日常生活でも使用される言葉、「果報は寝て待て」
これは励ましの言葉として使用されることもありますよね。
ただ、何もせずにのんびりと寝て待ってればうまくいくよ!という意味ではありません
今回はそんな「果報は寝て待て」について解説します。
「果報は寝て待て」とは
ここでは「果報は寝て待て」の意味を解説します。
「果報は寝て待て」の意味
「果報は寝て待て」は「良い結果は自分の力で招き寄せるものではないから向こうからやってくるのを焦らず待っていれば良い」という意味の慣用句です。
幸福が訪れるのは人間の力だけではどうにもなりません。
確かに努力によって良い人生を歩むことはできるかもしれません。
ただし、最終的な結果がどうなるかは誰にも予想などできません。
だからこそ、焦らずに好機がやってくるのを待つことが重要です。
そういった心構えの大切さを説いたのが「果報は寝て待て」という言葉となります。
「果報は寝て待て」の例文とその用い方
「果報は寝て待て」は努力していない人には使用しません。
むしろこれまで最善を尽くしてきた人に対して使用される言葉です。
・例文1:果報は寝てというように人生は焦っても仕方ない
・例文2:急いで結果ばかりを求めるのではなく果報は寝て待て
・例文3:できることをやったのなら後は果報は寝て待てだ
このように「果報は寝て待て」は努力した結果に対して使用されます。
最善を尽くしたとしても、結果がどうなるかはわかりません。
だからこそ、やるだけのことやったなら後はもう待つだけ。
ある意味「励まし」や「労い」などの意味も込められているのが「果報は寝て待て」の特徴です。
「果報は寝て待て」の成り立ち
ここからは「果報は寝て待て」の成り立ちを解説します。
「果報」とはなんのこと?
「果報は寝て待て」の「果報」とは何を指すのでしょうか。
「果報」は前世の行いが原因で吉凶禍福の報いを受けることを指します。
本来「果報」は善悪両方の意味を持つ言葉となっています。
しかし、日本では悪い意味ではあまり使用されません。
むしろ、良い意味で使用されるのが一般的です。
要は何かの行いに対する「結果」と「報酬」を意味する言葉と解釈すればわかりやすいかもしれません。
ただ寝て待っていてはダメ!!
「果報は寝て待て」はその言葉の意味から「幸運は待っていればいつかやってくるから寝て待っていればいい」という解釈をする人もいます。
しかし、ただ寝て待っていては良い結果など訪れるはずもありません。
そもそも「果報は寝て待て」とは「最善を尽くしたなら後はもうできることなどないのだから良い結果を願って待っているべき」という意味となります。
つまり、もともとは頑張った人を励ましたり労ったりする言葉として使用される慣用句なのです。
そのため「怠けて構わない」ということを表現した言葉ではないということを覚えておかねばなりません。
「果報は寝て待て」の類義語
ここからは「果報は寝て待て」の類義語を紹介します。
人事を尽くして天命を待つ
「人事を尽くして天命を待つ」は人間ができることをすべてやったのなら後は運命に任せるという意味の慣用句です。
「人事」とは人間ができることを意味します。
「天命」とは運命のことを意味します。
つまり、自分にできることを全部やったなら後は待つだけという意味の言葉です。
その点が「果報は寝て待て」とほとんど同じ意味といえるでしょう。
待てば海路の日和あり
「待てば海路の日和あり」は今は思うようにいかなくてもじっと待てばそのうちチャンスが訪れるといいう意味の慣用句です。
だからこそ、辛抱強く待てという意味もあります。
「海路」とは船が通る道を意味する言葉です。
「日和」とは空模様の中でも晴れの天気を指します。
ここでは物事の成り行きという意味で使用されるのが特徴です。
つまり、もともとは海が荒れていて船が通ることができなくてもいつかは晴れる時が来るということを意味する言葉だったわけです。
転じて、今はダメでもいつか好機が来ることの例えとなりました。
その点が「果報は寝て待て」とほぼ同じ意味なのではないでしょうか。
まとめ
「果報は寝て待て」は最善を尽くした人を励ましたり、労ったりするための言葉です。
その意味は「やることをやったなら後は結果を寝て待つのみ」となります。
このようにある種で労い励ましの意味を持つのが「果報は寝て待て」となります。
ただし「のんびりと寝て待つだけでいい」ということではないので、あくまでも「努力」が前提となると覚えておきましょう。
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