イランとの戦闘終結後に日本が機雷掃海を実施する可能性は?35年前に「戦争終結」で派遣されたはずが目前で起きた交戦【報道特集】

アメリカとイランとの戦闘終結後、日本は自衛隊を派遣し、ホルムズ海峡における機雷の除去、掃海活動に参加する可能性はあるのか?複数の政府関係者は「正式な停戦合意がないとできない」と話すが、35年前には「戦争が完全に終結した」として派遣されながらも、目の前で続く交戦に犠牲者が出ることを覚悟した掃海艇部隊の元補給艦長が証言した。
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機雷1つで大型艦船を沈没 元海上幕僚長が語る破壊力
戦闘終結後に日本に求められる可能性があるのが、ホルムズ海峡での機雷の掃海だ。高市総理は6月15日、フランス・イギリス・ドイツ・イタリアの4か国の共同声明に参加する意向を表明。ただし声明には、「機雷掃海を含む任務に各国の憲法の規定に沿って関与する」との記載がある。
高市早苗 総理(6月17日)
「自衛隊の派遣については現時点で決まったものはない。米イラン間の合意とそれに伴う実際の情勢というものは、しっかりと見極めなければならないと考えている」
日本周辺で今も続く機雷の爆破作業。太平洋戦争中、アメリカ軍が1万5000個、日本軍も上陸を阻止する目的で5万5000個を敷設した。
戦後復興は、膨大な数の機雷の除去から始まった。
機雷は1個でタンカーや空母などの大型艦船を沈没させる。掃海部隊出身の古庄幸一・元海上幕僚長は機雷の破壊力をこう語る。
古庄幸一 元海上幕僚長
「海にいれた地雷と同じような、だけど爆発能力が全然違う。水圧の変化でプラスマイナスで船が折れる」
機雷の種類は大きく3つある。
▼海面に浮かぶ「浮遊機雷」
▼水中に係留される「係維機雷」
▼海底に敷設される「沈底機雷」
機雷は艦船の接触、音響や磁気、通過の際の水圧の変化に反応して爆発する。
現在でも自衛隊は、敵の上陸を阻止する兵器として機雷を保有している。
――有事の時に日本も撒く?
古庄幸一 元海上幕僚長
「撒くということ」
――相当な数を持っている?
古庄幸一 元海上幕僚長
「どこかを守るぐらいの数は持っている。東京湾に入れないようにするとか」
世界最大の掃海艦「あわじ」の中を取材
2026年4月。掃海部隊の拠点・横須賀基地で、『報道特集』のカメラが掃海艦「あわじ」に乗り込んだ。
「あわじ」は船体がFRP(繊維強化プラスチック)でできた世界最大の掃海艦だ。船体は磁気を完全に遮断するように作られている。機雷は磁気に最も反応する。
掃海艦「あわじ」 萩平光昭 艦長
「繊維を組み上げた跡がわかると思うが、ガラス繊維」
「ステンレスであったり、アルミであったり、非磁性の金属を使って船体を造り上げている。磁石はくっつかない」
機雷爆破には水中ロボットが使われるが、ダイバーが直接機雷に接する局面も少なくない。現場の海水温に適応するように、潜水用のスーツは3種類ある。
水中処分員
「通常の(厚さ)5ミリのタイプ。水温が高いところに行くときは3ミリ。これはドライスーツで冬用。私が入った中で一番熱いのは40度」
――40度はどの辺り?
水中処分員
「いろいろなエリアに行きますので…」
日本周辺だけでなく、中東周辺でも訓練が行われていたことが窺える。
日本保有の掃海艦艇 半数以上が木造船 海外での活動は“想定外”
現在、日本が保有する掃海艦艇は16隻で、このうち9隻が木造船だ。
1991年、JNNのカメラは建造中の木造掃海艦を初めて撮影した。
木工職人がまるで巨大な住宅をつくるような光景だ。担当者は、海水温が高いペルシャ湾で接着剤が溶けて、船体がバラバラになってしまわないかを懸念した。
当時は、専守防衛の自衛隊が海外で活動することなど全く想定していなかったのだ。
造船責任者(当時のインタビュー)
「日本周辺の環境に合ったような船として造っているので、今度暑いペルシャ湾等へ行ったとき、どうなるのかなと。造る側は不安がある」
今回、政府の一部でホルムズ海峡への派遣が取り沙汰された。停戦が確定しない状況での機雷除去は武力行使となり、憲法違反となりうる。
しかし、過去には…
“戦争終結”でペルシャ湾派遣も…「撃ち合い見た」
1991年、湾岸戦争が終結したとして、ペルシャ湾の機雷除去に海上自衛隊の掃海艇部隊が派遣された。これが自衛隊発足後、初の海外派遣となった。
政府は「戦争は完全に終結しており、“非戦闘地域”への派遣」だと強調した。しかし、掃海艇部隊 補給艦の両角良彦・元艦長は、ペルシャ湾に到着し驚いたと証言している。
両角良彦 元補給艦長
「夜中に目の前で米軍と小型の不審船舶が撃ち合っているところを目の前で見た。『はやせ』(掃海母艦)も実弾を込めて、24時間対応できるような態勢で、20日間それに対応した」
掃海艇1隻、乗組員40人が犠牲になることを想定し、密かに棺用の木材が積み込まれていた。
両角良彦 元補給艦長
「『お前たちの食い物の冷凍庫の中に、犠牲になった仲間をしまうけどいいか』と」
結果的に1人の犠牲者も出さず、掃海艇部隊はペルシャ湾で34個の機雷を処理して帰国した。