「南海トラフ地震臨時情報」に突きつけられたイエローカード

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2024-10-26 06:05
「南海トラフ地震臨時情報」に突きつけられたイエローカード

批判、疑問視、見直し提言…研究者たちが学会で「臨時情報」の問題点を指摘

近い将来の発生が懸念され、最悪の場合、東日本大震災を一桁上回る規模の甚大な被害が想定される南海トラフ巨大地震。2024年8月8日に想定震源域内の日向灘でマグニチュード7.1の地震が発生したことをきっかけに、気象庁から「南海トラフ地震臨時情報(調査中)」と「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が、いずれも初めて発表された。

【写真をみる】地震学の権威が痛烈な“ダメ出し”も・・・

国が「大規模地震の発生可能性が平常時よりも相対的に高まっている」として「日頃からの地震の備えの再確認」を呼びかけた一連の過程で、戸惑いや疑念、不安を覚えた人々が一定数いた。一方、地震や防災の専門家たちは、ほぼ定められた手順どおりに発表されたとはいえ、初の「南海トラフ地震臨時情報」(以下、「臨時情報」)をどう受け止めたのか。

10月21日~23日に新潟市で開催された日本地震学会の2024年度秋季大会で、複数の研究者が「臨時情報」や発表のしくみなどについて批判し、疑問を投げかけ、見直しを求めた。それらの内容について報告する。

地震学の権威が痛烈な“ダメ出し”「科学的根拠と制度設計に問題あり」

石橋克彦・神戸大学名誉教授
「あえて批判的な考えを述べさせていただきます。まず、今回の臨時情報は科学的根拠が乏しく確度が低いと思います」

発表の冒頭、「臨時情報」をそうバッサリ切り捨てたのは、地震学の権威として知られる神戸大学名誉教授の石橋克彦氏だ。石橋氏は10月22日、「2024年8月8日に発表された南海トラフ地震臨時情報の問題点」と題した発表を行い、おもに科学的根拠と制度設計の2つの面から「臨時情報」を批判した。このうち科学的根拠が乏しいとする理由について、以下の4つの観点を挙げた。

科学的根拠に乏しい4つの理由

1)「臨時情報」が発表されるきっかけとなった、8月8日午後4時42分に発生した日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震は南海トラフ地震の想定震源域の中で最も南西の縁に当たる部分で起きたが、地震や地学のデータから総合的に考えて、そもそも想定震源域が南西方向に広すぎる可能性がある。

2)日向灘ではマグニチュード7級の地震が約30年間隔で繰り返し発生している。対照的に南海トラフのプレート境界の地震活動は普段は非常に静穏で、日向灘の地震と南海トラフ地震とでは地震の起きるパターンが異なるのではないか。少なくとも17世紀以降、日向灘を震源とする地震が南海トラフ地震に先行して発生した事実は確認されていない。

3)「臨時情報(巨大地震注意)」で巨大地震発生の可能性が平常時と比較して高まったとする根拠に、南海トラフ地震の特性を考慮せず、世界で発生した地震の統計データ(1,437分の6の発生確率)をそのまま機械的に当てはめているのは意味がない。

4)最初の地震が想定震源域内のどこで起きたかは大事なポイントだが、日向灘で8月8日に発生した地震が、想定震源域にどのような影響を与える可能性があるのかについての解釈や説明がされていない。

大震法の“亡霊”に引きずられた制度設計

石橋氏はまた、制度設計にも不備があったために一部で過剰と思える反応を引き起こしたと指摘した。

石橋克彦・神戸大学名誉教授
「(「臨時情報」のしくみは)どうも大震法、大規模地震対策特別措置法の発想を引きずっている感があります」

大震法は、東海地震を念頭に地震の予知が可能との前提で1978年6月に成立した法律で、気象庁が東海地震の発生を予知した場合に内閣総理大臣が警戒宣言を発令し特別な防災対応をとることなどが定められている。そして、この大震法が制定されるきっかけとなったのが、1976年に石橋氏(当時は東京大学理学部助手)が唱えた「駿河湾地震説」(後の「東海地震説」)だった。その後、「予知は可能」を前提とする防災対応が長く続いたが、東日本大震災を機に見直す気運が高まり、政府は2017年、防災対応の前提を「予知は不可能」へと180度転換し、警戒宣言も事実上廃止された。

