすることになった」

内尾は野村元社員に、不正に関与した役員や幹部社員ら当事者の「相関図」をチャートにして提出させ、事情聴取を終えた。友人に対する詐欺の罪に問われていた元社員の勾留期間は、最終的に400日以上という長期に及んだ。

元社員が逮捕されたことから、関係者からは元社員の告発内容の信憑性を疑う声もあったが、特捜部の捜査の進展とともに、告発内容が極めて正しかったことが徐々に裏付けられていった。

(つづく)

TBSテレビ情報制作局兼報道局
「THE TIME,」プロデューサー
 岩花 光

◼参考文献
村山 治「市場検察」文藝春秋、2008年
読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」新潮社、 2000年
司法大観「法務省の部」法曹会、1996年

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