競技の先に人生は続く...23歳で引退しテレビ局へ 元競泳五輪代表・今井月がアスリートのセカンドキャリアを考える

夕方の報道番組、TBSテレビ「Nスタ」でアシスタントディレクター(AD)として働く私は、15歳でリオ五輪に出場、2023年のアジア大会で銅メダル獲得するなど、競泳日本代表として水泳一筋で生きてきた。2024年の代表落選がきっかけとなり、23歳で引退を決意した私の心にあったのは、拭い切れない未来への不安だった。
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自身の経験と支援の現場、そして選手のリアルな声から、アスリートのセカンドキャリアを考える。
“天才少女”と呼ばれた私の決断
12歳で日本選手権3位、15歳でリオ五輪出場を果たした私は、ありがたいことに、中学生の頃から“天才少女”と呼ばれて育ってきた。
長い競技生活の中では、時に「競技をやめたい…」と思うこともたくさんあった。それでも、「このままでは終われない」と思い、大学卒業後も競技を続ける選択をし、22歳のとき、6年ぶりに代表に復帰した。
しかし、その翌年に行われたパリ五輪選考会で代表落選。その瞬間、23歳で引退を決断した。
競技者としてはまだ若く、身体も衰えていなかったため、正直、自分でも「もったいない」と思っていた。そして、応援してくれる人たちからの「まだ泳いでほしい」という温かい声に、何度も心は揺らいだ。
それでも引退を選んだのは、理由の一つに“拭えない不安”があったから。
それは、競技を終えた“その先”の自分が想像できないという不安だ。
現場の声―アスリートのキャリア支援から見るリアル
引退を決め、その後のキャリアを考えたとき、選択肢の多くが「そうするしかない」という、あらかじめ敷かれたレールの上にあるように感じた。
そしてその当時の私と同じように、多くのアスリートがセカンドキャリアへの課題に直面しているのではないだろうか。
ときに日本を背負い戦うその姿で、多くの人々の心を動かしてきたアスリート。しかし、そんな彼らにとって、競技を終えたあとに続くキャリアは決して平坦なものではない。
文部科学省が行ったアスリートのキャリアに関する調査で、キャリア支援に携わる大学職員に「(学生)アスリートはキャリアを考えるように変わったと思うか」という質問をしたところ、以下のような調査結果が出た。
▼「とても考えるようになったと思う」
「まあ考えるようになったと思う」…39.2%
▼「変化は感じない」…40.5%
(アスリートのキャリアに関する実態調査 2020年文部科学省資料より)
キャリア教育支援や制度が存在していても、その意義や目的がすべてのアスリートに十分に届いているとは言いきれない。
調査の中にも「手本にすべき先輩がおらず、どのような道があるのか分からず苦労した」「自分が思い描いていたものはアスリートとしての未来で終わっていた。現役中は明確な目標があったが、これから先は探している最中」など、アスリートが抱えるセカンドキャリアへの不安の声が書かれている。
そんなアスリートの不安と向き合う人がいる。
元競泳日本代表で、2021年に引退した諸貫瑛美さんだ。現在は求職者と就職サポート会社を繋ぐ「株式会社ラリード」に勤務し、アスリートのキャリア支援を担当をしている。
そんな諸貫さんに、アスリートのセカンドキャリアについての現状を聞くことができた。
ーーこの仕事を始めたきっかけは?
株式会社ラリード 諸貫瑛美さん
「私自身、28歳まで選手活動を続けてきて、いきなり引退がやってきました。いち求職者として、『この年齢から未経験でも働ける会社があるのか』と、セカンドキャリアの難しさを痛感しました。
引退した当時は、自分が何をしたいのか、どういう会社があるのかすらもわからない状態でした。自分で調べて、アスリートの就職支援をしている会社があると知り、たどり着きました」
自身の経験が生きる場所だと感じ、現在の職業を選択したという。実際にアスリートのキャリア設計に携わる中で、彼らの抱える課題が、過去の自分と重なることもあるのだそう。
諸貫瑛美さん
「(現役選手は)競技のその先を考えるべきだけど、今はやるべきことがあるからこそ行動できていません。『いつかは考えなければと分かっていても...』という人は多いです」
諸貫さんは、この仕事を始めて2年が経ったころ、思いがけない出来事によって、人生が一変してしまった選手を見たという。
諸貫瑛美さん
「大学卒業後は実業団チームが決まっていたラグビー選手がいました。私たちはリスクヘッジで万が一のことも考えながら就職活動をしておくことを勧めていますが、その子は競技を続ける選択をしていたので、就職活動はストップしていました。
しかし、入社する1か月前に『骨折して競技継続ができません。実業団も白紙になりました』という連絡が来て...。けがをした時のリスクを伝えた時も、『その時考えます!』と言っていたので、実際にその状況にならないと、想像できないことがあって」