ところが、石橋氏は言う。「大震法の“亡霊”がある」と。

石橋克彦・神戸大学名誉教授
「臨時情報体制はある種の短期的な地震発生予測みたいなものが可能だという前提で、臨時情報が発表されて内閣府の呼びかけで国民が一斉に防災行動を起こす。つまり何かのトリガーというかスイッチが入ると防災対応が始まるという、その大きな図式は(大震法を)踏襲しているわけです」

大震法の否定から始まったはずの新たな防災対応が、皮肉にも大震法をもとにした防災対応とよく似た構造になっているというのだ。大震法の発想に今なお影響されている現状について、石橋氏は「地震発生の予測が可能だ」との誤解が社会に広がるおそれがあるとの懸念を示し、南海トラフ巨大地震は「不意打ちで起きる可能性の方が高い」と強調する。だからこそ、地震は突然発生するとの前提で「社会を地震に対して強くすることが根本的に大事だ」とも。

「臨時情報」の見直しは不可欠

石橋克彦・神戸大学名誉教授
「(臨時情報の)科学的根拠と制度設計、これは車の両輪で非常に大事なものだけれども、今回は残念ながら両方ともに問題があったということです」

初の「南海トラフ地震臨時情報」の発表に痛烈な“ダメ出し”をした石橋氏。今後に向けては、はじめに想定震源域の見直しを行った上で、大震法の廃止とともに「臨時情報」の再検討が必要だとの考えを示した。

余談だが、実は石橋氏は、地震研究者としては南海トラフ地震評価検討会会長の平田直氏(東京大学名誉教授)の先輩にあたる。平田氏によれば、東京大学理学部4年生のときに地震観測の手法を、当時助手だった石橋氏から教わったという。
奇しくも22日の石橋氏の発表前には平田氏も同じセッションで招待講演を行っていた。もし質疑応答や討論の時間が十分にあれば、“師弟対決”が実現したかもしれない。

“3人目”の説明者がいない記者会見、誰が防災対応の情報発信を担うのか

松本大学総合経営学部教授の入江さやか氏は、かつて読売新聞とNHKに在籍し災害報道に携わった立場から、「臨時情報(巨大地震注意)」が発表された際、防災対応に関する情報やメッセージ等を政府のどこが、誰が担うのかが不明瞭だった点を問題視した。

「臨時情報(巨大地震注意)」が8日午後7時15分に発表された後、気象庁が午後7時45分に行った記者会見には、地震火山部地震火山技術・調査課の束田進也課長と南海トラフ地震検討会会長の平田直氏の2人が説明者として出席した。役割分担としては、束田課長が地震活動の観測や監視を行う気象庁の立場から技術的な解説を、平田氏が地震の専門家の立場から「臨時情報(巨大地震注意)」と評価した科学的根拠や理由、評価検討会での議論の内容等について説明を行うことになっていた。2人の出席者を見て、入江氏はとても驚いたという。

入江さやか・松本大学総合経営学部教授
「本来であれば、防災行政の担い手、例えば内閣府防災の職員がいるべきだ、いるはずだと思っていました」

“その質問”に地震学者が答える理不尽

実は「日頃からの地震への備えの再確認」などという防災対応の呼びかけは、気象庁の所管ではなく内閣府防災が行う手筈になっている。ところが、会見に内閣府防災の職員の姿はなく、入江氏の抱いた違和感はその後の質疑応答で表面化する。

お盆休みの時期を目前に控えていたことから、記者から「帰省は控えたほうがいいのか」との質問が出た。仕方なく平田氏が「個人的な考え」と前置きした上で、津波警報が発表された場合にどこへどういうルートで避難するかなどを事前にきちんと確認していれば「夏休みで海水浴をしていただいても特に問題はないと思う」と発言した。こうしたやり取りが行われたことについて、入江氏は「平田会長が科学者であるにもかかわらず防災対応についての質問に答えざるを得ない状況になったことは非常に大きな問題だ」と指摘する。

入江さやか・松本大学総合経営学部教授
「なし崩し的に地震学者が防災対応の結果責任まで負わされることに対して非常に大きな懸念を抱いています。不確実性をはらむ科学的な評価を防災対応に実装するのであれば、評価の先にある情報発信と結果責任は行政が負うことを明確にすべきではないでしょうか」

実態は気象庁に“丸投げ”?

