シフゾウ、その名前だけ聞くと初めて耳にする人が多いと思いますが、漢字表記の「四不像」なら目にしたことがある気がする人も増えるのではないでしょうか。
このシフゾウは、外見が特徴的過ぎて古くから何の動物の仲間かわからない、といわれてきた生き物です。
また、一度その姿を消し絶滅したと思われながらも再びその姿を見られるようになった希少な動物でもあります。
人間の手によって数奇な運命を辿ったシフゾウの生態や、絶滅から復活までの流れ、日本で飼育している動物園などをご紹介します。
シフゾウ
シフゾウの生息域
シフゾウは中国の中部から北部にかけての沼地に生息していたと考えられています。
実は野生の個体は記録がとられる前に絶滅してしまったため、詳細な生息地などはわかっていません。
また、野生での生態も同じ理由から判明していないというのが現在の実情になります。
シフゾウの生態
蹄はウシ、首はラクダ、角はシカ、尾はロバと部位によって違う4種の動物に似ていますが、そのどの種でも無い事から「四不像」と名付けられました。
古来、4種いずれの動物の仲間でもないとされましたが、現在ではシカの仲間と判明しています。
漢字表記は「象」では無く「像」なので注意が必要ですね!
昔はその姿が不思議なこともあって何の仲間かもよくわからない生き物とされ、現在では完全な野生の姿が見れなくなったため生態がよくわからない生き物になっているようです!
年2回生え変わる角
シカの仲間だけあって立派な角をしています。
しかし、通常シカの角の生え変わりは年一回ですが、シフゾウは年に二度角の生え変わりをします。
生え変わる直前の一番大きい時期になると角は一本で2kgまで大きくなります。
エゾシカの角と同程度の重量ですが、それが年二回なので、角の伸びるスピードは倍といえます。
沼地を生息地としていたと考察される特徴
沼地に生息していたことが推察されていますが、実際泳ぐことが得意で、水生植物を好んで食べます。牛に似ているとされる大きく幅広な蹄も、沼地のぬかるんだ地面に足を取られないように進化していったためと考えられています。
一度は野生から姿を消したシフゾウ
シフゾウは記録が残されるようになる前に、野生の個体が絶滅したため確定的な生息域や野生での生態が分かっていない種になります。
人の手で中国からヨーロッパへ
19世紀半ばには中国の野生種としてのシフゾウは絶滅しており、その姿は当時の王朝清の皇帝専用狩猟場として北京の南方にあった「南苑」で飼育されていたもののみとなっていました。
この南苑で飼育されていた珍しい生き物を、フランス人宣教師のダビット神父が見つけました。
神父がシフゾウを紹介すると、たちまちヨーロッパで評判になり、ヨーロッパの動物園などに連れていかれました。
中国で減少、ついには絶滅へ
その後、中国での飼育は続けられていましたが、1894年に起きた洪水の際に食料としてフシゾウは周辺住民によって食されその数を大きく減らしました。
さらに1900年の義和団事件の際にも兵士の食料とされてしまい、中国本土では1920年に最後の一頭だったメスが死亡したことで、シフゾウは絶滅してしまいました。
ヨーロッパで生き残ったシフゾウたち
中国からヨーロッパに連れていかれたシフゾウですが、その後は第一次世界大戦の影響でその姿を大きく減らしてしまいます。
その為、中国で死亡したメスを最後にシフゾウは全滅した、と考えられていましたが、イギリスのベッドフォード公爵が動物園から買い取り、公表せずに飼育していたため生き残っていました。
ベッドフォード公爵は繁殖にも成功させ、フシゾウの数を増やしていきました。
そして1946年頃に飼育数が200匹を越えると、シフゾウを世界中のいくつかの動物園へと送り出しました。
中国で再野生化
このベッドフォード公爵によって数を増やしたシフゾウは、1985年に再び北京の南苑に送り出され、現在は半野生化で飼育されており、数も繁殖により着実に増やしているとされます。
また、北京だけではなくシフゾウの本来の生息地とされている上海の大豊保護区をはじめ、いくつかの自然保護区に送り出されています。
大豊保護区では、2019年にシフゾウの数が5000頭を超えたという報告も出ています。
幻獣・四不象
中国の明代に書かれた物語「封神演義」には四不象と呼ばれる神獣が登場し、主人公の姜子牙(きょうしが)が騎乗します。
この「像」か「象」の違いがありますが、この神獣もまた、様々な想像上の生き物の特徴を兼ねそろえた姿をしているとされています。
四不象の外見
麒麟の頭
麒麟は中国の伝説上の神獣の中で最も位の高いものとされています。
その性格は慈悲深く、生きた草を食まず枯れ草だけを口にし、歩く時は生きた虫を踏むこともないといわれています。
その頭部は狼のようとも、龍に似ているともいわれていますが、中国の長い歴史ある時間の中で、さまざまな姿で表現されています。
明や清の時代では龍の顔で表現されることが多かったようです。
また、額には他の動物を傷付けないように肉に覆われた角が一本生えていると伝わっています。
龍の体
龍は日本でも知名度は高い神獣で、蛇に似た体、4本の足、シカのような2本の角とひげがあり、その全身は固い鱗に覆われた姿と考えられています。
海にいるとも天空を住処にしているともいわれています。
獬豸の尾
獬豸(かいち)、多くの人が初めて目にする神獣の名前かと思います。
そのため日本では全くなじみは無い神獣と思われるかもしれませんが、この獬豸というのは神社にいる狛犬の起源ともいわれている神獣です。
その姿は小さい時は羊のようで、大きくなると牛のようになるといいます。
全身の毛は黒く、額からは一本角が生えているとされますが、麒麟と違い肉で角を覆っていることは無いようです。
尾に関して記述はありませんが、牛に似た姿とされていますから、尾も牛のようなものと考えていいのではないでしょうか。
幻獣の四不象は、独角の龍の頭で、体は鱗のある蛇のようで、尾は牛というちぐはぐな姿をしていたようですね!
日本の動物園にいるシフゾウ
ベッドフォード公爵の功績もあって現在はその数を増やしていっているシフゾウですが、いまだに数が少ない希少な動物であることには変わりはありません。
その為、日本でもその姿を見られる動物園は少なく、現在は全国で3ヶ所の動物園のみになっています。
・多摩動物公園 (東京都)
・広島市安佐動物公園 (広島市)
・熊本市動植物園 (熊本市)
中国で絶滅する前に、一度日本に来ていたシフゾウ
日本に最初にシフゾウが来たのは1888年のことでした。
当時すでにその数を減らしていたシフゾウですが、清国から上野動物園につがいで2頭のシフゾウが寄贈されました。
つがいはオスは1896年まで、メスも1898年まで生きたそうです。
2回繁殖に成功していますが、それ以上数を増やすことは無く、1906年に日本のシフゾウは全て息絶えてしまいました。
まとめ
シフゾウは人の手によって一回滅ぼされながらも、非公表のまま飼育されていたことで再びその姿を見ることができるようになった珍しい動物でした。
人の手で滅ぼされた種が再び姿を見れるようになったのですから、今度は絶滅に追いやることなく、純粋な野生の姿を見られるようになるといいですね。