博物館・美術館の新たな挑戦~来館者・地域住民と共に考える社会的インフラへ脱皮できるか~【調査情報デジタル】

ネットを通じて、人々が多くの情報をいながらにして得られる現代。博物館の存在意義があらためて問われる。情報を提供するだけでなく、来館者と共に考えるプラットフォームビルダーとしての役割が期待される。合同会社「エ・バリュー」の共同代表で、北海道大学名誉教授の佐々木亨氏による論考。
はじめに
ICOM(国際博物館会議)が、2022年にミュージアムの定義を改正した。とりわけ、社会においてどのような役割や価値を持つべき場であるのかを具体的に記している点が注目されている。
我が国のミュージアムでも、プロジェクトの新たな創り方が起こったり、来館者と展示との関係性が変わったりしている。そんな現場を紹介しながらミュージアムのこれからを考える。
「おうちミュージアム」のはじまり
新型コロナウイルスが猛威を振るいはじめた2020年2月、北海道博物館(札幌市にある道立施設で、冒頭の写真は同博物館の外観)では全国のミュージアムがこの危機を乗り越えるために、「おうちミュージアム」プロジェクトが提案され、同年3月5日に参加館の募集がはじまった。
「おうちミュージアム」は、ミュージアムならではのコンテンツを、おうちで楽しめるようにオンラインで公開し、全国の多様なミュージアムが同じ看板を掲げて情報をまとめるプロジェクトだ。公開するコンテンツは、このためにゼロから作るのではなく、過去のワークショップや展示の素材を活用して、PDFファイルや動画を配信した。プロジェクト開始以降、参加した館からの紹介で草の根的に参加館が広がり、同年夏までに250館に達した。
「プラットフォームビルダー」としてのミュージアム
このプロジェクトは、公立ミュージアムが事業を展開する際の従来の考え方から、2つの点で大きく逸脱していた。1つは、いままでのミュージアムは市民に直接サービスを提供する「サービスプロバイダ」という役割から、なかなか抜け出ることができなかった。特別展や教育プログラムを企画・実施する際、自らが主体的にサービスを提供してきた。
このやり方が我が国のミュージアムにおける分厚い実績を形成してきたことは否定できない。しかし、そういう役割だけでいいのかという疑問はこれまでもあった。「おうちミュージアム」は、全国規模でプロジェクトに関心のあるあらゆるミュージアムなどに、市民とミュージアムおよびミュージアム同士における、新しい関係性を構築する枠組みを提供した。
つまり、北海道博物館が「プラットフォームビルダー」という役割を担った事例であった。動物園や自然史博物館といった特定の館種間で、ある地域を中心にこのような役割を担うミュージアムはこれまでもあった。しかし、館種を越えて全国規模で、しかも短期間で成功した例はなかった。
ソーシャルデザイン思考の活用
このプロジェクトを企画立案し、実行の中心にいたのは同館に就職してまだ半年足らずの渋谷美月学芸員であった。デザイン系大学を卒業後、デザイン・クリエーティブセンターに1年間勤務し、その後、同館に就職した。
逸脱のもう1つは、このこととも関係しているが、企画する際にミュージアムが持っている「リソース」と「社会的課題」を掛け算して、プロジェクトを発想していることだ。通常の企画は、学術的な調査研究成果やコレクションの収集成果を中心にして創られるが、ここではこの検討過程の中に、社会的なニーズを含んでいたことが異なっていた。
コロナ禍ではこのプロジェクトは来館の代替だったが、今後はそうではない活動に展開させていき、さらに学校や福祉施設、観光での利用事例も増やしていきたいと渋谷さんは望んでいる。また、もっと別の「社会的課題」をミュージアムが持つ「リソース」と掛け合わせて、あらたなプロジェクトを創出したいとも語っている。
来館者の「インサイト」を探ったコンサル業務
2022年度、広島県立美術館(広島市)から筆者は学術コンサルティングの委託業務を受けた。業務の目的は、同館の来館者はどんなニーズが満たされることを期待して、ここに来るのかを明らかにすること、その結果を踏まえて今後の取組を助言することだ。
調査の構成としては、はじめに4組のフォーカスグループインタビューを行い、明らかにしたいニーズにまつわる複数の仮説を得た。その後、同年度に開催された3つの展覧会の来館者を対象に、仮説検証のために定量的なアンケート調査で約2300サンプル、定性的な「行動調査」で55サンプルのデータを獲得した。
行動調査は3つの要素から構成されていて、来館者の了解を得たのちに、①展示室内でのトラッキング(行動観察)調査、②観覧後のインタビュー調査、③その日の来館の1ヶ月前から1ヶ月後の間における余暇の過ごし方に関するアンケート調査である。①と②は美術館内で、③については帰宅後1ヶ月経過した時点で郵送してもらった。
ここでは、これらの調査からわかった知見を紹介したい。設定したいくつかの仮説の中に、(1)「来館者は展示室内で立ち止まっている時間の半分以上を、作品と向き合うこと以外に費やしている」、(2)「美術作品の観覧で得る価値は多様であるが、作家における過去の思い、当時の時代背景をより深く想像し、自分の経験と重ね合わせたいというニーズが存在する」という仮説があった。
仮説(1)に関しては、調査対象展覧会の多くのコーナーで成立していたことがわかった。例えば、絵画を20秒間鑑賞する前後で、解説パネルを60秒間読んでいる、という感じであった。
