SDGs達成期限の2030年に向けた新たな価値観、生き方を語る今回の賢者はデザイナーの寺西俊輔氏。欧米のラグジュアリーブランドを称える風潮と一線を画し、日本の伝統産業を応援するブランド「MIZEN」を設立。デザインするのは、着物の反物から作る洋服。世界に発信する日本ならではのラグジュアリーブランドとして注目されている。
【写真を見る】エルメスの技術×着物の反物=新たな日本のラグジュアリーデザイナー・寺西俊輔さん【Style2030】
取り組み同様に注目されるのは、その経歴。京都大学建築学科に通うかたわら、夜な夜なお気に入りの服を解体して独学で縫製も習得。卒業後は日本が誇る世界的ブランド「ヨウジヤマモト」に入社し、型紙を作るパタンナーに。ヨーロッパに渡り、ついにはファッション界の最高峰エルメスのデザイナーに就任。3年でエルメスを退社した。日本の伝統産業である着物にエルメスで培った技術を融合し、世界で勝負できる日本発信のファッションを提案する寺西俊輔氏。南青山のアトリエで2030年に向けた新たな視点、生き方のヒントを聞く。
「手仕事が輝くシステムを作る」。きっかけはパリで出合った着物
――賢者の方には「わたしのStyle2030」と題して、話していただくテーマをSDGsの17の項目の中から選んでいただきます。寺西さん、まずは何番でしょうか?
寺西俊輔氏:
はい。9番の「産業と技術革新の基盤をつくろう」です。
――その実現に向けた提言をお願いします。
寺西俊輔氏:
「新たな日本のラグジュアリーをつくる」です。
――ラグジュアリーというときらびやかな世界をイメージしますが。
寺西俊輔氏:
今の皆さんが思っているラグジュアリーっていうものは、ヨーロッパのラグジュアリーが主体となって、元々は上流階級の方々がたしなんでいたものが大衆化して、普通の方々も楽しめるものになったっていうのが今のラグジュアリーだと思うんですけれども、青森県のこぎん刺しが元々庶民が生きるための知恵だったように、時代とともに価値観が変わって高級品になるっていうストーリーがすごく日本らしいなと思っておりまして、そこにMIZENは着目をしております。
――着物を新しい形で広めるという発想は、どういう形で出てきたんですか。
寺西俊輔氏:
着物自体に全然ご縁がなかったんですよ。本当に着物のことを全く知らないまま35歳ぐらいまで生きてきまして、ちょうどパリに転職で移った際に、世界で一番でかい生地の展覧会、プルミエール・ビジョン・パリというのがあるんですけれども、仕事上、見学しに行ったところ、そこに着物の方がいらっしゃったんです。
そこで僕がお会いしたのが、今着ている石川県の牛首紬さんと、京丹後の民谷螺鈿さん。その社長さんにお会いしたのが実はきっかけだったんです。
――お二人はなぜ反物をパリまで持ってきたんでしょうか。
寺西俊輔氏:
高価な素材でして、なかなか日本のファッションブランドで彼らの素材を扱うメーカーさんがいないっていうことだったんです。いわゆるヨーロッパのオートクチュールだとかそういった世界で見せることによって、あの世界は本当にもう何百万とか何千万の世界なので、だったら扱ってもらえるんじゃないのかっていうことで出展をされていたんです。
――反物を洋服にという発想があったんですね。
寺西俊輔氏:
そうですね。要は着物だけではもうやっていけないので、販路を拡大するっていう意味合いで、洋服とかインテリアとかそういったところに分野を広げていきたいっていう思いはあったと思います。
――ご自身がいらしたメゾンでデザイナーとして使うのではなく、新たに日本に戻ってきて勝負しようと思われたんですか。
寺西俊輔氏:
今のいわゆるファッションと言われるシステムというかサイクルといいますか、これって本当にうまくできていまして、いわゆるパリのファッションウィークってあるわけです。年に数回あるんですけれども、あの期間って世界中のファッションが好きな人たちが一斉に集まって、それだけ集中するところで発表するっていうのが、やっぱりステータスでもありますし、ビジネスの上でもすごく重要なわけです。多くの方に自分の作品を見てもらうことによって数がつくんですね。アメリカのA店、B店、C店に10枚、30枚、100枚ついた。要は数をつけるためにファッションウィークってあるんです。
なので、大量生産を前提としたビジネスモデルであれば、パリコレに乗らない手はないんです。僕は否定しているつもりは全くなくて、むしろそれでビジネスがうまくいくんだったら、大いに活用した方がいいです。あんなに出来上がったシステムはないので。ただ、伝統産業をそこに当てはめようとすると、かなりの無理があるんです。大量生産できないので。何週間、何か月で何千メートル作ってくれっていう需要にも対応できないので。
現時点でそれができないっていう現状があるので、ファッションっていうシステムに自分たちを無理やり組み込むっていうのは僕はすごく無理があると思っているので、そうじゃない新しいシステムっていうものを、この日本でちゃんと作っていかないといけない。日本の伝統産業、特に手仕事がちゃんと輝くようなシステムを自分たちで作る。これがすごく大事なことだと思っていて、それをMIZENが担いたいなと思っています。
「僕が辞めてもエルメスはエルメス」。手仕事の価値は人に思いを寄せる力
――エルメスを辞めて日本に戻ってくるというのは勇気のいることだったのでは?
