バブル期の東京大阪など都市圏の電話ボックスは、一種異様な空間でした。入ったら即、目に入るのは、壁一面のピンクチラシ。名刺大の若い女性の顔に見つめられるアレは、いったいなんだったんでしょう。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)
【写真を見る】平成の電話ボックス、不適切な「ピンクチラシ」興亡記(1990年前後)【TBSアーカイブ秘録】
公衆電話はピンクチラシだらけ
憶えてますか、バブル時代の公衆電話の風景を。
ちょうど「テレホンカード」が普及した頃でしたか。壁一面に貼られた名刺大の不適切なチラシの数々。それぞれに若い女性の顔写真と、電話番号が書かれていました。ひとよんで「ピンクチラシ」。あの光景はいったい何だったんでしょう。
剥がしては貼られ、のいたちごっこ
もちろん風俗サービスのチラシです。電話番号に電話をかけた後にホテルに行くと、そこに風俗嬢がやってくるというしかけ。普通のまちの普通の電話ボックス(もちろん未成年も使う)に、こうしたものが平気で貼られていたわけですから、誰もが眉をひそめました。
またあしらわれた女性の顔写真は実在のアイドルやモデルの無断使用で、彼女たちにとって大いにイメージダウンになりました。
NTTや、まちのボランティアたちがシールを剥がす「浄化作戦」を行いましたが、一晩経つと元の木阿弥。文字通りのいたちごっこでした。
貼る側にとっては「コストが少なく儲かる」ということで、繁華街の電話ボックスは、暴力団の縄張りのような形となりました。
ボックス内には「北面と東面は○○組」「南面と西面は××会」などの棲み分けがあったそうです。ときおりケンカの元になり、治安悪化の温床にすらなっていました。
一掃作戦ワンツーパンチ!しかし…
行政や市民も黙っていたわけではありません。
まずは売春防止法。仙台地裁は「(ピンクチラシは)内容が通常人の目から見て売春の相手方となることを誘っているものと認識し得る」と認定し、売春周旋目的誘引罪にあたるとの判決を下しました。(1988年6月8日)
また、風営法が改正され、第28条第5項で、こうしたピンクチラシを配ったり貼ったりポストに入れたりすること自体が禁じられました。
ところが、収まるのは摘発の一時期に過ぎません。ほとぼりが冷めると、またじわじわと元通り。
「元から絶たなきゃダメ」作戦も
じつは警察もピンクチラシを黙ってみてきたわけではありません。1986年には印刷所を家宅捜索し、ピンクチラシ印刷業者を「売春防止法違反幇助罪」で摘発したのです。
家宅捜索の際には、色など丁寧に指定された印刷ゲラや、何万枚もの実物チラシが発見されました。
しかし、チラシ自体がわいせつなわけではなく、ましてや売春の有無を発注の段階で、誰がどう判断すればいいのか。印刷所の摘発は、憲法で保証された「言論・表現の自由」に抵触するのではないかと議論や批判の元となっていったのです。
「意外な」解決
でも、もう見ませんよね。ピンクチラシ。では、なぜピンクチラシは淘汰されたのか。
もちろんケータイ(スマホ)の普及です。
21世紀に入り、携帯電話が普及することで、ピンクチラシは撃滅されました。実際はピンクチラシどころか電話ボックス自体が激減しました。
それもこれも時代の趨勢というものなのでしょう。