全く予想していなかったSNS投稿の拡散
Facebookに私が1000字余りの文章を書いたのは、津久井やまゆり園事件の発生から3日後、2016年7月29日でした。
【写真を見る】やまゆり園事件とヘイトスピーチ 底流にあるのは同じ「不寛容」【リリアンの揺りかご#2】
お読みになれば分かる通り、「障害のある子を授かってから自分が考えてきたこと」を時系列に書いただけの文章です。ところが、この文章は大拡散を始めました。やまゆり園事件には一切触れていないのに、社会から「植松被告に対するカウンターの言葉」として捉えられたのです。
「重度の障害者には生きている価値がない」と、自首した植松聖死刑囚(当時26歳)は供述しました。事件の重要な動機ですから、メディアは伝えざるを得ません。「憎悪」を拡散させてしまっている恐ろしさを自覚していた記者や番組プロデューサーが相次いで、私の投稿を事件関連のニュースとして伝えました。数日後には『NEWS23』の動画が1万回以上もシェアされていることに気づきました。この後の経緯を箇条書きで示します。
▼2016年7月29日
【Facebook】個人的な投稿
▼8月
【ネット】Buzzfeed JAPANなどが全文掲載
【テレビ】TBS『NEWS23』で全文を朗読、神戸はスタジオで解説
【新聞】朝日・毎日・東京・西日本・上毛など各紙が投稿の全文を掲載
▼10月
【書籍】『障害を持つ息子へ』出版(ブックマン社)
▼2017年7月
【作曲】投稿全文を歌詞とし、歌手パギやんが作曲・歌唱
【YouTube】障害のある家族の写真を募集し、パギやんの歌に乗せて公開
植松聖被告との対話を盛り込むことに
大阪の歌手パギやんは、投稿の全文を歌詞として、曲をつけて歌ってくれました。それが素晴らしかったので「地上波でも放送できないかな」とTBSラジオの鳥山穣さんに相談したところ、「ならば、一緒にラジオドキュメンタリーを作りませんか」と誘われました。
しかし、当初は植松被告と面会するつもりはありませんでした。本音を言えば、彼の話を聞くのが怖かったからです。
ですが、「現実から逃げている」ことを自覚し、やっと覚悟を決めました。「私は、重い障害を持っている子の親です。家族である私に対して、『なぜ事件を起こしたか』を自分の口から説明してみたい、とは思いませんか」と、拘置所に宛てて手紙を書いたのです。すぐに面会を承諾する手紙が届きました。返信にはこんな言葉がありました。
<植松被告からの手紙>
「目の前に助けるべき人がいれば助け、殺すべき者がいれば殺すのも致し方がありません」
「重い障害を持っている子の親に、こんな話しは誰もしたくありません。もちろん自分の子どもが可愛いのは当然かもしれませんが、いつまで生かしておくつもりなのでしょうか」
このような男と相対した時、「自分の心が壊されるのではないか」と恐怖を覚えました。しかし、記者が自分から面会を申し込んだのですから、逃げることは許されないとも思いました。ところが、実際に面会した植松青年は、拍子抜けするほど普通の青年でした。拘置所の外に出た私はこう話しています。
「印象は、ごくごく普通の青年ですね。率直な印象を言うと、かなりあさはかだな、と思いました。すごく薄っぺらい知識で、重大なことを判断してしまっている。かなり驚きました。普通だったよね…」
接見でのやり取りを再現して制作したのが、『SCRATCH 線を引く人たち』(2017年、RKB・TBSラジオ共同制作)でした。番組には、このころ強い関心を持っていたヘイトスピーチの問題も採り入れました。
耳を塞ぎたくなるヘイトスピーチ
「韓国は日本に対して謝罪しろー!このような凶悪な民族がすぐそばにいるんです!犯罪国家と付き合うことは不可能なんです、シュプレヒコール!」