諸貫さん自身がアスリートだったからこそ、競技中であっても、その先の人生を見据えることの重要性を伝えていきたいと語る。
諸貫瑛美さん
「競技人生より社会(引退後の生活)の方が長いです。私の仕事は、人生のきっかけは与えられるけれど、選択をしたり決断をしたりするのは結局は自分次第。アスリートの引退っていきなりやってくるからこそ、現役の時から1時間、2時間でも空いた時間に社会人としても準備をしておくことは大事だと思います」
諸貫さんの取材を通して見えてきたのは、アスリートのキャリア支援は「答え」を与えるものではなく、競技の先の人生に目を向けるための「きっかけ」を届けるものだということだった。
選手の声―若くして競技を離れる決断
なかには競技の先の人生を見据え、早期の引退を決めたアスリートもいる。
元体操日本代表で、2024年11月に20歳の若さで引退した畠田千愛さん。現在は早稲田大学に通う3年生だ。
2023年の世界選手権日本代表メンバーであり、大学2年生で迎えたパリ五輪では補欠メンバーとして名を連ね、トップアスリートとして体操界を引っ張ってきた。
体操界では日本代表レベルの選手が、大学卒業など学生生活の節目に区切りをつけて引退するケースが多い中、大学2年生での引退は異例だった。
元体操日本代表・畠田千愛さん
「私の場合、パリの補欠も入っていましたし、成績も安定していました。とにかく『なんで?』と言われることが多かったです」
なぜこのタイミングで引退を決断したのか。
畠田千愛さん
「一番は引退後のキャリアへの不安でした。私は家族全員が体操の指導者ですし、小さいころから一緒に練習してきた先輩方も引退後に指導者になるケースが多かった。
でも私はそうではない道に進みたいと思った時に、残りの学生期間は体操以外の世界でもっと勉強したいと考えました」
体操を辞めたことへの後悔は一度もないという。
畠田千愛さん
「全く悔いはない。正直、競技のことは一切頭になかったです。でもそれは体操が嫌いだったとかではなく、すぐに今後どうするかで頭がいっぱいだったからだと思います」
畠田さんは、競技人生に区切りをつけると同時に、次の人生をどう歩むのかを主体的に考え始めていたようだ。
現在は大学に通いながら就職活動を行い、講演会などにも積極的に取り組んでいる。
畠田千愛さん
「競技中は本当に休みが少なくて、体操漬けの日々だったので、就活を通して、世の中のことを何も知らずに生きてきたんだなと痛感しました。ひとつのことに打ち込んできた強みがある一方で、失ったものも多かったんだなと感じて、最初はすごく落ち込みました。
今はまだ明確にやりたいことが決まってるわけではないんですが、大学の友人や他競技の選手、先輩などと関わりながら、勉強して、やりたいことが見つかった時に選択肢を増やせるような時間を過ごしたいと思っています」
早く引退を決断した背景には、知らなかった世界に目を向け、競技の先の人生を、自らで描こうとする21歳の覚悟があった。
スポーツは人生を彩る“手段”であり“目的”ではない
ここまで取材して見えてきたのは、アスリートが引退後のキャリアに不安を抱きながら競技と向き合っているという現状だ。
私も一人のアスリートとして競技を続ければ続けるほど、引退後の自分が見えなくなる感覚があった。泳いでいることだけ、競技をしていることだけが「自分の価値」だと思い込んでいたのだ。
しかしスポーツは本来、人生を彩り、豊かにする“手段”であり、人生の“目的”ではないはずだ。競技を終えた先に広がる人生こそ、スポーツが授けてくれた力が本当の価値を発揮する舞台なのではないだろうか。
幼い頃から数十年、目標を持ってひたすら努力し続けてきたこと。
仲間とともに切磋琢磨してきたこと。
その積み重ねが、社会に出て、全く違うフィールドで生きるための「力」になると思う。
その価値に気づき、どう活かすかを考え、競技に打ち込んでいる“今”から、セカンドキャリアと向き合うことが、アスリートにとって重要なのではないだろうか。
私にとって人生そのものであり、多くのことを学ばせてくれたスポーツ。競技を辞めた今も、スポーツがくれた力が私を支えてくれていると感じる。
そこに同じように本気で打ち込むアスリートたちが、引退後の人生でも胸を張れるようになってほしいと願っている。
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〈プロフィール〉
今井月(いまい・るな)
2025年入社。岐阜県岐阜市出身。
3歳の誕生日に2つ上の兄の影響で水泳を始める。
高校1年生で出場したリオ五輪では200m個人メドレーで準決勝に進出。
2023年のアジア大会で200メートル平泳ぎで銅メダルを獲得。
これまで取材を受けてきた経験から、テレビ局に入社。現在は夕方の報道番組、
TBSテレビ「Nスタ」でアシスタントディレクター(AD)として、日々ニュースに向き合う。