臨時国会最大の焦点、政治資金規正法の再改正をめぐる審議が始まった。中でも各党間で意見の隔たりが大きいのが「企業・団体献金」の取り扱いだ。1994年与野党で合意した内容は政治家個人への献金は禁止となったものの、政党や政党支部への献金は「5年後見直し」となった。石破総理は30年前の結論は「5年後見直し」となっただけで“廃止の方向になった事実はない”と主張した。見直しか廃止かー30年前、当事者たちはどう考えていたのか。「平成の政治改革」を取りまとめた細川護煕元総理はインタビューで「石破総理の認識はバツ(誤り)だ」と明言した。
殿のアトリエへ インタビューに“プロンプター”が…
12月10日、東京・品川にある細川元総理のアトリエを訪ねた。
細川氏は1998年、60歳で政界を引退後、知人の紹介で陶芸を始めた。その後、油彩画や書などに勤しみ、今では京都・龍安寺のふすま絵を手がけるまでに。御年86歳。当時の記憶は実に鮮明で、足腰はしっかり。「殿」は健在だった。
リクルート事件や東京佐川急便事件など自民党政権を揺るがす中、1993年政治改革を旗印に「非自民・非共産」による8党派連立内閣が誕生した。日本新党代表だった細川氏が第79代総理大臣に就任した。肥後細川家の第18代当主だったことから愛称は「殿」。
「当時の日本新党、まだ15人くらいいるかな?茂木(敏充)、野田(佳彦)、小池(百合子)、枝野(幸男)、前原(誠司)、河村(たかし)…多士済々でしょ?(笑)」
後輩たちを思い浮かべるまなざしは温かい。
93年当時、日本新党で初当選した1期生たちは、政党はバラバラになってしまったが今や政党の代表や自治体の長などを経験する実力者たちだ。党首時代、高輪事務所に飾っていたというお気に入りの”詩”は、今でもアトリエの一番目立つところに飾られていた。
細川氏の作品に囲まれた場所で、インタビューはスタートした。
「この問題は少しセンシティブだから…」
細川総理はいまでは総理会見で当たり前のように使われる「プロンプター」を初めて使用した総理とされている。米の部分開放を決めたガット・ウルグアイラウンド交渉決着の時の会見で初めて使用された。
当時のスタイルを彷彿とさせるように、絵画スタンドをプロンプターに見立て”想定原稿”を周到に準備していた。
「石破総理の認識はバツ」30年前は”廃止”で河野氏と一致
ーー94年1月28日。雪が降ってたというふうに聞いてます。細川総理と自民党・河野総裁が政治改革案を取りまとめました。ところが石破総理は“当時企業献金が廃止の方向になった事実はない”と主張しています。実際はどうだったのでしょうか。
一言で言うと石破総理のお話は、○か×と言われたら×だと思います。政党助成制度と企業献金の禁止がですね、直接関係ないと言われたわけですが、誰が考えてもそれは二重取りになるわけですからそれは企業献金が正当化されるような石破総理の言いぶりっていうものには、やっぱりちょっと私は大いに気になりますね。
ーー当時、「見直し」というのは「廃止」を念頭に置かれていたのでしょうか。
意識としては完全にそうでした。見直しという意味は、廃止をするという、そういうことでした。
ーー細川総理と自民党・河野総裁との間で、その認識は一致していたのでしょうか。
はい。多分一致していたんだろうと思います。河野さんも。
ーー「5年後見直し」ということになったわけですが結局、政党に対する献金は現在も続いています。
それはもう30年経ったんだからもう早くそのとき決めた通りにやってくださいっていうことしか言いようがないですね。
ーーどうして「5年後見直し」ということになったのでしょうか。
若干期間を置かないと大変だからという話が自民党の中でもちろんあったでしょうけれども、当時の与党の中でもそういう話がありました。だから3年でも別に構わないんだけど、それじゃ足りないって当然言われる方々が出てくるだろうから、5年ぐらいが適当なところかなということですね。
ーーその5年後の99年に議員の政治資金管理団体への献金は禁止になりました。しかし引き続き政党への献金は存続され、禁止された個人献金も「パーティー券」という形で新たな抜け道としてうまれました。それが今回の裏金事件につながっています。
早くやってもらってないからこういうことになるんだということですよね。本当に私達ももっと声を上げなきゃいけなかったと思いますけどね、その時点で。でも本当にしれっと通り過ぎちゃったわけですから。当時やってた人はもう少ししっかりしてもらいたかったなと。
ーー当時しっかり抜け穴を塞がなかったからこういう事態になったとも言えます。当時、このような事態になると想像していたでしょうか。