仮説(2)に関しては、行動調査からは多くのサンプルで立証された。例えば、作家の戦時中からの苦労や挫折についてパネルを読んで知った上で、来館者が自身の過去の言動を内省して、大学まで出たのにと恥じ入り、いまからでも人生をやり直したい、とインタビューで涙ながらに語ってくださった方がいた。
しかし一方で、定量的な調査からは、このような来館者がいちばん多かった訳ではなく、来館者のニーズは「作品を観て感動したい」(複数回答で63%)、「現実から逃避したい」(同45%)というこれまでも語られてきた2つが1位と2位であった。例に挙げたような「作家の過去や時代背景を想像し、自分の経験と重ね合わせたい」は4位(同36%)であったことも判明したが、3割以上の来館者が展覧会でこのような思考を繰り広げていたとわかったことは大きな収穫だ。
展示のメッセージの立て方
さて、この調査結果をどのように解釈することができるだろうか。ここでは展示におけるメッセージの立て方に絞って考えてみたい。
滋賀県立琵琶湖博物館にかつて勤務していた布谷知夫(2003)は、この館での経験から、展示でメッセージを明確にすることは何より大切であるが、しかし問題はそのメッセージの立て方である。展示は「真実」を伝える場であるという考え方が支配的であった時代もあったが、情報がこれだけ過多の時代では提供できる程度の情報は、すでに大部分の来館者は知っている。そのため、メッセージは特定の情報や知識を伝えることではなく、ある課題についてミュージアムと来館者とが一緒に考えるということに置くことができるのではないか、と主張する。
では、先に紹介したインタビュー内容はどうだろうか。展覧会ではまず作品に向き合ってじっくり鑑賞してほしいという学芸員の思いとは別に、例にあげた来館者は、作品横の解説パネルをじっくり読む。それだけでは満たされない気持ちから、展示室内の壁に数多く貼られた作家に関する日経新聞の連載記事を読みあさり、作家の半生を描いた映像に見入っていた。
ある意味、作家の作品は思考をする上での風景のようだ。そして、自らの過去の経験に作家のあらたなエピソードを重ね合わせて、経験を再構成し、意味のある物語に更新している。つまり「ナラティブ」を創り出している。図らずも、布谷がいうところのミュージアムと来館者とが一緒に考える場が、ここでは提供されていたのではないか。
こう考えていくと、メッセージは受け取る側次第、受け手側の問題という面もあることがわかる。この場合、来館者が展覧会内の情報を、自分自身の文脈でリメイクできる余白があることが大切だろう。時には提供される情報に「計画された偶発性」が仕掛けられていると、もっと面白くなるかもしれない。
ICOMによるミュージアムの新定義
ミュージアムの国際的な非政府組織であるICOMは、数年間の激論の末、次のように定義を改正した。
「博物館は、有形及び無形の遺産を研究、収集、保存、解釈、展示する、社会のための非営利の常設機関である。博物館は一般に公開され、誰もが利用でき、包摂的であって、多様性と持続可能性を育む。倫理的かつ専門性をもってコミュニケーションを図り、コミュニティの参加とともに、博物館は活動し、教育、愉しみ、省察と知識共有のための様々な経験を提供する」。
これまでの定義は第1文のように、ミュージアムが持つ機能を中心に書いていた。しかし、新定義ではさらに第2、3文が追記され、ミュージアムが包摂的な場であり、社会の多様性と持続可能性を促進すること。学芸員などの専門職を中心に形成されたコミュニティが存在していて、地域に根ざした学ぶための機関であることが謳われている。
社会的インフラとしてのミュージアム
「おうちミュージアム」における企画・実施プロセスを踏襲すると、社会的課題を解決しながら、包摂的で多様性を受け入れる場としてミュージアムの必要性が、社会に定着するかもしれない。
広島県立美術館の調査結果をヒントにして、コミュニティの参画を得ながら学芸員が新たな展覧会の創り方を検討したならば、市民がミュージアムの楽しみ方を共に考える、敷居の高くない持続可能なミュージアムが誕生するかもしれない。新定義の方向性とミュージアムの現場でここ数年に起こっていることは、かなりリンクしていると捉える。
一方で、1999(平成11)年以降の市町村大合併では、元の市町村にあった1つ1つのミュージアムを、新しい市がどう扱うべきかという大きな課題が存在している。新たな自治体の歴史をどう編み直し、膨大な所蔵資料をどのように保存・活用するのかという問題が残されている。
ここで紹介した2つの新しい動きと、まだ解決の道筋が見えないこの課題は今後うまく融合していくような予感がしている。ミュージアムが社会的インフラとして脱皮する可能性は大いにあると考える。
<執筆者略歴>
佐々木 亨(ささき・とおる)
札幌北高校卒、北海道大学文学部卒。
旅行代理店勤務後、北大文学研究科修士課程入学。87年民間シンクタンク、89年北海道教育委員会(学芸員)、97年東北大学東北アジア研究センター勤務。2000年北大文学研究科。
2025年北海道大学名誉教授、合同会社「エ・バリュー」共同代表。
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版Webマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。