「早く見つかって」帰らぬ家族への祈り、「離れるか残るか」揺れる集団移転、そして孤独との闘い…能登半島地震2年 復旧進む中での葛藤【報道特集】

能登半島地震から2年。今なお行方不明の兄を捜す女性が、初めてカメラの前でその思いを語った。発生から丸2年を迎えた人々の葛藤を取材した。
【写真を見る】2年間行方不明の兄、思いを初めてカメラの前で…
今なお2人行方不明 能登半島地震2年
2026年、元日の石川県輪島市。震災後、2度目の正月を迎えた。
山本恵里伽キャスター
「地震の発生によって大規模な火災が発生した輪島朝市。今は何もありません。ビルが倒壊していた場所は、今、完全に更地になっています。1月1日のきょう、花が手向けられています」
地震発生時刻の午後4時10分には、黙とうが捧げられた。
2024年1月1日、能登半島を最大震度7の激しい揺れが襲った。犠牲者は関連死を含めて、703人に上る見通しだ。
直接死:228人
関連死:475人
甚大な被害をもたらした。能登半島地震ではいまもなお、2人の行方がわかっていない。
雪に覆われた、輪島市・町野町大久保集落。2025年大晦日、1人の女性が、行方不明の兄を思い、訪れた。
久子さん(68)
「あれから2年、早く見つかってほしいな。みんな待っとるよ。コーヒー、一緒に飲んだの覚えておいて」
久子さん68歳。一人で暮らしていた兄の伏木野茂雄さん(当時68)が、土砂に埋もれたまま見つかっていない。
大久保集落は、四方を山々に囲まれ、のどかな田園風景が広がっていた。最もにぎわった頃は15世帯が暮らし、米づくりが盛んだった。子どもたちの歓声が響く学校もあった。
しかし、あの日、大規模な地すべりで山が幅700mにわたり崩れ落ちた。その真下にあった自宅に、茂雄さんはいたとみられている。
だが今、自宅はどこに埋もれてしまったのかもわからない。
久子さん
「たぶんこの下に家があったんじゃないかなと思って。足が悪かったので。地震といっても、外に走って出られるような状態ではなかったので。『もし家があったら、家の中にいないかな』とか、そういうことをよく思いますね」
「もう本当に、面影ないですね。家のかけら一つあって『ここらに家があった』って分かれば…」
これは、地震の4か月後に撮影された大久保集落。警察や消防によって、茂雄さんの捜索活動が続けられてきた。
宮下幸雄さん
「ここに家があったということで、ユンボ(ショベルカー)で掘って捜索したんです」
捜索に参加した、宮下さん夫婦。茂雄さんの親戚にあたる。
宮下幸雄さん
「(仕事を)手伝ってもらったり、田んぼから運んでもらったり。ずっとしとった。毎日のように話してね、来たら必ず寄ってたから」
2年間行方不明 兄を捜す思い
久子さんはこれまで、兄のことを語る気持ちにはなれなかった。2年経っても行方不明のままであることだけは知ってほしいと、初めてカメラの前で語った。
久子さん
「何か言葉に表せないくらい、見ただけで涙出るというか、本当に信じられんね。とにかく何か一つでもいいから見つかって欲しいなと、そういう思いですよね」
茂雄さんは子どもの頃から妹を気遣う、穏やかで優しい性格だったという。
久子さん
