7度目五輪出場の竹内智香、36歳で公表した卵子凍結は“選手最優先”の決断 キャリアか出産か「後悔なく、できるすべてのことを」

スノーボード・パラレル大回転の竹内智香(42、広島ガス)が、冬季では日本女子最多となる7度目のオリンピック出場を決めた。2002年のソルトレークシティ大会で五輪初出場を果たし、4度目の出場となった2014年のソチ大会では銀メダルを獲得、同競技で日本女子初となる表彰台にのぼった。36歳の時には卵子凍結を公表している竹内。長年競技を続けるなかでの葛藤や様々な“決断”を、竹内と同世代の「news23」(TBS)小川彩佳キャスターが聞いた。
「保険をひとつ残したいと思って」
竹内:今日来るにあたって小川さんのことを少し調べたんですけど、ストレートに気持ち、考えを伝えているのを見たときに、何か近いものがあると思って。楽しみにして来ました。
小川:本当ですか?
初めてのオリンピックは、高校生で迎えた2002年のソルトレーク五輪(22位)。23歳で単身スイスに渡り、世界トップレベルの環境で、スキルを磨いてきた。4回目の出場で日本人初の銀メダルを手にした後も、金メダルを目指し挑戦を続けてきたが、今シーズン限りでの現役引退を決断、昨年5月に発表した。
27年の競技人生は、決断の連続だった。一人の女性として下した決断は、36歳の時に公表した、卵子凍結だ。
竹内:子どもを持つ事に対する考え方とか、キャリアに対する考え方とか、自然の原理に逆らったこともしているのかなって。それが正しい事なのか、どうなのか、すごくいろんな事を考えさせられる時間で・・・
小川:公に出る立場の方が、病室での様子ですとか、排卵誘発剤をお腹に打つようなシーンとか、撮影して発表するというのを見たことがないなと思って。どういう気持ちで放送にご協力いただいたのかなと思っていたんです(当時TBSで放送)。
竹内:30歳前後になってくると、世の中の女性の「あるある」だと思うんですけど、「結婚は?」「子どもは?」って。30代中盤くらいになってくると、「そろそろ子どもの事を考えないと産めなくなるよ」とか。正直居心地がよくない。決して心地の良いものではなくて、自分から全て発信してしまった方が、このテーマについてはまず終われるのかなって。
小川:これ以上聞かれないために?
竹内:というのも、一つの理由でしたし、やっぱり私は選手をやりたい、スノーボードを続けていきたい。でも、もしかしたらこれから来る未来、自分の子どもを授かりたいと思う時が来たときに、その「保険」を一つ残したいと思って決めたので。
小川:本当に勇気が要ることだなっていうふうに思うんですよね。今は卵子凍結ってすごく市民権を得ているというか、実際にやられている方も多いですし、本当に身近なものになっていますよね。
竹内:当時と今とでは値段も違いますし情報量も違いますし。でもそういった意味では、多くの女性が一つでも多くの選択肢を手にできたことはすごくいいことなんじゃないかなと思います。
小川:皆さんどこかで葛藤を抱えますよね、必ず。キャリアを継続するか、出産を考えるか、どちらかを選ばなきゃいけないというような意識にどうしても囚われてしまうんですけど、“どっちも諦めなくていいんだよ”というようなメッセージというか、自分の人生を歩んでいこうっていう気持ちをすごく伝えてくださったような気がして。
竹内:もしかしたら「30代前半で妊娠・出産という選択肢と向き合えばよかった」って思うかもしれないと思うんですけど、でも、自分自身の中ではやっぱり選手が最優先で、自分のできる最大限の準備というか、できることをやったからこそ後悔したとしても納得のいく後悔ができるのかなって思っているので。本当に後悔なく、できるすべてのことをやろうと思っています。
「与えられた環境下で何ができるか考えてきた」
キャリアか、出産か。竹内選手は、選手が最優先と考えながらも、もう一つの可能性を残すためにベストを尽くす、という決断を下した。出産を経て仕事に復帰した小川キャスターは、竹内選手に聞いてみたかったことがあったという。
