今年10月に51歳を迎えた野球界のレジェンド・イチローに独占密着した。母校・愛工大名電を訪れたイチローは、学生時代を回顧した。「近づいてくるにつれてなんか呼吸がうまくできなくて」と話すほどの、当時の過酷な寮生活が蘇る。苦しいときこそ、考えてきた“鈴木一朗”は、この場所で3年を過ごしたのち、世界の“イチロー”となった。
データ化が進む現代だからこそ大切なことはなにかー。イチローが、高校球児たちへ語りかける。
【写真を見る】イチロー、愛工大名電時代の目覚ましは「“ピ”で止めなきゃいけない」 午前2時起床の寮生活で築いた“世界のイチロー”の礎【独占密着】
「6個目の敬遠の夢とか?(笑)」いまだに見る高校時代の夢
今年で4回目を迎えた高校野球女子選抜チームとの試合(9月開催)で松井秀喜と共闘した翌日、イチローは同じ店(2日前に決起集会を行った店)に再び松井を誘った。松井が到着したのは、約束の7時を過ぎた午後7時12分だった。
イチロー:遅れてきてんじゃねーぞ。
松井:すみません(笑)
イチロー:おい!7時。こら、説教。
松井:すみません。(プレゼントを渡して)これ、51歳の誕生日ということなんで。
イチロー:大したものじゃない物、いらないよ、俺。
松井:大したものじゃない・・・一応ワインなので。
イチロー:おー、まじで?
松井:ナパの赤ワインでドミナス。
イチロー:おーまじで。開けていいやつ?
松井:ちなみに2001年。イチローさんのメジャーデビュー年のもの。おめでとうございます。
イチロー:ありがとうございます。許すわ、12分の遅刻(笑)
松井:(笑)たしかに、イチロースズキを待たせるのはよくないですね。
※再会時にはイチローが松井を「ヒデキマツイ」と呼ぶ
イチロー:なんだよ、イチロースズキって(笑)
松井:いやいやお返しです。
イチロー:じゃあ改めて。今回はありがとう、乾杯。
松井:ありがとうございました。
イチロー:うまいね。1杯目のビールはうまいよね。・・・この間もすっごい嫌な夢を見て、現役の時と見る夢変わった?どう?
松井:野球の夢、確かに今でも見ますね。
イチロー:見るよね。
松井:あります。いまだに高校時代の夢も見ますよ。
イチロー:え、高校の何?6個目の敬遠の夢とか?
松井:(笑)それ面白いですね。予選で負けちゃう夢とか、自分が打てなくて負けるとか。プロ入ってすぐに2回ぐらい頭にぶつけられたんですよ。
イチロー:あー、そうなの?
松井:いまだに、夢に見ますね。デッドボールをくらう夢。それで必ず起きるんですよ、バーって起きますね。
イチロー:当たる直前に起きるの?それとも当たってから起きる?
松井:直前に起きますね、だから逃げて起きるみたいな。
イチロー:それはわかるな。僕はもう割り箸で打たなきゃいけない夢があって、何回も見たのよ。爪楊枝はないけど、割り箸。
松井:(笑)割り箸でバット?
イチロー:割り箸なのよ。打てるわけないでしょ?実際打てないんだけど。でも実際、試合で、割り箸で構えてる。こうやって。
松井:その画、見たいですけどね(笑)
イチロー:いやだよ、めっちゃ疲れるからね。
「見えるものしか評価しないというのは危険」
何気ない会話が心地よい。けれど、野球の頂点を知る二人だからこそ、話せることもある。
松井:今のメジャーの試合見てそれこそストレスたまらないですか?