してなかったですね。意外な感じという言い方がいいかどうかわからないけど、やるべきことをきちんとやっていればね、こういうことは起こらなかったわけですよね。政治改革、政治改革といって、口先ばかり言ってるんじゃなくてやっぱり押さえることをきちんと押さえていかないとますます駄目になっちゃいますよね。
ーーなぜ「見直し」という文言は「廃止」とはしなかったのでしょうか。
それはどうしてかな…ちょっとそれはわかりませんね。私も。
細川氏と「平成の政治改革」をまとめた自民党・河野洋平元総裁も去年、衆議院がおこなったインタビューで「5年後見直しという条件で企業献金を廃止することで合意できた」と証言している。さらに「公費助成が実現できたら企業献金は廃止しなきゃ絶対におかしい(中略)企業献金が政策の歪みを引き起こしているからそれを止めろということだったのに本当におかしいよね」とも話す。細川氏も「河野さんと企業献金を廃止する認識で一致していた」と証言していて、2人の証言通りであれば、石破総理の認識は誤りということになる。
しかし、この認識の齟齬を引き起こしたのは、当時の合意文書に「見直し」ではなく明確に「廃止」と書かなかったことだ。合意を優先し”不都合”なことを明文化しなかったのは当時の知恵かもしれないが、廃止と書かなかった理由について、細川氏は残念ながら覚えていなかった。
元総理の口から新証言「あのとき実は解散も考えた」
自民党政権を揺るがした1988年のリクルート事件や92年の東京佐川急便事件。当時、政治改革は急務だった。その機運は「今とは比べものにならないほど」だと細川氏は話した。93年、衆院を通過した政治改革関連4法案は、参院で同じ連立を組む社会党から多数の造反者が出て否決。社会党は小選挙区比例代表並立制の導入に根強い反対論があった。社会党出身の土井たか子衆院議長を訪ねた細川総理は、叱責された上、細川氏が求めた握手をはねのけたという。
参院での法案否決後、細川氏は急転直下、小選挙区制をめぐる自民党案を”ほぼ丸呑み”する形で成立へとこぎつけることとなる。その舞台裏で何を考えていたのか。新証言が出てきた。
ーー当時、リクルート事件や佐川急便事件があって政治改革の機運はどのくらい高かったのでしょうか。
それはもう今と比べ物にならないくらいあのときは強かったと思いますね。とにかく政治改革だけで旗が立ったわけですからね。
ーー30年前合意したものが今はないがしろにされているように見えます。
そうですね。それは本当に長年のそういう宿題をね、ちょうど今、こういう話も出てきて、いい機会だからぜひここで片付けてもらいたいと思いますね。
ーー当時、政治改革法案は衆院で可決されたものが参院で否決された。竹下内閣以来の政権の懸案だったが再び廃案に。当時はどう思っていたのでしょうか。
あのとき実を言うと解散も考えたんですよね。あのときに本当に思い切って解散をしていたら、だいぶ事態が変わってたかもしれませんね。小沢さん(新生党代表幹事)と2人で解散をやるかどうかっていう話もね、ちょっとしたんですよ。でもやっぱり5つの政権が変わったのかな、あの法案成立のためにね。やっぱりここまで来ているから、もう少し頑張らなきゃいかんかなということになって。結局頑張りすぎて、何とか本当にどんでん返しみたいな形で通しちゃったわけですけども、そこで解散という手もなくはなかったんですね。それをやってたら、いろいろ連立の組み替えもあったかもしれない。
ーー「頑張りすぎた」っていうのは自民党案のほとんどを飲んだことを指しているのでしょうか。
そう、それもありますね。
ーーつまり自民党案をほぼ飲んだばかりに、完全に穴をふさぎきれなかったということもいえるのではないですか。
そうですね。なかなかそのときそのときの状況で違ってきますからね。今何でも言えるんだけども、なかなかそのときには、一概にそういう状況で判断できたかっていうとそれはまたちょっと別問題ですけど。
ーー今回の政治改革の議論では、「企業・団体献金の禁止」について自民党は強硬に反対姿勢。野党内もまとまっていないのが現状です。野党でまとまって禁止を迫るべきだと思いますか。
さあ私はわかりません。今のことはもう今の人たちに判断してもらうしかしようがない。私達はあの時点で最善だと思う方法を提示したっていうことだね。ただ大きな方向性だけは示したので、それをちゃんとやってくれるかどうかの方が問題だと思ってるんですよ。
石破総理へ「もっとやるべきことはある」 野田代表へ「野党まとまって政権交代を」
政治改革の議論についての見解を伺うと、言葉少なげに、丁寧に慎重に答える細川氏だったが、饒舌に語ったのは石破総理について、そして野田代表について。そこには「自分だったらこうするのに・・」という野心のようなものが滲み出ていた。
