人気アニメ・『超電磁ロボ コン・バトラーV』の葵豹馬役や、『タッチ』の上杉達也役で知られる、声優の三ツ矢雄二さんが、自伝的エッセイと書き下ろしの詞(うた)を収録したエッセイ本「曲のない詞(うた)」を発売。TBSの単独インタビューに答えました。
【写真を見る】【三ツ矢雄二】独占②:「コン・バトラーV」での声優デビュー~「タッチ」収録秘話 浅倉南役・日髙のり子さんとのエピソードを語る
――声優になったきっかけは?
★三ツ矢さん:
「オーディション受けたら、主役で合格しちゃって。全然、声優の経験とかなかったし、『声優界の右も左もわからない僕がなんで主役に』って思ったんですけど、 その主役に選ばれるオーディションを『受けるキッカケ』になったのが、(サザエさんの、磯野)波平さんの声をやっていた永井一郎さん。」
とある仕事の打ち上げで、三ツ矢さんと永井さんは同席することに…
その席こそが「声優・三ツ矢雄二」の誕生のきっかけとなったと言います。
★三ツ矢さん:
「永井一郎さんの隣の席が空いてて、そこに座ったら、 かなり酔っぱらってて、もうこんなんなっちゃって、『宇宙人と交信中』みたいな永井一郎さんが、『三ツ矢君、君は面白い声してるから、明日オーディションがあるから、これ受けてみなさい』って言われて、『もうなんでもやります。』って受けに行ったのが『コン・バトラーV』っていう作品のオーディションで、1発で受かっちゃってから、声優人生始まったんですよ。僕は本当に一度も『声優になろう』と思ったことは無かったので、本当に偶然でした。」
偶然からいきなり主役の座を射止めた、三ツ矢さんですが、声優としての『経験不足』故に、当時は大変だったと言います。
★三ツ矢さん:
「『コン・バトラーV』って言わなきゃいけないんですけど、できなくて…ドラゴンボールの悟空をやってらっしゃる、野沢雅子さんがスタジオにいらっしゃって、『雄二、時代劇で見栄を切るみたいにしてやればいいのよ。やぁやぁ、我こそはって感覚でやってみたら』ってアドバイスしてくださって。」(※当時、野沢雅子さんは、コン・バトラーVに『ロペット』役として出演)
「でも、『コン・バトラーV』とは言えなくて、『コン・バトラーV』だけで、NG テイク100いくつ。たまたまテイク100いくつが『良かった』とか言われても、分かんないじゃないですか?『あの時みたいにやって』とか、言われるんですけど、もう分かんなくて。とにかくそれで悩みましたね。」
いきなり壁にぶつかった、三ツ矢さんですが、この状況を救ってくれたのが、当時の声優界の諸先輩方だったそうで・・・
★三ツ矢さん:
「今思えば、僕がそうやって残されて、先輩たちが、全員待っててくれたんですよね。僕を心配してくださって。」
「(収録が)終わった後、『おい、三ツ矢飲みに行くぞ』って言われて連れていかれて。飲んでる席で、『もっとこうした方がいい、ああした方がいい』っていう事をアドバイスをくれるんですよね。本当に現場で揉まれて、先輩に指導されて、声優としてやってこられたっていう感じです。」
国民的な人気を誇った、アニメ・タッチ。三ツ矢さんは、著書には書ききれなかった、当時の「制作秘話」を語ってくれました。
★三ツ矢さん:
「タッチの最初っていうのは、自分よりも日髙のり子さんの『南ちゃん』っていうのを確立させるために、『自分という存在がなきゃいけないな』ってことを考えながらやってましたね。」
新人の日髙さんの面倒を見るよう言われていた三ツ矢さんは、収録の度に、プロデューサーから連絡が入っていたといいます。
★三ツ矢さん:
「『三ツ矢くん、日髙くんの演技なんだけどね」って。(連絡の内容は)僕(について)じゃないんですよ。日髙のり子さんの演技に関して『南ちゃんは、こうだと思うんだけど』って。それがもう何人ものプロデューサーがかかってくるんですよ。」
「で、みんな言うことが違うんですよ。日髙に言ったら日髙が混乱しちゃうから、あえて僕だけで留めておいて、その代わり、一緒にやってる時に気が付いたことは、日髙のり子さんに『だからもっと、タッちゃんは愛さなきゃダメなんだよ』みたいなダメ出ししたり。色々しながら彼女とはコンビを組んでいった」
そんな日髙さんに、ある収録の日
試練が・・・
★三ツ矢さん:
「南が『タッちゃん!』って、怒るセリフがあった時に、副調整室からプロデューサーがスタジオに入ってきて『南ちゃんはね、怒っても優しいんだよ!』って怒鳴ったことがあって。もうすごい彼女プレッシャーらしく、もう本当にドギマギしちゃって。」
「そんな姿見た時に、本当、僕ちょっと可哀想になっちゃって。なるべく『庇ってあげるようにしなきゃいけないな』って思って。話を聞くと、(日髙さんは)1人でね、帰る時に『泣きながら帰ったの』とか言ってましたから、『辛かっただろうな』と思いますけど。」
そんな、厳しい現場の中、あの名ゼリフが誕生しました・・・
★三ツ矢さん:
「マイクの前に立ったら、世界観的には『自分』というのを、消し去って行かなきゃいけない役だった。だから、本当にドキドキしながらあのセリフ(『上杉達也は浅倉南を愛しています。世界中の誰よりも。』)をしゃべった。」
「『浅倉南』を『上杉達也』として『愛していた』っていうのはありますね。タッチは感情移入しないとできないです。」
40年以上に渡り、仕事を共にする、声優・冨永みーなさんは、三ツ矢さんの『人柄』について、こう語ります。
◇冨永さん:
「私が迷ったりして、悩み事を聞いて頂いたりすることも多かったので、そういう時に、本当に的確に、俯瞰から見た物事の見方とか気持ちのこととか。(三ツ矢さんは)愛情のある方なので、的確なアドバイスを下さり。年上の方に言う言葉じゃないかもしれないですけど、キュートな方だなと思っています。」
今後の目標を「キャピキャピしたおじいさんになりたい。」と、笑顔で話してくれた三ツ矢雄二さん(69)。
声優、俳優、音響監督、ミュージシャン、タレント・・・様々なジャンルでクリエイターとしてマルチな才能を発揮する彼の活躍から目が離せません。
【担当:芸能情報ステーション】