「一緒にあけび採りとか、何回かありますけど。病院に行った帰りも、よく一緒に買い物したりして帰ったし。ふっと目が覚めると、『どこにいるんやろう』とか、そういうことを考えて。夜中1時でも2時でも目が覚めると思い出して。1回だけ夢見て、『あんたどこにおったん』と言うと、それが洞穴みたいなところに、夢に出てきたんですよ。『なんやこんなとこにおったん』」
山本恵里伽キャスター
「大晦日に足を運んだのは、なぜですか?」
久子さん
「もう2年経ったということで、どうしているのかなって。一人寂しくいるよりは、一人でも多くにぎやかな方がいいと思います。早く見つかってほしいという願いだけですね」
故郷を離れる決断を、迫られている人もいる。
集団移転 故郷を離れる葛藤
輪島塗の塗師・歌見敬志さん。下地となる漆塗りを50年続けてきた。自宅が全壊したため、仮設住宅に暮らしながら、仕事用に、近くの親戚の家を借りている。
輪島塗 塗師 歌見敬志さん
「じっとしとると、頭おかしくなってくるしね。やっぱり仕事しとらんと」
歌見さんの自宅があった輪島市稲舟町。震災前は、50世帯100人が暮らしていた。しかし、広い範囲で地滑りが発生し、高台の地域では水道復旧の目途すらたっていない。
輪島塗 塗師 歌見さん
「ここに母屋が建っていたんです。自分の作業場はここにあって、2階で仕事していたんです。基礎が全部割れてガタガタで、外側の玄関から縁側も全部外に倒れてしまって、住める状態ではなかった」
「景色のいいとこなんやけどね」
自宅は海を望む高台にあった。すでに公費解体が完了し、今は何もない。自宅近くの道路には深い亀裂が残る。
輪島塗 塗師 歌見さん
「これ地滑りの跡やね。この柵が下がったんです」
フェンスは、手前の亀裂あたりから滑り落ちたと見られている。
震災前の写真では、丘の上に設置されていた様子が写っている。地形が大きく変わってしまった。
輪島塗 塗師 歌見さん
「輪島市の市営グラウンドなんです。中学校・小学校、野球部とか、能登の大会があったりしていたんですけどね。いまこういう状態でさっぱりですけど」
稲舟町は、野球場や体育館が並ぶ、 輪島市のスポーツの拠点だった。体育館前の道路は、地すべりによって2メートル近く崩れた。
さらに、2024年9月の豪雨水害で、画面右側の斜面が大きく滑り落ちた。
歌見さんは、約20戸の住民を取りまとめ、市に集団移転を要望している。集落のつながりを維持したまま、およそ1.5キロメートル離れた市街地に移り住むことを目指している。
輪島塗 塗師 歌見さん
「この稲舟の台地ごと、最悪の場合、滑る可能性があるということで、避難指示がでて。うちの女房もそうだけど、みんな『こんなところにいたくない、怖いから住めない』と」
集団移転に加わらない住民も
一方で集団移転には、加わらないという住民もいる。水道は通っていないが、自宅を修理して住み続けると話す。
移転しない住民
「やっぱりお金ね、家建てるんなら、例えば2000万とか3000万円かかる。家をちょっと直すか、水の段取りさえできれば、そんなに使うことはない。そして、稲舟町捨てたくないし、いたいしやっぱり」
移転しない住民
「住みます。次を建てないかんもん。もしここを捨てれば建てないかん。家壊さなあかんし」
――井戸水でしのぐ?
移転しない住民
「井戸水か。どこか水を汲んでくる。ホースで繋いで、タンクあるんです。そこに入れてという感じ」
――ここで生活をする?
