14歳が伝えるあの日…震災の5か月後に生まれた語り部 きっかけは能登半島地震、東日本大震災「15年を生きる」
震災のあとに生まれた福島県の中学生が、記憶と教訓を未来に語り継ぐ「語り部」として活躍しています。彼らが言葉に込めた思いを取材しました。
【写真で見る】避難してれば助かった命 能登半島地震を教訓に 14歳の語り部
テレビで地震や津波の恐怖を感じ…震災後生まれの中学生が「語り部」に
15年後の被災地では、震災後生まれの中学生が「語り部」として歩み始めていました。
猪狩早恵さん(14)
「震災の記憶を風化させないために、考えたことを話します」
猪狩早恵さん(14)は、震災の5か月後に生まれました。
猪狩早恵さん
「(震災時)母親は妊娠していたので、私に何かないかすごく不安だったと聞きました」
猪狩さんは、なぜ生まれる前の震災を語り継ごうと決めたのか。それは、2年前の元日の出来事でした。
猪狩早恵さん
「能登半島地震を見た時でした。いま自分がいる場所で同じことが起こった時に自分は混乱してしまって、どう行動すれば良いのかが分からないなと」
テレビで見た能登の姿に、生まれて初めて地震や津波の恐怖を感じたのです。
「震災は他人事みたいな感じ」伝承活動の継続も資金不足に直面
15年前の震災では、地元・いわき市も8メートルを超える津波に飲み込まれ、468人が犠牲になりました。
ふるさとを襲った震災については、どう感じていたのでしょうか。
猪狩早恵さん
「(震災を)学ぶ機会はあったのですが、3月の恒例イベントみたいな雰囲気があった。震災は他人事みたいな感じでした」
また、伝承団体の多くも資金不足に直面。活動を続けるのに不安を感じているといいます。
震災の怖さを知れば、災害に備えられる。猪狩さんは防災士の資格を取りました。
「あの日」を経験した人から話を聞き、震災後生まれの「語り部」になったのです。
猪狩早恵さん
「経験された方の思いを私がしっかりと伝えることができるのか悩んだことはあった。震災の記憶の風化は、悩んでいる間にも進んでしまう」
「記憶を風化させない人に」“記憶のつなぎ手”として思い描く未来
3月8日、猪狩さんは「語り部」として、緊張しながらもマイクを持ちました。
猪狩早恵さん
「東日本大震災では、避難していれば助かったはずの命がたくさんありました。近所の人が逃げていなかったのを見て、自分も逃げなかった人。津波は来ないと言われ、その言葉を信じて逃げなかった人。このような行動はもっとも危険で、決してしてはいけない行動なのです」
「多くの命が失われた経験を貴重な学びとし、二度と同じ悲しみを繰り返さないために、1人1人が防災の取り組みをきょうから進めてみませんか?」
語り部を聞いた人
「今の語り部の年齢がどんどん高くなって、実際亡くなる人もいる。彼女たちは未来につなぐ」
「震災を分からない子がこれまで勉強したということが、ものすごく良いことだと思う」
震災後生まれの“記憶のつなぎ手”として思い描く、15年後の未来は?
猪狩早恵さん
「やっぱり私より下の世代は、自分より知らないと思うので、後世にも語り継いで、記憶を風化させない人になりたい」