小川:アスリートの世界も、どこか男性社会だったりとか、男性中心に考えられがちな部分というのはあったと思うんです。その中での葛藤というか女性としてアスリートを続けられる中で苦労した事だったり、大変だった事はありますか。
竹内:全く想定しなかった質問なんですけども。正直あまりなくて。
小川:そうですか。
竹内:もちろん男性優位、例えば雪上に立っていてもコーチとかスタッフはほぼ男性で、それは女性があまり適さない仕事だからだと思うんですね。本当に肉体労働ですし、いろんなものを担いだりとか。女性で言えば、特に私たちの種目というのは妊娠・出産から離れてカムバックしてくる事というのは本当にハードルが高くて。協会・国・チームの理解があって、初めてカムバックできるものなので、そういうふうに今言われてみて客観的に見ると、ハンデはすごくあるなとは思います。でも、私はそのハンデの中で生きるべきだと思って捉えてきたからこそ卵子凍結であったり、そういう自分の中での選択をしてきたのかなって思うので、ハンデではなくて、その与えられた環境下で何ができるんだろうって考えてきたのかなと思います。
小川:女性キャスターの世界でも、私が夜の23時の番組を担当した時は子育てしながらキャスターをしている女性は本当に少なかったんですけれども、今はそれが当たり前になってきているので、ずいぶんこの数年で変わったなっていう感覚はありますね。
竹内:これから若い世代がゆっくりと出産をして戻ってきても、同じ舞台で男性と一緒にやり合っていけるような未来があれば、良い意味で次に引き継がれていくのかなって。それは選手としても同じで、アスリートが産休をとってもカムバックしやすいような環境に繋がっていけば、もっともっと、出産して選手を続ける選手も、もしかしたら増えるかもしれないって思うと、やっぱり全てのことに意味があるんじゃないかなと思っています。
小川:人生って決断の連続ですよね。特に女性はそれを突きつけられることが多いようにも感じるんですけど、そこでなかなか決断できないっていうことも多いと思うんですね。私も結構ダラダラ流されてしまうタイプなんですけど。
竹内:意外、そうなんですか。全くそうは見えないんですけど。
小川:決断しているように見えるんですけど、そうでもなかったりとかして。「決断する秘訣」は、迷いがあったら留まる、続けてみるということなんですかね・・・。
竹内:そうですね迷いがあったら「留まる」「続ける」でどうしても変えられない時ってあると思うんですね、何かを。変えられないときはまずその変えられないことを受け入れて、そこからまずは自分が変わる努力をするっていうふうにも考えるようにはしていて。それが正しかったんだっていうふうに常々持って行ける努力をしているのかなって思います。だから、何が正解かはわからない。卵子凍結したことも正解だったかどうか、引退をするタイミングであったり休むタイミング、選手を続けるタイミングというのも本当に何が正解かは死ぬまでわからないんじゃないかなって。だから今日、今やりたいことをやる。その先いい未来になっていればいいなと思っています。
小川:いやあ、かっこいいなぁ・・・。
正しい決断を下すのではなく、下した決断を正しかったと思えるように、努力する。その積み重ねが、7回目のオリンピックへと繋がっている。
竹内:本当に7大会も選手をやれているとは思っていなかったので私自身も楽しみたいですし、その姿を見て応援してもらえると嬉しいです。
■竹内智香
1983年12月21日生まれ 北海道旭川市出身
五輪初出場は2002年ソルトレークシティ大会(22位)。06年トリノ大会(9位)、10年バンクーバー大会(13位)、14年ソチ大会(銀メダル)、18年平昌大会、22年北京大会と6大会連続で出場し、冬季五輪日本女子最多。2015年の世界選手権では銅メダルを獲得。