イチロー:たまるたまる、めちゃめちゃたまるよ。
松井:ですよね。
イチロー:退屈な野球よ。
松井:打順の意味とかそういうのは薄れちゃっていますよね。
イチロー:それぞれの役割みたいなことが全くないもんね。
イチローや松井が活躍した2000年代初頭から、 メジャーリーグの野球は大きく変わり始めた。きっかけの一つは、「セイバーメトリクス」。野球における統計学の活用だ。あらゆる指標でデータを集め、分析。「バントは有効か?」「初球は見逃すべきか?」など選手のプレーを、統計的に判断する手法だ。さらに2015年から、「スタットキャスト」と呼ばれるシステムを本格的に導入する。レーダーの軍事技術を転用し、ボールの回転数や、打球角度、守備の選手が走った距離などあらゆる動きを計測できるようになった。今では、数値はクラウド上に集められ、リアルタイムで、放送局やチームに提供される。結果、データが示す最適解に従わない選手は、評価を減点されるようにもなった。
イチロー:勉強ができる人たちを入れちゃって。
松井:野球がそっちに支配されちゃっていますからね、今は。
イチロー:目で見える情報がインプットされて、「そうなのか」ってある意味では洗脳されてしまっているよね。選手の気持ち、メンタルとか、そういうものがデータにも反映されないわけだけど、それを一色担にしてしまうので。目で見えないことで大事なこと、いっぱいあるのになって。でも、みんなそれやるから、そこの勝負になっちゃっているからね。昔、日米野球で来た選手たちが「そんなフォームで打つの!?」っていう個性があるように見えたから、長いものに巻かれるという文化は日本にはあるじゃない。でも、アメリカは個人を尊重する文化なのかなと思ったら、みんな巻かれていくんだよね。みんな同じ野球やるじゃない?危ないよね。この流れは。怖いのは日本は何年か遅れでそれを追っていくので。それまた怖い。
記者:失ってしまうものがあるとしたら何が失われてしまう?
イチロー:感性ですよ。目で見えてるものしか信じられなくなるから。何マイル以上なら何パーセントの割合でヒットが出る。何マイル以下ならこうなる。さらに下ならこうなる。そうじゃない技術がある。とにかく見えるものしか評価しないというのは危険ですね。
自分の頭で考える野球を守りたい。今、イチローは、高校生への指導に力を入れている。
大切なのは「考えること」
これまで2020年の智弁和歌山から始まり、高松商(香川)、都立新宿(東京)など通算8校の高校野球指導を行ってきたイチロー。2024年度最初の指導は、11月9日、10日の二日間にわたり、大阪府立大冠高校で行った。
イチロー:はじめまして、イチローです。
甲子園に手が届きそうなチームこそ、「考えること」が役立つという。
イチロー:履正社、大阪桐蔭は大冠高校のこと、まったく眼中にないです。そこを目指していることをまず知って欲しい。こっちは強烈に意識してるのに相手はまったく相手とも思ってない。そこに挑むんだよ。
イチローの教え方には、特徴がある。まず、自らのプレーで「違い」を実感させる。そして選手に、なぜこんなプレーができるのか考えさせる。
生徒:ナイスボール。
イチロー:どうやって遠くから、外野から正確なスローイングができるのか?それはここ(リリース)じゃないんだ。プロ野球の選手でも多いんだ。メジャーの選手もそう。だいたいここでやってる。でもとっくに決まってるからね。ボール捕ってここ(テイクバック時)で決まってる。(投げ方を見せながら)ここで全部決まってる。ここ(テイクバック時)で決まってるって感触を覚えてほしい。そうすれば安定したスローイングができる。ボールの軌道を見てたら自分の動きが反映されてる。良い球がいったら、良い球になる理由があるし、ダメなボールはその理由がある。それをしっかり把握してほしいんだ。
11月16日、17日には岐阜県立岐阜高校を訪れたイチロー。県内有数の進学校へ通う選手にとっても、知らないことは多い。
イチロー:「走る」ってみんな意識したことある?
生徒:細かいところまでは。蹴るだとか、腕をふるだとか、そういうところは意識したことはあっても体の動きとして意識したことはないと思います。
イチロー:まずは簡単な、肩甲骨で上半身を振ってみる。腕を振ってみる。(腕を小さく振りながら)こうやりがちでしょ。リラックスしてないとできない。じゃあ、ジョギング程度でいいんで。いってみよう。
すぐに真似ができなくて当たり前。どうすれば上手くなるのか、それを考えることが大切だと、イチローは説く。
イチロー:難しいよね。しょうがない。
イチロー:どう、51歳のおじさんの走りは?
