運を天に任せて勝負することを「乾坤一擲(けんこんいってき)」と表現します。
これらは実際に結果がどうであれ大勝負をすることを言います。
しかし、なぜそれを「乾坤一擲」と表現するのでしょうか?
今回はそれら「乾坤一擲」について解説します。
ここではその意味はもちろん成り立ちや類義語についても説明します。
「乾坤一擲」とは
まずは「乾坤一擲」がどのような意味なのか見てみましょう。
「乾坤一擲」の意味
「乾坤一擲」とは運を天に任せて伸るか反るかの大勝負をすることの例えです。
天下をかけて一度サイコロを投げる意から来たとされています。
要は一か八かかわからない状況で勝負することを言う言葉です。
かつては命を賭して戦わなくてはならない場面もありました。
ただ、これらは賭博から生まれたとされています。
詳しくは後の項目で詳しくまとめます。
『乾坤一擲の大勝負』という表現は間違えている?
「乾坤一擲」は「乾坤一擲の大勝負」のような言い回しで使用されることが多いです。
しかし「乾坤一擲」という言葉に勝負という意味が含まれます。
そこは完全に間違いとは言えませんが、正しいとも言えません。
そのため、できれば「一擲乾坤を賭す」などと表現した方が良いかもしれません。
「乾坤一擲」の由来
では「乾坤一擲」はどこから来た言葉なのでしょうか?
ここからはそれら「乾坤一擲」の成り立ちについてまとめます。
「乾坤」とは
「乾坤」とは天と地を意味する言葉となっています。
転じて、サイコロの目を意味するようになったそうです。
特に奇数と偶数の目を表す表現となっているのだとか。
そこからさらに転じたことで、天下を賭けるような大勝負をすることを言うようになったとされています。
「一擲」とは
「一擲」とは一度投げることを意味します。
中でもサイコロを1回だけ投げて勝負することを言います。
これらは賭博するような場所で生まれた言葉とされるとか。
転じて、一発勝負のような場面に使用されるようになりました。
項羽と劉邦のある戦いを描写したことで生まれた「乾坤一擲」
「乾坤一擲」は古代中国で起こったある戦いを描写した言葉です。
その昔、古代中国の文人である韓愈が項羽と劉邦の対決を評して述べた言葉から来ているとされています。
かつて劉邦と項羽は激しい戦いの中にありました。
それらの戦いはかつてないほどの戦争に発展したそうです。
しかし、戦いの末、鴻溝の地を二分することで和解したとされています。
その一方、劉邦の配下である張良と陳平が「項羽の兵が疲弊している今こそ好機である」と進言したそうです。
それにより劉邦は項羽を追撃、長い戦いに見事勝利したとされています。
その際、韓愈はこの世紀の大勝負を「乾坤一擲」と表現したとか。
そこから最後まで結果がわからない中で勝負することを「乾坤一擲」と言うようになったそうです。
「乾坤一擲」の類義語
最後に「乾坤一擲」の類義語についても見てみましょう。
一か八か
「一か八か」とは結果がどうなるかわからない状況で運を天に任せることです。
ほとんどは切羽詰まった状況で、思いきってやる際に使用します。
これらは2つのうちのどちらかであるかという意味も含まれます。
ちなみに、この言葉はカルタ賭博から生まれた言葉だそうです。
ただし、この言葉が成り立つまでに至った経緯には諸説あります。
1つ目が「一か罰か」から来たとする説、2つ目が「丁か半か」から来たとする説です。
どちらも確定的なことは言えないが、博打から生まれた言葉である可能性が高いです。
伸るか反るか
「伸るか反るか」とは成功か失敗か見通せない状況で運を天に任せることです。
これらも切羽詰まった状況において思いっきりやる時に使用します。
なお、この言葉は矢師の矢作りから生まれた言葉とされています。
矢師が矢を作る時、曲がりを直す型に入れて竹を乾燥させるそうです。
そこから取り出した竹が真っ直ぐに伸びていたら矢として優れていると評されたのだとか。
しかし、少しでも曲がっていたら使い物にならず捨てることになってしまいます。
そこから「伸るか反るか」という言葉が生まれたそうです。
当たって砕けろ
「当たって砕けろ」とは結果の有無にかかわらず、思いきってやれという意味です。
多くの場合は成功よりも失敗の可能性が高い状況で使用されます。
これらは「やらずに後悔するよりやって後悔しろ」というニュアンスが強いかもしれません。
それらの点が「乾坤一擲」にも共通していると言えるでしょう。
まとめ
「乾坤一擲」は勝敗がわからない状況で勝負することを言います。
特に結果がわからない中で大勝負に出るような場面で使用します。
現代でも使用できる四字熟語なので、ぜひ覚えておきましょう。