日本のお弁当のど定番である幕の内弁当ですが、どんな弁当を幕の内弁当と呼ぶかご存じですか?
また、なぜそれらの弁当が幕の内弁当と呼ばれるようになったのかご存じですか?
ここでは知っているようで知らない幕の内弁当について紹介します。
特に名前の由来や語源はもちろん、似た弁当として知られる松花堂弁当についても解説します。
「幕の内弁当」とは
まずは幕の内弁当がどのような弁当なのかを見ていきましょう。
「幕の内弁当」はこんなお弁当
幕の内弁当は握り飯とおかずが詰め合わされた弁当のことです。
これらは小さな俵型の握り飯にごまを散らすのが特徴となります。
おかずは卵焼きや焼き魚、揚げ物、煮物、漬物を入れるのが定番です。
その他、かまぼこなどの練り物を入れたものも多いです。
具体的にこれらのおかずに決まりがあるわけではありません。
それら何種類ものおかずを詰め合わせた弁当を総じて幕の内弁当と呼ぶわけです。
「幕の内弁当」の原型は武士の料理?
幕の内弁当の原形は戦国時代に生まれたとされています。
特に武士が戦陣で食べた弁当が原型となっているのだとか。
その昔、戦時には栄養を素早く摂取する必要がありました。
しかし、悠長に御膳で食べている時間などありません。
そこで考案されたのが、握り飯とおかずが入った弁当でした。
これが幕の内弁当の始まりとされています。
「幕の内弁当」の名前の由来は?
では、なぜ小さい握り飯といくつかのおかずが入った弁当を幕の内弁当と呼ぶのでしょうか?
由来とされる説①:芝居の間に役者の食べる弁当から
幕の内弁当は芝居の間に食べる弁当から来たとも言われています。
役者たちは芝居の幕と幕の間、つまり幕の内にの休憩中に弁当を素早く食べる必要がありました。
そこで、弁当は食べやすく一口サイズの握り飯や、一口サイズのおかずを詰めた幕の内弁当が生まれたそうです。
やがてその弁当を芝居を待つ観客にも出すようになったのだとか。
そこから世間一般にもこの幕の内弁当が広まったそうです。
由来とされる説②:「万久(まく)」というお店が最初に売り出したから
幕の内弁当は芳町の「万久」という店がはじまりともされます。
店の名前が「まく」と読むことから、その店で出す弁当のことを幕の内弁当と呼ぶようになったのだとか。
なお、この店の弁当は握り飯に菜っ葉を添えたものが主流でした。
それも相まって幕の内弁当という呼び名の原形になったのではないかと考えられています。
由来とされる説③:幕内力士にあやかったとする説
幕の内弁当は幕内力士にあやかったとする説もあります。
幕内力士と言えば相撲界の上位力士たちの事を指しますよね。このことから、その地位にあやかって幕の内弁当と名付けられたのではないかという説です
更に、小さな握り飯を指す「こむすび」と相撲の「小結」もかかっているのではないかと言われているそうです。
「松花堂弁当」との違い
幕の内弁当に似た弁当に松花堂弁当というものがあります。
ここからは松花堂弁当との違いについてまとめます。
「松花堂弁当」はこんなお弁当
松花堂弁当は器の中に十字形の仕切りがある弁当のことです。
仕切りのそれぞれに刺身や焼き物、煮物、ご飯などを盛ります。
これらは見栄えをよくする配置になっているのだとか。
特に縁の高い被せ蓋のある弁当箱を用いた弁当を松花堂弁当と呼ぶことが多いです。
「松花堂弁当」のはじまり
松花堂弁当は江戸時代初期の石清水八幡宮の社僧であった松花堂昭乗にちなむとされています。
松花堂昭乗は農家が種入れとして使っていた器をヒントにこの形の器を作ったのだとか。
当時は絵具箱や煙草盆として使用していたらしいです。
その後、数百年の時間を経て貴志彌右衛門の大阪邸内の茶室「松花堂」で茶事が催されることになりました。
その際、貴志彌右衛門は名料亭「吉兆」の創始者である湯木貞一に、この器で茶懐石の弁当を作るよう命じたそうです。
それが松花堂弁当の起源とされています。
まとめ
幕の内弁当は握り飯とおかずを詰め込んだ弁当をあらわします。
現代では特におかずに決まりはなく、ご飯もそのまま盛られていることが多いです。
これらはもともと戦場で生まれた弁当だったそうです。
それが次第に形を変え、現代のような弁当となったのだとか。
ちなみに、幕の内弁当という名前は舞台や役者などから来ている他、力士などから来ているという話もあります。
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