生徒:かっこいいです。
イチロー:そうですか(笑)きれいなのを目指して。最終的にはね、結果それはスピードにつながる。
「感性が消えていくというのが現代の野球」母校・愛工大名電を訪問
今年、イチローがどうしても訪ねたい場所があった。母校「愛工大名電」だ。プロ野球選手を数多く輩出した名門。だがここ2年、甲子園での1回戦負けが続いていた。
イチロー:おはようございます。
イチローはここで寮生活を送った。厳しい上下関係が蘇る。
イチロー:近づいてくるにつれてなんか呼吸がうまくできなくて・・・うわー。今は知らないけど、当時は「春日井の刑務所」と呼ばれてましたから。
高校時代に教わったコーチが、今は監督を務めている。
イチロー:ご無沙汰しております。
倉野光生監督:おー!久しぶり。
イチロー:すいません、今回は突然で。
倉野監督:本当にもう嬉しいな。どうぞどうぞ上がって。
練習場を訪ねたのは、18年ぶりのこと。
倉野監督:ここで、自分の投げたフォームがビデオカメラを通じてモニターに映る。
イチロー:時差でチェックできるんですね。
倉野監督:あそこでスピードと回転数がすぐに瞬時に出る。
イチロー:そうですか。
メジャーリーグのやり方を真似た最新機器の数々。イチローの表情にかげりが見えた。
倉野監督:何が正しいかとか、何が良いんだろうかって、実際には確信がないよね。
イチロー:そうですよね。
倉野監督:我々が経験とか昔のように「根性だ」ってバシバシやる時代じゃない。
時代が変わる中、試行錯誤が必要なことも理解できた。だが、手放してはいけないものもあるはずだ。
イチロー:拍手いらないよ。後輩、拍手いらないよ。はい、こんにちは、イチローです。今、寮から始まって雨天練習場、球場を見学させてもらいました。いろんなデータを参考にしながら頑張ってると聞きました。気になったのは、いろんなことがデータで見えちゃってるでしょ。でも見えてないところをみんなは大事にしているんだろうかって。野球ってそれだけじゃないところあるよね、もちろん。気持ちがどう動くとかさ、感性。データでがんじがらめにされて、感性が消えていくというのが現代の野球。自分で考えて動く。一緒に動くので、ではよろしくお願いします。
生徒:よろしくお願いします。
監督から、特に走塁を見てほしいと言われていた。ランナーになった時の複雑な状況判断を、多くの選手が不得手としていた。
イチロー:みんな迷った時ってさ、どうやって判断してる?外野フライ上がりました。1塁ランナー。左中間に飛びましフライが。どういう状態で判断してる?捕るのか捕らないのか、(ピョンピョン跳ねながら)こういう感じじゃない?これも判断迷わすからね。打球判断のことを考えれば、必ず止まって判断する。打球判断、フライの判断も同じだね。出て、(止まって)こう判断して。(跳ねる動作)こういうことやらない、止まって判断。劇的に簡単になるんでこれは。打つこと、守る、投げる、走る、鍛えればできることだよね。それぞれ。でも打球判断はそれないでしょ。どんなに経験しても、だからできるだけシンプルに止まって判断。止まったら重心を下へ。そうしたら判断も簡単だし、反応も早いと思う。このデータはある?ない?どう?愛工大名電のなんか出てる?こうした(動きながらの)ほうがいいデータある?
生徒:出てないです。
イチロー:出てないでしょ。これだけの施設があるのに、判断難しいでしょ。こうしてください。
野球は、繊細なスポーツだとイチローは言う。データで判断できない場面は、限りない。3時間に及んだ指導の最後に、イチローはバッティングを見せた。その日一番のホームランを打って練習を終える。現役時代からそれを自分に課しているそうだ。細身の体から、次々と長打が飛び出す。
イチロー:じゃあ、良いところで終わります。一発入れないと終われないのよ。そういうルール決めちゃってるから。
もしも体格に恵まれて生まれたら、こんなに考えたりはしないだろう。イチローは、そう信じてきた。
イチロー:うわー!よっしゃー!以上、終わりです。
最後にナインに教えを説くイチロー。
イチロー:今まで知らなかったこと、考えたこともなかったことあった?打球判断どうだった? 全員やった?3年生どうだった?