移転しない住民
「その覚悟はあります。決めたんです」
2025年12月、歌見さんは、避難先で離れて暮らす住民を集め、総会を開いた。
輪島塗 塗師 歌見さん
「整備するという話は難しいんじゃないか」
集団移転に絡んで、先祖代々守り続けてきた「共同墓地」について話し合われた。
集団移転後も元の場所に残るが、修復や墓地に続く道路の整備費は誰が負担するのか、議論となった。
住民会議
「共同墓地の道とか、折半して半分出すというなら、そういう方向性で考えるし、そこを示してもらわないと、俺もいつまで生きているかわからんし、方向性を示してほしい」
住民
「道整備して、墓地どうのこうのってでかい金になる」
「道を直さないと、墓は直せない」
「絶対直せないことはないけど、自己負担や全部」
離れがたいふるさと、複雑な思いを抱えながら安全な場所に移る「集団移転」を選ばざるをえなかった。
輪島塗 塗師 歌見さん
「生きてきた証っていうものは、一切奪われてしまったわけだから、とにかく生きていかなければならない」
「孤独死防ぐ」震災2年の課題
石川県ではいまも1万8000人以上が、仮設住宅での生活を余儀なくされている。輪島市は最も多い約6000人にのぼる。
輪島市 坂口茂市長
「仮設住宅のまま、まだ多くの方々がおられることに関しては、非常に申し訳ないなと思っていますけど。復旧が遅いという、私もその都度その都度最善を尽くしてきたつもりですが、遅いと思っています。忸怩たる思いもあります」
輪島市には2025年4月、交流スペース、通称、コミセンが開設された。仮設住宅で暮らす被災者を、元気づけるイベントを定期的に開催している。
ケアマネージャーの資格を持つ細川貴子さん。市の委託を受け、仮設住宅に暮らす高齢者を一人一人見回っている。
JOCA災害支援チーム 細川貴子さん
「一番取り組んでいるのが、孤独死を防ごうというので、私たちは訪問させていただいています」
高齢者は一人暮らしが多い。「コミセンの集まりに来ませんか」と声をかけてまわる。
この女性は自宅を失い、一人で閉じこもりがちになっていた。
細川さんが講師役になって、思い思いのメイクを楽しむイベント。声かけをしたあの女性も、にぎわいに誘われるように姿を見せた。
JOCA災害支援チーム 細川さん
「おいでおいで、ここから入る?」
仮設住宅から出てきた女性
「ちょっと見るだけでも、見てこようかと思って」
癒えぬ悲しみ 2年前に失った夫
細川さんが、特に気にかけている人がいる。
JOCA災害支援チーム 細川さん
「よく訪問行く度に、『生きる意味ってなんなのかな』って、すごく私たちに仰る方なんです」
福光昌江さん(71)。
JOCA災害支援チーム 細川さん
「来週かな、歌の時声かけていいかな」
福光昌江さん
「良いです」
福光さんは地震で夫を亡くし、4畳半の仮設住宅に一人で暮らしている。
福光さん
「お父さんの仏壇。福光の仏壇は、見つかったのこれ一個だけ」
2年前の元日、夫の達矢さんと、いつもの茶の間にいた時…
福光さん
「家の2階の大屋根が、バサッと落ちたんです。バサッと落ちた瞬間、『キャーッ』て言って何がなんだかわからなくなって。その場で主人はうつ伏せになって。何か当たって、木の梁とか柱の梁とかが当たって、亡くなったと思いました。呼んでも返事も何もないし。『助けてくれ』が最後の言葉でした」
福光さんは、屋根と梁のわずかな隙間に入り、そのまま身動きがとれなくなった。崩れた家に取り残されてしまった。
福光さん
「『助けてください、誰か消防の方いないですか、村の誰かいないですか。 お願いします』って何回もずっと喉が枯れるほど、1時間以上叫んでました。だんだん真っ暗になって、上から次から次へと何か落ちてくるんですよ。真っ黒で主人の顔も見えなくなって、『もうここでお父さんと一緒に最後にするわ』って私もう決めたんです。寒くて震えて。いられなくなったもんで」
6時間後、近所の人たちの懸命な救助活動によって、福光さんは救い出された。しかし、夫の達矢さんは、遺体となって発見された。
昌江さんは、2025年秋に夫の納骨をした。失ったものの大きさと向き合う日々が続いているという。
福光さん
「孤独でした。心細かったです。落ち着いてきた頃、なんか寂しさが湧いてきて。夜になると、一人になると、何度も思い出して。しばらく気持ちが不安定になりました。なんでこうなったんだろうと」
「前へ進もうっていう気持ちで…」
山本恵里伽キャスター
「歌声が聞こえてきました」
この日、コミセンでは、歌のイベントが開催されていた。福光さんの姿も。
――今日、歌ってどうでした?
福光さん
「よかったですよね。リクエスト1つ欲しかったけど」
――なにリクエストしたかったんですか?
福光さん
「明日があるさ」
――どうして、その曲をリクエストしたかったんですか?
福光さん
「やっぱりこれから、済んだことをいつまでも悔やんでいないで、自分自身気持ちを変えて、前へ進もうっていう気持ちで、好きです。主人も1日に亡くなっているので、元気にならなくてはと思って…」