寺西俊輔氏:
そうですね。結局3年ぐらい向こうにいたんですけれども、本当に出入りの激しい業界でして、僕の入った後にも何人ものデザイナーさんが入っては辞めて、入っては辞めて、1週間ぐらいで辞める人もいましたし、3か月とか6か月で辞める人もいました。それを見ていると、自分の存在って何なのかなってすごく感じるようになったんです。
当たり前なんですけど、僕が辞めてもエルメスってエルメスじゃないですか。代わりの人を入れて、相変わらずエルメスでやっていくんだろうなと思ったときに、この会社にとって自分の存在って何の意味があるのかなっていうふうに何かひねくれた感情が出てきまして、この世界で転職をしたとしても、おそらく同じことの繰り返しで、僕はずっとこれを疑問に持っていくんだろうなって考えたときに、やっぱり自分じゃないと意味のないこと、自分だからこそ意味のあることを見つけたいなって何となく思っていた時期だったんですよ、パリに入ったときに。
そのタイミングで本当に運がいいのか悪いのか、お着物の方々に出会って、ちょっと長期の休みがあると必ず日本に帰って、産地を歩き回ったんです。その中で本当に洋服の世界じゃできないことを皆さんされているなっていうのをすごく実感しましたし、これは世界で勝負できる素材だっていう確信を持てたので、あとはどこかのタイミングで辞めるしかないっていうふうに、もう何の迷いもなかったです。
寺西俊輔氏がファッション界の最高峰エルメスのデザイナーを辞めてまで取り組むのは、優れた着物の伝統技術を持続可能な産業にするために、新しいファッションシステムを作ること。そのキーワードとなる「新たな日本のラグジュアリー」とは?
――ラグジュアリーは見た目や価格などではなく、そこに織り込まれた物語が大事だということですか。
寺西俊輔氏:
これからの時代は今のヨーロッパが主流になっているラグジュアリーだけではなくて、世界各国にいろんなラグジュアリーっていうものを謳う存在がどんどん出てくるだろうって言われているんです。僕もまさにその中の一つなのかなと思っているんですけれども、我々はその中でも手仕事の価値に注目をしております。
と言いますのは、もう今の時代ってそれこそSNSで誰とでもアクセス可能じゃないですか。逆に人との関係も簡単に切ることができる、すごく人と人の関係性っていうのが希薄な時代になっていると思うんです。それってもっともっと加速していくと思いますし、だからこそ、人と人が繋がり合えるっていうこと自体が僕はすごく精神的なラグジュアリーになるんじゃないのかなって思っているんです。
その中で、もの作りってそれをまさに象徴しているものだと僕は思っていまして、例えばですけども、どっかの量産品のコップを手に取ったときに、これって誰が作ったのかなって思うことってないですよね。値段が安いし、かっこいいし、いいよねって買うじゃないですか。でも、それが誰々作とかって書いてあると、この人ってどんな人なのかなとか、どこに住んでいて、どんな人生を歩んでここに至ったのかなとかっていう、その人に対しての思いを馳せるっていう時間ができるわけです。僕はそこが実はすごいラグジュアリーなんだと思うんですよね。それを思うっていうものって、手仕事なんです。
手織りだから高いとか、時間がかかっているから高いとか、もちろんそういう価値観もあるんですけれども、それより何より、人に思いを寄せるっていう力がある。これが僕は手仕事の大きな価値だと思っていて、それをもっと普及していきたいなと思っています。
――産地がどこで、だれが作っているものかというこだわりは、洋服の中にも表れているんですか。
寺西俊輔氏:
作っている方々のお名前と、何という素材を作っているかっていうのを全て入れているんです。買っていただいた後もちゃんと思い出せるように、例えば民谷螺鈿さんの螺鈿織っていうのが入っておりまして。
――ブランドロゴが真ん中ではないんですね。
寺西俊輔氏:
MIZENがむしろ彼らを支えるっていう意味合いで、下に入れております。デザイナーが中心となっているのではなくて、その技術や職人さんが主役になっているよということを表しています。
――職人さんたちは寺西さんと出会って、少しは儲かっているんですか。
寺西俊輔氏:
まだまだじゃないかな。ビジネス的にはまだまだ微力ではありますけれども、牛首紬の西山(博之)社長は「希望が見えた」とは言ってくださっています。今までだと、呉服しかなくて、海外に持って行っても継続しないっていう状況が続いていた中で、我々がこうやって継続的に取引を続けているっていうこと自体もそうですし、やっぱり洋服として牛首紬が売れるんだ、需要があるんだっていうことを我々が実際示しているわけです。そこにすごく可能性を見出してくれていまして、職人さんたちにもすごく希望の光を与えてくれているんだって言ってくださっているので、ビジネス的には微力かもしれないですけれども、そこは本当に我々としてもすごくありがたいなと思っています。
(BS-TBS「Style2030賢者が映す未来」2024年7月21日放送より)