生徒:これまではあまり自分で考えたことなくてコーチやスタッフから言われた通りやっていたんですけど、自分でいざ考えるようになって、イチローさんに言われたことを試してみる中でこれまでやってきたことが間違いとまでは言わないですけど、もっと良い方法があることが知れたのは良かった。
イチロー:判断が簡単になった?なったよね。きょうは聞いたことない話ばっかりでしょ。データにないことばっかでしょ?その感性を大事にしてね。みんな能力高いんだから。あんまり縛られないで。こういうデータを活用するのはいいんだけど、 そうじゃないところにも大切なことがあるとわかったよね。わかったでしょ。
午前2時の目覚ましは「“ピ”で止めなきゃいけない」
イチローが仲間と寝起きした寮は、今も使われている。中に入るのは、卒業以来はじめてのことだった。
イチロー:上級生の機嫌でね、醤油を使わせてもらえないんですよ。醤油禁止は結構あったんですよ。マヨネーズ禁止もあったかな。マヨネーズと醤油が混ざるとおいしく、というかなんとか食べれるようになるでしょ。マヨネーズ禁止、醤油禁止、だからおいしいものは禁止。そういう時代でね、このテーブル見るとそれしか思い出さない。
イチロー:お風呂は変わってないね。浴槽大きいね。同じだな。僕がね、ここで3年になって誰よりも早く洗い始めるんだけど、こうやって座ったら、ここに(交流試合で来ていた)松井秀喜が座ってたんですよ。ここですよ。先にもうなんかやってたんですよ。あいつ2年でしたからね(笑)
そして、最もキツかった場所。2段ベッドが並ぶ寝室だ。
イチロー:同じだ。ここは2年の時か。この(ベッドの)上にいましたね、僕。よくこれ壊れないで、30何年でしょ。50人の大部屋なんで、目覚ましで上級生を起こしたらえらいことになるんですよ。僕は2時に目覚ましかけて、そこから洗濯を始めるんで。
記者:午前?
イチロー:午前です。なかなか「ピピピピ」って音がどうしてもなっちゃうじゃない?でも、「ピピピピ」までいくと誰かが起きちゃうんで、「ピ」で止めなきゃいけない。これやんなきゃいけないんですよ。
記者:それ寝られてないでしょ。
イチロー:緊張感あるからあんまり寝られないわけですよ。でも洗濯機の争い、乾燥機の争いをしたくないんで、独り占めできる時間帯は夜中しかないんで、それを選んだんですよね。
苦しいときこそ、考えてきた。鈴木一朗は、ここで三年を過ごしたのち、やがて「イチロー」となる。
「そういう報告を聞けたら、もっと嬉しい」
イチローには、この時期に思い出すことがある。阪神・淡路大震災(1995年)。あれから、まもなく30年が経つ。当時イチローは神戸市西区にあったオリックスの寮にいた。
イチロー:ものすごい地響きみたいな音がして、寮にでっかいトラックが突っ込んだんじゃないかと思ったんですよ。だからズドーンって言うから。え?こんな時間に。そうしたら揺れ始めたんでこれ地震だと。逃げたい気持ちが。あれ、本能的なものですよね。じっとしてたら駄目だ。でも、立てないでしょ。あの時間中、ベッドの中にいるんだけど、立てない。立てないからもうこれうずくまるしかないと。こうやって布団かぶって。それがおさまって2階に食堂があるんだけれど、もうパンツ1枚で食堂に集まるという、そういう経験でした。あの時は、キャンプの2週間前でしたから、キャンプ無理だなと。少なくとも、初日に全員が集まることはできないと、みんな思ったと思います。だからそこはもう、個人の事情というか状態に委ねられたんですよね。でも全員集まったんですよ。これすごいことだなと思って。そこで何か、僕らがやることをやらなきゃいけないっていうか、やりたいことっていうのは、明確になった記憶がありますね。これはもう今年やるしかないと。
「がんばろうKOBE」その合言葉をユニフォームに縫い付けて、チームはシーズンに臨んだ。
選手と街の思いが、確かな力となった。その年、オリックスは初優勝。リーグ優勝の翌年には日本一に。2年連続の活躍は、神戸復興の象徴となった。
自分のために続けてきた野球。それが、フィールドを超えて、社会に何かを還すことにつながった。野球の、そんな力を知っているから、今も“51番”を背負うのかもしれない。
イチローが、伝えたいこと。
イチロー:野球で結果を残してくれたら、めちゃうれしいですよ。もっと嬉しいのはその先だと思うね。こんな大人になりました、と。そういう報告を聞けたら、もっと嬉しいと思う。野球やってなかったら、みんなと出会っていなかったわけだからね。人との出会いなんてそういうもんですよ、奇跡だからね。そういうものも大事にしてほしい。
僕が期待するのは、そういう人の痛みとか気持ちを自分なりに想像したり考えたりすること。そういう優しい人になって欲しい、というのが僕の一番期待することですね。ただ野球がうまくなってほしい、だけじゃないです。もっと大きなところというかね、そういう優しい人になって欲しいね。みんなどこかで僕を見かけたら必ず声をかけてください。ありがとうございました。頑張ってね。
来年1月、日米で野球の殿堂入りが期待されている。けれどそれはゴールではない。野球とは何か。その答えを探して、イチローは走り続ける。