入江氏はまた、気象庁の会見に先立って午後7時半過ぎに総理官邸で行われた記者会見で、林芳正官房長官の発言が「この後、気象庁から詳細の発表がある。詳しくはそちらで聞いてほしい」の一点張りで、国民に具体的にどのような防災対応を望むのか等の呼びかけが一切無かった点を挙げ、「テレビを見ていて、言葉は悪いが(気象庁に)丸投げするのか」との印象を持ったという。

こうした総理官邸の対応からして、入江氏は「臨時情報(巨大地震注意)」について政府と記者との間で内容のある質疑応答ができる場は実質的に気象庁の記者会見しかなかったはずなのに、政府は国民に対し防災対応の呼びかけを行う唯一の機会を逃したとも指摘した。

入江さやか・松本大学総合経営学部教授
「次に臨時情報が出たとき、『海水浴に行って良いですか?』という問いに会見で誰が答えるのか。責任の所在が曖昧なのは、学者にとっても国民にとっても大変不幸なことだと思います」

同様の指摘は他の防災研究者やメディア等からも複数出ていて、政府は「臨時情報」の評価結果について説明する気象庁の会見に、今後は内閣府防災の参事官級を出席させる方向で調整を進めている。

飲料水など物品の購入は進んだが…本質的な防災行動には繋がらず

「臨時情報」が発表され、特別な注意の呼びかけも終了した後の2024年8月下旬、関西大学社会安全学部教授の林能成氏らは8都府県の計3200人を対象にアンケート調査を実施した。2023年7月の調査結果と比較するため、可能な限り同じ条件で調査を行ったという。

どのような防災対策を実施しているか尋ねたところ、「飲料水を準備している」が53.8%→64.7%、「非常用のトイレを準備している」が24.8%→32.8%になるなど、物品の購入によって短期間に完結できる対策は実施率が10ポイント程度上昇していた。

一方、将来転居する際に「耐震性能を重視する」「津波浸水域を避ける」等、地震や津波への本質的な備えを促進する効果は大きくなかった。また、臨時情報が示す大規模地震の発生確率がたとえ低くても「何もしない」人は一年前と比較して減少した一方、その受け皿となったのはもっぱら「非常持ち出し品の確認」で、推奨される上位の行動(家具の固定の確認等)には結びついていないことがわかったという。

「(巨大地震注意)」→「(地震準備強化)」への見直しを提言

林氏は「日頃からの地震への備えの再確認というが、備えの具体的な中身が伝わっておらず、情報を出す側の願いが届いていない」と述べ、「日頃からの…」という表現を変更すべきだと指摘する。さらに「臨時情報(巨大地震注意)」についても情報名の変更か廃止が望ましいとして、次のように提言する。

林能成・関西大学社会安全学部教授
「臨時情報が期待しているのは地震の備えの促進のはずなのに、あたかも科学的に地震の予知がなされたかのような誤った印象だけを情報の受け手に与えてしまっています。目的をわかりやすくストレートに表現するため、『臨時情報(巨大地震注意)』を『臨時情報(地震準備強化)』に変えてみてはどうでしょうか」

次の「臨時情報」発表は人々に“刺さる”のか

科学的根拠の乏しさと制度設計の不備、防災対応を呼びかける主体の不在、推奨される上位の行動変容に結びついていない実態…複数の地震・防災研究者が「臨時情報」が抱える数々の問題点を指摘した。いずれも揚げ足取りの批判ではなく、当を得た指摘だと思う。

「臨時情報」の発表によって、経済的な不利益を被った人たちがいる。松村祥史防災担当大臣(当時)は8月27日の会見で「臨時情報はあくまで自然災害のリスクが高まったことを知らせるもので、補償が必要とは考えていない」と述べたが、そうした状況になった人たちを単に「不運」で済ませてしまって良いのか。自己責任論で片付けてしまって良いのか。国を挙げてこれだけ大仰な情報を出すしくみをこしらえた以上、「“素振り”と思えば良い」という呑気な論調には素直に頷けないものを感じる。

もちろん、初回から100点満点の防災対応など望めないことは百も承知だ。だからこそ大切なのは、「臨時情報」に関わる人々が一人でも多く、初回の発表で見つかった反省点や得られた教訓にしっかりと向き合い、次回以降に生かすことだ。

来る11月9日(土)・10日(日)に新潟市で開催される日本災害情報学会第29回大会でも「臨時情報」について計10件の研究発表が行われる予定だ。筆者も放送での対応や浮上した課題について報告するとともに、改善のヒントを是非とも持ち帰りたいと考えている。

〔筆者プロフィール〕
福島 隆史
TBSテレビ報道局解説委員(災害担当) 兼 社会部記者(気象庁担当)
日本災害情報学会 副会長
日本民間放送連盟 災害放送専門部会幹事

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