6月は別名で「水無月(みなづき)」といいますが、梅雨の時期なのに「水が無い」と書くのは違和感があります。
ところが実はこの名前、水が無いという意味ではないようです。
そこでここでは、水無月の意味や由来、他にもある6月の別名を解説します。
水無月が6月を意味する理由
水無月は旧暦での名称
水無月は旧暦で6月をあらわす名前です。
現在も6月の意味で用いられる事があります。
旧暦の水無月は現在の6月ではないから梅雨時ではない?
旧暦のカレンダーは現在とは違う法則で作られていました。
わかりやすい点での違いは2つあります。
現在の暦が太陽の動きから算出される太陽暦が採用されているのに対し、旧暦では月の満ち欠けと季節のズレを無くすために太陽の動きを参考にして暦を作る太陰太陽暦を採用していた点、これがひとつです。
日本ではこれまでいくつもの暦が採用されてきましたが、旧暦と言った場合は江戸時代の末期に採用されていた「天保暦(てんぽうれき)」のことを指します。
この天保暦も太陽暦と同じく1年を約365日で換算していましたので、1年の長さに関しては日数に大きな差はありません。
しかし、もう一点の違いにより旧暦と現在の暦では時期のズレが発生しています。
その違いは年明けの時期です。
現在のカレンダーでは単純に1月1日が年明けとされていますが、太陰太陽暦では立春の頃の新月を年明けとしています。
立春は現在の2月4日なので、その前後の新月の頃となると1月20~2月20日頃までの期間が旧暦では年明けとなります。
この年明けとなる日のズレにより、一年を通して旧暦と新暦では時期が変わります。
旧暦の6月である水無月は、現在の暦における6月下旬から8月上旬に相当します。
水無月の意味や由来
水が無い、ではなく「水がある月」?
水無月は一見すると「水が無い月」だと思ってしまいます。
しかし、この名前の由来には逆に「水がある」ことを指しているともされています。
この説では「無」は「~の」という助詞の役割で使われており、水無月は「水の月」の意味するとされています。
田植えがされ、どの田んぼにも水が張られている様子をあらわしているとされています。
やはり水がない月?
田んぼに水が張られている様子から「水のある月」とされる一方、水を田んぼに張ってしまっているので他の場所には水が無い、という様子から水無月と付けられたという説もあります。
しかし、現在のところ研究者の間ではこの説はあまり支持されていないそうです。
6月の終わりに食べるとされた和菓子「水無月」
6月の終わりはちょうど一年の折返し時期です。
そのため古くから、この半年の間の穢れ(けがれ)を払い、残り半年の無病息災を願う「夏越祓(なごしのはらえ)」という行事が行われてきました。
神社などでは境内に大きな茅の輪が組まれ、この輪をくぐることで厄落としをします。
この夏越祓の際には、ういろうの上に小豆を敷き、三角形に切り分けられた和菓子「水無月」が食べられています。
小豆は邪気を払うとされていましたし、甘く食べやすい上に栄養も豊富なので昔から重宝されてきた食べ物です。
このお菓子は食べて暑気払いするという役目も果たしていました。
他にもある6月の別名
水張月(みずはりづき)・水月(みなづき)
田んぼに水が張られていた様子から、水の月の意味で水無月と名付けられたとされる他に「水張月(みずはりづき)」や「水月(みなづき)」という別名を付けられました。
晩夏(ばんか)・季夏(きか)
旧暦では4~6月を夏としていました。
そこで季節の終わりを意味する晩や季を用いる夏の終わりを意味する名前もありました。
風待月(かぜまつづき)・松風月(まつかぜづき)
旧暦の6月は次第に暑くなっていく時期です。
そのため少しでも涼しさを感じる風を待つ様子から「風待月(かぜまつづき)」とも、待つと松をかけて「松風月(まつかぜづき)」とも呼ばれていました。
常夏月(とこなつづき)
「常夏月(とこなつづき)」は暑い夏をあらわしているわけではありません。
この名前は6月~8月、ちょうど水無月を開花時期としている花「ナデシコ」の別名「常夏」を指しています。
まとめ
梅雨の時期で水なら溢れるほどあるのになぜ「水無月」と呼ばれるのか。
それは旧暦の水無月の頃は田んぼに水が張られて稲を育てていたという稲作の様子が由来と考えられています。
「無」は無いことをあらわすのではなく、助詞なので「水の月」をあらわしているというのは現在では想像もつかない用法ですよね!