急に何かに気づくことを「目から鱗」と表現します。
何かがきっかけで物事の理解が深まることも「目から鱗」と言います。
しかし、そもそも人間の目には鱗などありません。
では、なぜ「目から鱗」と表現するのでしょうか?
今回はそれら「目から鱗」という言葉の謎に迫ります。
「目から鱗」とは
まずは「目から鱗」という言葉について見ていきましょう。
「目から鱗」の意味
「目から鱗」とは何かがきっかけで物事の実態がよく見えるようになることの例えです。
単に急に何かに気づくことの表現としても使用されます。
ただし、この言葉には物事が理解できるようになるというニュアンスが含まれます。
つまり、単に何かを発見するというよりも、それによって気づきが生まれることを指した表現が「目から鱗」なのです。
目か鱗が「落ちる」?それとも「取れる」?
「目から鱗」は「目から鱗が落ちる」を略した言葉です。
しかし、人によっては「目から鱗が取れる」と思っている人もいます。
正しくは「取れる」ではなく「落ちる」となります。
これらは勘違いして覚えている人もいるので要注意です。
なお、文化庁の平成19年度「国語に関する世論調査」では「落ちる」が80.6%、「取れる」が8.7%だったそうです。
語源は新約聖書にあるキリストの起こした奇跡にあった
ここからは「目から鱗」の語源となった話をまとめます。
語源となったキリストの起こした奇跡
「目から鱗」の語源は「新約聖書―使徒行伝・九」にあります。
一世紀のこと、キリスト教徒を迫害していたパウロはダマスコという町へ向かう途中に眩しい光に包まれます。
その際「なぜ私を迫害するのか」「町へ行けばやるべきことが告げられる」というイエスの声を聞いたそうです。
それと同時に光に包まれたせいか、目が見えなくなってしまったのだとか。
そんな中、彼がダマスコの町で祈っていると「アナニアという人物が目を治療に訪れる」という幻を見たそうです。
その後、実際にアナニアが現れて「イエスが私を遣わした」と告げたのだとか。
するとたちまちパウロの目から鱗が落ち、元通り見えるようになったとされています。
それ以来、パウロはイエスの教えに帰依したのだとか。
そこから生まれたのが「目から鱗」という表現です。
「目から鱗が落ちる」生き物は実在する
人間は「目から鱗」など落ちることはありません。
しかし、実際に「目から鱗」が落ちる生き物がいます。
目から鱗が落ちるのは・・・ヘビ!
人間は「目から鱗」が零れ落ちることなどありません。
しかし、ヘビは「目から鱗」を落とす生き物とされています。
その理由は、瞬きをしないヘビの特性にあります。
ヘビは瞬きをしないのですが、その代わりにコンタクトレンズのような透明な皮が目を覆っているのです。
これらはアイキャップやスペクトルと呼ばれています。
実はこの透明な皮が定期的に目から落ちるわけです。
ただし、この事実と目から鱗の語源とは関係はありません。
まぶたがないヘビは目も脱皮する
ヘビはまぶたがありません。
そのため、脱皮の際には目も一緒に脱皮するのが特徴です。
その姿は若干ながらグロテスクかもしれません。
人間も実際に「目から鱗」が落ちたら怖いですよね。
ちなみに、ヘビの中には稀にアイキャップやスペクトルが残っている個体もいるそうです。
これらはアイキャップ遺残(スペクトル遺残)と呼ばれ、珍しい現象とされています。
まとめ
「目から鱗」は何かに気づくことを言った表現です。
特に何かがきっかけで物事の理解が深まることの例えです。
これらの言葉はキリスト教の逸話から生まれたとされています。
なお、実際に「目から鱗」が落ちる生き物は実在します。
それが目ごと脱皮をするヘビです。
本物の「目から鱗」を見たいなら、ヘビの脱皮を眺めてみると良いかもしれません。