ーー当時、日本新党の1期生だった野田佳彦さんが立憲の代表になり衆院選で政権交代を訴えました。今は政権交代のチャンスと言える状況でしょうか。
それはチャンスだと思いますね。何よりも大事なことは政権交代でしか変えられないんですよね。日本の経済も沈滞してるがそういう状況を変えるのは何によって変えられるかっていうと、やっぱり政権交代なんですよね。
日本新党ができて8党の連立ができて、だいぶ世の中変えられた部分もありますが、やっぱり今のこの状況を変えるためには政権交代がやっぱり一番大きなきっかけになると思いますね。世界どの国を見たってやっぱり政権交代で世の中変わるんで私は、ぜひ野田さんに頑張ってもらって、政権交代してもらいたいと思いますけどね。
ーー当時石破さんは政治改革実現のため宮沢内閣不信任案に賛成しました。本来改革マインドがあるはずですが、どうご覧になっていますか。
そうですね。やっぱり私は石破さんもうちょっと期待してたんだけど、何言ってんのかよくわかんないんですよね。もっとやることたくさんあるんですね、政権としてね。
例えば核兵器禁止条約のオブザーバー参加の話だって、石破さんは核の傘があるからどうのこうのって言ってるけど、ドイツだってオブザーバー出してるんですよね。予算も何もいらない、すぐできる話じゃないですか。死刑廃止の話だってそうですね。夫婦別姓の話だってそうですね。すぐできる話を、私ならすぐやりますね。それで支持率すぐあがりますよ。
日本新党も3年で解散するって言って、3年目に解党しちゃったんですよ。一つの内閣で本当にわかりやすいターゲットを置いて、それをいつまでにやるってことを明確にして、やっていくっていう手法がね、やっぱり必要だと思うんですね。
ーー当時8党をまとめあげたのは相当難しかったのではないですか。
難しいですよ…本当に難しい。
ーーそれでも野党は当時のようにまとまって政権とったほうがいいと思いますか?
それはもう絶対取りに行った方がいいと思います。だから本当に国民(民主)なんか何してんだと思っちゃうんですよね。国民(民主)も103万円だかなんかの話をしてるよりね。それは野党で政権を取りに行った方がそれは日本を変えるためには、絶対その方が大きなプラスだと思いますけどね。目先でどうやって得点を稼ぐかってことばかり考えてるもんだからなかなかそういう方向にならないんだけど、政権とりにいったほうが遥かに大きなプラスだと思いますけどね。その辺の大きな戦略をやっぱり描く人がいないのかなあ。
ーーもどかしい感じで今の政界を見ているんですね。
見てますね。へへへ。
ーー自分ならこうするのに、と思うのでしょうか。
そうですね。だって十分それができる話なんですよね。8党の連立よりよっぽど組みやすいんじゃないですか。そりゃあ(社会党党首の)村山さんや(さきがけ代表の)武村さんを抱え込んでやるよりはよっぽどやりやすいですよそりゃ。
ーー当時のようになぜできないと思いますか。
もう本当にそう思います。「この指とまれ」ってやればいいんですよ。我々だって8党で決してまとまってたわけじゃないよ。いきなり全面的に政策広げてですね、これで一緒にやりましょうって言ったわけじゃなくて、政治改革だけ旗立てて、これでやろうっていう「この指止まれ」をやったわけですね。なんでそういうことできないのって思うんだけど。
細川氏は当時の石破総理(3回生)のことを良く覚えているそうだ。その時は政治改革に邁進していただけに総理になった後の石破氏には”期待外れ”だったと落胆していた。「自分だったら、支持率回復のためにどんどん政策を進めるのに」と話す。
石破内閣と細川内閣の最大の違いは「支持率」だったと思う。
細川内閣発足直後93年8月に実施したJNNの緊急世論調査では支持率が77.6%。(ちなみに政権交代「良かった」は83.1%というのが当時の情勢だ)政治改革関連法が成立した94年1月末に実施した世論調査では内閣支持率は77.1%という驚異的な数字だ。
一方、石破内閣は発足直後の10月51.6%、直近12月は42.1%なので、細川内閣とは30%以上違う。政策の推進力が全く違う。
「ガラス細工」と揶揄された8党派連立内閣だったが、それをまとめることは「本当に難しかった」としみじみ振り返る姿は印象的だった。その上で、細川氏は「それでも野党は固まって政権交代をめざすべき」だという言葉は、いまの野党議員にどう映るか。
「30年前の宿題をぜひここで片付けてもらいたいと思いますね」
政治改革をめぐる与野党の議論はいよいよ来週大詰めを迎える。元総理の言葉はいまの国会議員に重くのしかかっている。
聞き手:TBS政治部デスク 室井祐作