「泣いて馬謖を斬る」は厳しい処罰を下すことをあらわします。
しかし、そもそも馬謖とは誰のことを指しているのでしょうか。
また、なぜ泣いて斬る必要があったのでしょうか。
今回はそんな「泣いて馬謖を斬る」について紹介します。
ここでは特にその語源となった出来事について解説します。
「泣いて馬謖を斬る」とは
まずは「泣いて馬謖を斬る」について見ていきましょう。
ここでは意味について詳しくまとめます。
「泣いて馬謖を斬る」の意味
「泣いて馬謖を斬る」とは、規律を保つためには愛する者であっても厳しく処分することの例えです。
愛していても違反者であれば秩序のために罪に問うことを指します。
特に泣く泣く決断するような場面で使用される表現です。
「断腸の思いで〇〇する」という表現のように、とても苦しく辛い決断をしなくてはならないときに使用されます。
「泣いて馬謖を斬る」は泣く泣く判断した際に用いられる
単に「馬謖を切る」だけなら、武将の馬謖を斬ることを指します。
しかし、この言葉には「泣いて」という表現がついています。
つまり、もともとは泣きながら馬謖を斬ることをあらわす言葉だったのです。
そこから転じて泣く泣く判断する際に用いる言葉となりました。
特に意に反しながらも規律を守るために決断するような場面で使用されます。
これらは本意ではない気持ちをあらわした言葉となります。
「泣いて馬謖を斬る」の由来
ここからは「泣いて馬謖を斬る」の語源について見ていきましょう。
由来は三国志に出てくる諸葛亮の逸話から
「泣いて馬謖を斬る」は三国志「蜀志(馬謖伝)」の故事から来ています。
中国の三国時代、蜀と魏という国の大きな戦がありました。
その際、蜀では諸葛亮が配下の馬謖を重用していました。
しかし、馬謖は諸葛亮の命令に従わず、魏に大敗してしまうのです。
もともと諸葛亮は馬謖を大切に扱っていました。
ただ、命令に反したにも関わらず許すわけにもいきません。
そこで諸葛亮は泣きながら馬謖を斬罪に処したのです。
そんな逸話から生まれたのが「泣いて馬謖を斬る」という言葉です。
転じて泣く泣く決断することを「泣いて馬謖を斬る」と表現するようになったのだとか。
諸葛亮が泣いた理由は「三国志」と「三国志演義」で大きく異なる
馬謖を斬る際、諸葛亮は泣いたとされています。
しかし、なぜ泣いたのかは故事によって解釈が違ってきます。
「三国志」では諸葛亮が「馬謖のために涙を流した」と書かれています。
つまり、軍律を守る為に愛弟子を処刑することになり、彼のことを思って諸葛亮は泣いたとされているのです。
しかし「三国志演義」では「馬謖のために泣いたのではない」とされています。
劉備に「馬謖をこき使ってはならない」と言い遺されていたにもかかわらず、その言葉を守らなかった自分を嘆いて泣いたそうです。
これらはどちらが正しいのかは不明です。
馬謖の兄弟を語源とする「白眉」
馬謖の兄弟から生まれた他の言葉もあります。
それが最も優れている人をあらわす「白眉」という言葉です。
ここからは馬謖の兄弟から生まれた「白眉」についてまとめます。
「白眉」の意味
「白眉」は最も優れている人や物をあらわした表現です。
単に秀でているというよりも一番優れている人や物を指します。
特に複数いる中で最も優秀な人や物をあらわす表現となります。
白眉の由来になったのは、馬謖の兄弟「馬良」
そんな「白眉」は馬謖の兄弟である馬良が語源となった言葉です。
その昔、中国の馬家には馬謖を含む5人兄弟がいたそうです。
5人の息子兄弟は誰もが優秀だったとされています。
しかし、中でも長男の馬良は特に優秀だったのだとか。
その馬良には白い眉毛が生えていたとされています。
その白い眉毛にちなみ「馬家の白眉は最も優れている」と称されたそうです。
そこから特筆して優れている人や物を「白眉」というようになったとされています。
まとめ
「泣いて馬謖を斬る」は文字通り泣いて馬謖を斬ることを指します。
これらの言葉は泣く泣く決断する際などの例えとして用いられます。
なぜ厳しい処罰を下す意味になったのかというと、そこには馬謖と諸葛亮の故事が関係しているそうです。
なお、同じく馬家の兄弟だった馬良から生まれた「白眉」という言葉もあります。