「在日特権を許さない市民の会」(略称「在特会」)を初めて取材したのは2014年、場所は福岡市天神でした。福岡市の中心部に響き渡るあまりにひどい言葉に、撮影はしたものの、報道はしませんでした。「憎悪」をまき散らしてしまうのではないか、と恐れたからです。
「在特会」は2007年に設立され、在日コリアンや中国人への攻撃的な批判を展開してきました。東京で、川崎で、大阪で、ヘイトスピーチは猖獗を極めていました。創設者は、現在「日本第一党」で党首を務める桜井誠氏。福岡県北九州市の出身です。
2016年、東京で単身赴任中だった私は、東京都内での在特会のデモ行進の場にカメラを持って向かいました。
桜井党首は路上で「帰れ、帰れ、帰れ、帰れ、朝鮮人は帰れー!当たり前だろう!おい、さっさと朝鮮半島帰れよ!」と叫んでいました。
こうした言葉は、心を深く傷つけます。レイシズム=人種差別主義に反対する人たちは「カウンター」と呼ばれます。「ヘイトスピーチを止めろ」と大きな声を出していました。カウンターが大きな声を出すのは、ヘイトスピーチが人々の耳に入らないようにするためです。
ヘイトスピーチは、「ある個人を非難する」ものではありません。国籍や民族などでひとくくりにして、暴力的な言動で侮辱したり、それをあおったり、正当化したりすることです。
「ふざけるんじゃねえぞ、てめえら!おい、かかってこいよ、そこの兄ちゃん!おいどうした、それで終わりかい?メガホン持って、アバババで終わりか?アンニョンハセヨ、アンニョンハセヨ、どうしたの?」
桜井党首の実際の言葉です。デモ行進には「朝鮮死ね」「韓国死ね」「核戦争には慣れている、試してみるか?」というプラカードも見えました。属性でひとくくりにして、言葉の刃で心を突き刺していくヘイトデモ。一人一人がどんな人なのかは関係なく、ひとくくりに尊厳を否定する、その姿勢は――。、障害者というだけで次々に刺していった植松聖被告の考え方と、私の中で重なりました。
「一線を引いた」植松聖死刑囚
津久井やまゆり園事件と、ヘイトスピーチ。一見無関係に見える事象は、「底流でつながっているのではないか」と思いました。それは、相手と自分の間に「一線」を引き、線の向こう側の人たちの尊厳を認めない、という一面です。2017年12月、私が植松聖被告に初めて接見した時のやりとりです。
神戸)
生と死を司るのは、神のやることなんじゃないんですか。あなたは神なのです
か?
植松)
そんなことは言っていません。恐縮ですよ。みんながもっとしっかり考えるべ
きなんです。考えないからやったんです。私は、気付いたから。
神戸)
歴史学者も哲学者も、世界史上にはたくさんいたのに、なぜあなただけが気付
くことができるんです?
植松)
私はたまたま(やまゆり園)で仕事をして、気付いてしまったので、仕方ない
んです。
神戸)
どうしてそんなに自信があるの?
植松)
自信があるというか、「人間ではない」と確信を持ったんです。
神戸)
あなたは一線を引いたのですか?
植松)
そうです。
神戸)
どうして、あなたが線を引く権利があるのですか?
植松)
じゃあ、誰が決めればいいんですか?! 付いてしまったんだから。 落し物を
拾ったら届ける。当たり前ですよね。それと同じような感覚ですよ。
植松聖被告は、障害者と自分の間に「一線」を引いたのです。TBSラジオと共同制作した最初のドキュメンタリーは『SCRATCH 線を引く人たち』というタイトルにしました。「スクラッチ」とは、英語でガリガリと地面に線を引く、という意味があります。やまゆり園とヘイトスピーチの共通した底流に焦点をあてたのは、2017年のこの番組からです。このラジオドキュメンタリーが、TBSドキュメンタリー映画祭で今回上映する『リリアンの揺りかご』の母体となっていきます。
神戸金史(RKB毎日放送)